NFTアートとは何だったのか:NACKがいまもNFTにこだわる理由

NFTブームが終わった今、NFTアートとは何だったのか。投機の熱狂、デジタル所有、来歴、ロイヤリティ、そしてNFTから始まったNACK自身の変化を振り返り、いまも残る「所有とアーカイブ」の問いを考えます。

Updated 

48人のアーティストアーティストタイプ

あなたの中に、どの世界の見方がある?

12の質問で、美術・音楽・科学・哲学を横断する3人に出会う。約3分。

NFTアートとは何だったのか:NACKがいまもNFTにこだわる理由

NFTは終わった、という言葉の半分だけが正しい

NFTという言葉には、まだ熱と疲れが残っています。

2021年の熱狂。プロフィール画像の高騰。数億円の落札。DiscordとXに生まれた無数のコミュニティ。そして、その後の急速な冷却。

多くの人にとってNFTは、「一度ものすごく盛り上がって、終わったもの」になりました。

その見方は、半分正しいと思っています。

価格だけを追いかけたNFT市場は、たしかに長く続きませんでした。「NFTであること」自体に価値があるかのように語られ、作品よりフロアプライスが見られ、文化より投機が前に出た。その熱狂が冷めたこと自体は、不思議ではありません。

でも、私はNFTアートそのものを失敗だったとは思っていません。

むしろ、熱狂が終わった今だからこそ、ようやく「NFTアートとは何だったのか」を考えられるようになったのだと思います。

NACKもNFTから始まりました。

だからこれは、NFTについて外から批評する文章ではありません。

自分たちは何を期待し、何を間違え、そして何を残そうとしているのか。

NACK自身の振り返りでもあります。

NFT以前、デジタル作品には奇妙な問題があった

デジタルデータはコピーできます。

画像を保存すれば、見た目としては同じものを誰でも持つことができる。

これはデジタル文化の素晴らしさでもあります。一方で、美術市場が長く前提としてきた「この作品を誰が所有しているのか」という考え方とは相性がよくありませんでした。

絵画なら物理的な作品があります。写真や版画ならエディションがあります。

では、JPEGやGIF、プログラムで生成される作品はどうするのか。

ファイルそのものをコピーできる世界で、「所有する」とは何なのか。

NFTが面白かったのは、この問題に対してファイルをコピーできなくするのではなく、所有や取引の記録を別の場所につくるという答えを出したことでした。

画像を閉じ込めるのではない。

誰がどのトークンを持っているのかを、公開された台帳に記録する。

これはかなり奇妙で、同時に面白い発明でした。

最初のNFTは、所有の実験だった

NFTの歴史を振り返ると、2014年にケヴィン・マッコイがNamecoin上に登録した「Quantum」が初期の重要な実験として挙げられます。

まだNFTという言葉が一般化する前から、デジタル作品とブロックチェーン上の記録を結びつける試みは始まっていました。

2017年にはCryptoPunksやCryptoKittiesが登場します。

ここでNFTは、技術者だけの実験から、一つの文化へ変わり始めました。

特にCryptoPunksが面白かったのは、単に画像を所有できるようにしたことだけではありません。

同じシリーズを持つ人たちの間に、コミュニティやアイデンティティが生まれたことです。

所有が、鑑賞や投資だけではなく、「自分はこの文化に参加している」という意思表示になった。

この感覚は、その後のNFT文化を大きく方向づけました。

2021年、アートと投機が一気に混ざった

2021年、Beepleの「Everydays: The First 5000 Days」がChristie'sで6930万ドルで落札され、NFTアートは世界的なニュースになりました。

Pak、XCOPY、Art Blocksなど、デジタルネイティブな作家やプロジェクトにも注目が集まりました。

それまでデジタル作品を買ったことのなかった人まで、ウォレットをつくり、暗号資産を買い、作品を購入するようになった。

これは間違いなく大きな出来事でした。

一方で、アートと投機がほとんど区別できない状態にもなりました。

作品そのものより、「次はいくらになるか」が語られる。

作家より、ロードマップが語られる。

鑑賞より、フロアプライスが語られる。

NFTは、アート市場の古い問題を解決する技術として期待されながら、人間の欲望をものすごい速度で増幅する装置にもなりました。

ここは、NFTアートの歴史を美談にしてはいけないところだと思っています。

技術が分散型でも、人間まで分散型になるわけではない。

新しい仕組みをつくっても、投機、権威、希少性、コミュニティ内の序列といった古い問題は、そのまま持ち込まれました。

そして、ブームは終わった

熱狂は永遠には続きませんでした。

価格が下がり、取引が減り、「NFT」という言葉そのものを避けるサービスも増えました。

ここで一つ、面白いことが起きたと思っています。

NFTとデジタルアートが、再び分かれ始めたのです。

NFTブームの最中は、デジタルアートとNFTがほとんど同義のように扱われることがありました。

でも本来、NFTは作品のジャンルではありません。

絵画に額縁があるように、あるいは作品に証明書が付くように、作品との関係を扱うための技術の一つです。

NFTという看板がなくても、デジタルアートは存在する。

そして2026年の今、私はむしろその状態の方が健全だと思っています。

技術そのものではなく、作品がもう一度中心に戻るからです。

NFTが残したものは何だったのか

では、あれほど大きな熱狂のあとに、何が残ったのでしょうか。

私は少なくとも四つあると思っています。

一つ目は、デジタル作品を所有するという文化です。

ファイルそのものを独占するのではなく、作品との関係を所有する。これは以前よりずっと自然な考え方になりました。

二つ目は、来歴を記録するという発想です。

誰が発行し、誰が取得し、どのウォレットへ移動したのか。すべてをブロックチェーンだけで解決できるわけではありませんが、作品の履歴を公開された記録として扱う発想は重要です。

三つ目は、作家とコレクターが直接つながる可能性です。

ギャラリーやオークションハウスを否定するという意味ではありません。従来の流通とは別の経路を、作家自身が持てることを示したことに意味があります。

そして四つ目が、二次流通でも作家へ利益を戻そうとしたことです。

ここには注意が必要です。

NFTが登場した当初、「スマートコントラクトによって二次流通ロイヤリティを永久に自動執行できる」といった語られ方もありました。しかし実際には、標準規格がロイヤリティ情報を示せても、すべてのマーケットプレイスに支払いを強制できるわけではありません。

技術は思想を提示しましたが、制度まですべて解決したわけではなかった。

私はむしろ、そこが重要だと思っています。

NFTは完成した答えではありませんでした。

「作品が値上がりして転売され続けるとき、なぜ作家だけがその価値上昇から切り離されるのか」

という問いを、技術によって具体的に提示した。

その問いは、NFTブームが終わっても残っています。

NACKも、NFTから始まった

NACKという名前は、もともと「NFT Art Collection Kyoto」の頭文字でした。

京都の現代アートをNFTとして扱い、新しい方法で流通させる。

私自身、ブロックチェーンのスタートアップで働いた経験があり、NFTマーケットプレイスのスマートコントラクトもつくってきました。

だから当時の私は、NFTにかなり大きな可能性を感じていました。

でもNACKを続けていくうちに、考え方が変わりました。

NFTを売りたいわけではなかったのです。

私が本当にやりたかったのは、作品と人の関係をつくることでした。

作家が作品をつくる。

誰かがそれを所有する。

別の誰かが鑑賞する。

ホテルや飲食店、オフィスなどの空間で作品が展示される。

作品が移動する。

時間が経つ。

別の所有者へ渡る。

その過程で作品に物語が蓄積していく。

重要なのはNFTそのものではなく、その関係をどう残すかだったのです。

「NFT Art Collection Kyoto」から、その先へ

だからNACKは、NFTを前面に出すことをやめました。

これはNFTからの撤退ではありません。

技術を目的から手段へ戻した、という方が近いと思います。

ブロックチェーンが適しているところでは使えばいい。

データベースの方が適しているところでは、データベースを使えばいい。

3Dスキャンが必要なら使う。

AIが必要なら使う。

映像が必要なら映像をつくる。

文章が必要なら文章を書く。

技術から事業を考えるのではなく、実現したい文化のために技術を選ぶ。

NACKがNFTブームを経験して得た、一番大きな学びはこれかもしれません。

作品は、所有されて終わりではない

そして現在のNACKが考えているのは、NFTよりもう少し広い「所有」の問題です。

美術作品は、多くの場合、誰かに購入された瞬間からプライベートな空間へ入ります。

もちろん所有者が自宅で楽しむことは素晴らしいことです。

でも、作品には別の可能性もあります。

ホテルに展示される。

レストランに展示される。

オフィスに展示される。

誰かが偶然その作品を見る。

気になって作家について調べる。

別の場所へ移動する。

そしていつか、別の所有者へ渡る。

作品を「誰が持っているか」だけでなく、作品がどこで、誰と、どんな時間を過ごしたのかまで残せないだろうか。

ここまで来ると、NFTの話は単なるデジタルアートの話ではなくなります。

これは、作品の来歴と記憶をどう残すかという、アーカイブの問題です。

NFTアートとは何だったのか

今、NFTアートとは何だったのかと聞かれたら、私はこう答えます。

所有についての巨大な実験だった。

デジタル作品は所有できるのか。

コピーできるものに希少性は必要なのか。

作品と証明書は同じものなのか。

作家とコレクターは直接つながれるのか。

二次流通で作家は報われるべきなのか。

コミュニティは作品の価値をつくるのか。

ブロックチェーンは美術市場の信頼を置き換えられるのか。

そのすべてに、NFTは完全な答えを出せませんでした。

でも、それでいいのだと思います。

失敗した問いまで含めて、次の仕組みを考える材料になったからです。

そしてNACK自身も、その実験の中から生まれました。

NFTから始まり、作品、所有、展示、空間、3D、アーカイブへと考える範囲が広がっていった。

だから私は、NACKの歴史からNFTを消すつもりはありません。

むしろ残しておきたい。

あの熱狂も、期待も、失敗も含めて、NACKが何を考えてきたのかを示す重要な履歴だからです。

NFTは目的ではなくなりました。

でも、NFTが私たちに投げかけた問いは残っています。

作品とは何か。所有とは何か。そして、文化を未来へ残すとはどういうことなのか。

NACKは今、その続きをつくろうとしています。

よくある質問(FAQ)

NFTはもう終わったのでは?

投機的なNFTブームは終わったと考えてよいと思います。ただし、デジタル作品の所有、来歴の記録、作家とコレクターの直接的な関係、二次流通における作家還元など、NFTが提示した課題は残っています。NFTという名前が目立たなくなったことと、その技術や思想まで無意味になったことは別です。

NFTを持っていれば、作品の著作権も持っているのですか?

通常は別です。NFTの所有は、原則としてトークンを所有していることを示します。作品の著作権や商用利用権まで移転するかどうかは、作品やプロジェクトごとの契約・ライセンスによります。

NFTなら二次流通ロイヤリティは必ず作家に入りますか?

必ずではありません。ロイヤリティ情報を標準化する仕組みはありますが、実際の支払いをすべての取引やマーケットプレイスに強制できるわけではありません。NFTは作家還元の可能性を示しましたが、技術だけで制度上の問題を完全に解決したわけではありません。

NACKはこれからもNFTを使いますか?

NFTありきでは考えません。作品の来歴、所有、流通、アーカイブを実現する上でブロックチェーンが最適なら使いますし、別の技術が適していればそちらを使います。NACKにとって重要なのは技術そのものではなく、作品と人、場所、時間の関係をどう残し、文化として次へつなぐかです。

EDITORIAL PROFILE

田村 祐大

NACK / 企画・編集

岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

アートを入口に、文化・経済・社会・テクノロジーの関係を読み解くNACK Journal / Timesを企画・編集している。