姿が架空でも、関係は架空なのか
好きな歌を何度も聴き、動く姿を待ち、次の作品を楽しみにする。対象の身体が画面の外に存在しなくても、こうした経験は起こる。だからといって、画面上の人物を全て同じ種類のAIと呼ぶと、作品の作られ方が見えなくなる。
バーチャルアイドルを考えるには、姿、声、演技、言葉、作者を分ける必要がある。外見がCGであることと、発言が自動生成されることは別の条件だ。
初音ミクは「自動で全て歌を作る人」ではない
クリプトンの10周年記念サイトは、初音ミクの2007年の発売と、創作・ライブ・展覧会へ広がった活動を記録する。歌声合成ソフトのキャラクターとしての入口が、作り手と受け手の活動によって多くの作品へ広がった事例だ。
一つの名義や姿が共有されても、曲の作者は一人ではない。声の技術、キャラクターデザイン、作詞・作曲、映像、振付の仕事を区別すると、人気の中心が人物の伝記だけにあるわけではないことが分かる。
VTuberと生成AIの人物を分ける
VTuberでは、アバターを通して演者が話し、演じる形がある。生成AIの人物では、画像、歌声、文章などの生成工程が関わる。どちらにも多様な方式があり、名称だけで「中の人がいない」「全て自律的」と判断できない。
ここでは仕組みを、誰が応答を決めるか、誰が歌唱をつくるか、誰が人物像を継続管理するかで整理する。同じ顔を保つだけで同じ人格が成立するわけではない。作品ごとに性格や記憶が矛盾すれば、受け手の愛着も揺らぐ。
会う相手は、人物か作品か
生身の演者には体調と生活がある。合成された姿にも、制作する人の労働、技術、費用がある。身体が架空だから無制限に供給できる、という説明は制作の現場を消してしまう。
ファンとの距離を考える際には、いつからアイドルは会えるようになったのかで扱った劇場や接触の仕組みと、画面上の姿や応答を支える仕組みを比べると、それぞれの違いが見えやすい。
ワチャピ!もこの比較から考えられる。創作上のキャラクターが音楽や映像に登場することと、その人物が利用者へ自動的に返事をすることは分ける。後者を実装済みの機能だと扱わず、作品としての実績と構想を区別したい。
NACKの仮説は、愛着には身体の実在に加えて、継続する表現と参加できる余地が関わる、というものだ。「本物か偽物か」で終わらせるより、好きになった経験を支える仕事と関係を見た方が、現在のアイドル像を深く理解できる。
参考資料
サムネイルはテーマを象徴する創作画像です。
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