なぜ私はNACKをつくるのか——AI時代に、アートを通じて問いを立てる

AIが答えをすばやく生み出す時代に、人間は何を問うのか。アートだけでなく、音楽、デザイン、車、服、街など、自分が触れてきた文化を振り返りながら、NACKが「アートと日常をつなぐ」理由を現在地から書き直します。

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48人のアーティストアーティストタイプ

あなたの中に、どの世界の見方がある?

12の質問で、美術・音楽・科学・哲学を横断する3人に出会う。約3分。

なぜ私はNACKをつくるのか——AI時代に、アートを通じて問いを立てる

AIが日常の道具になった今、私たちに必要なのは、答えを出すことではありません。何を問うのかを選び、その問いを他者と共有し、社会の中で形として編集する力です。私がNACKをつくる理由は、アートの正解を教えるためではありません。これまでアートを生活の中で経験してこなかった人とともに、「アートはなぜ素晴らしいのか」を問い、その力を日常で確かめる入口を京都からつくりたいからです。

答えが速くなるほど、問いの責任が残る

私がAI、とりわけ機械学習に本格的に触れたのは2018年です。当時はブロックチェーンのスタートアップでプロダクトデザイナーとして働き、Pythonを学ぶ題材として機械学習を選びました。

2022年にはStable Diffusionにのめり込みました。環境構築だけで一日が終わるような時期でしたが、短いプロンプトから予想外のイメージが生まれる体験に夢中になりました。同年11月にChatGPTが公開されると、AIは一部の人の実験ではなく、私自身の仕事を支える日常の道具になっていきました。

調査、整理、試作の速度は大きく上がりました。しかし、速くつくれることと、つくる意味があることは別です。AIは問いの候補も示せますが、どの問いを引き受け、その結果に責任を持つのかは、私たちに残ります。

コンセプトは「何をつくるか」の前にある

つくる手段が広がるほど、「誰のために、何を、なぜつくるのか」が重要になります。私は、この三つを結ぶものがコンセプトだと考えています。コンセプトは飾りの言葉ではなく、判断に迷ったときに立ち戻る中心です。

京都と東京を往復する新幹線では、通信が途切れて作業を止める時間があります。そんなとき私は、目の前の作業ではなく、「このプロジェクトで本当に変えたいことは何か」を考えます。答えを増やす時間より、問いを絞る時間のほうが、仕事を前へ進めることがあります。

私なりに、もっと近い言葉で言えば、コンセプトとは「ほんで、にいちゃん、何がしたいねん?」と聞かれたときの答えです。相手の人生も巻き込んで「一緒にやろう」と言ってもらえるほど、自分の意志と他者との関係を結ぶものだと思っています。

現代アートは、自分と社会を考える思考実験です

現代アートは、まだ答えのない問いを、さまざまな方法で試す思考実験です。作品を見るとき、私はまず「なぜこの色なのか」「なぜこの素材なのか」「なぜ今、この作品なのか」と考えます。作者の経験や時代背景を知り、自分の解釈を疑い、別の見方を試します。そこに唯一の正解はありませんが、何でもよいわけでもありません。作品に残された手がかりをもとに、自分の見方を組み立て直していきます。

作品と向き合うことは、いわば自己分析です。ただ、自分を分類して終えるためのものではありません。自分は何に心を動かされ、何に違和感を持つのか。いまいる社会と、どのようにつながっているのか。自分の感覚や周囲との関係を深く見つめ、それらを慈しみ、時間をかけて育んでいくための自己分析です。

「アートシンキング」という言葉があります。アーティストがしていることをフレーム化し、ビジネスの人にも理解しやすい方法論へ翻訳したものです。それも一つの入口ですが、本質はフレームを身につけることではありません。自分と社会のあいだに問いを見つけ、その問いを簡単に閉じずに生きてみることにあります。

そしてアートは、その思考を頭の中だけで終わらせません。物にする。空間にする。ときには街そのものを使う。「そんなこと、できないじゃん」と思うことを、本当に形にして目の前に見せてしまう。その瞬間、私たちが無意識に引いていた現実の境界線が、少しだけ動きます。世界は別の見方ができるのだと、アートは教えてくれます。

「アートを日常に」という入口

NACKは、これまでアートを経験してこなかった人たちにとっての入口でありたい。「アートはなぜ素晴らしいのか」と問い続け、それを伝えることがNACKの仕事です。根にあるコンセプトは、「アートを日常に」です。鑑賞を特別な場所や時間の中だけに閉じず、物の選び方、街の歩き方、誰かとの会話、仕事の判断まで、日常の見え方を変えていきたいと考えています。

最近、NACKで自分自身の音楽史を書き始めました。振り返ってみれば、私は美術だけを見て生きてきたわけではありません。京都芸術大学で美術を学び、デザイナーとして働く一方で、DJをし、音楽をつくり、クラブで働き、機材を触り、映画を観て、服を選び、街を歩き、車に乗ってきました。

初代Fiat Pandaに乗ることも、古い音楽機材を使うことも、コム デ ギャルソンを着ることも、美術館へ行くことも、私の中ではそれほど離れていません。

どれも、「なぜ自分はこれを良いと思うのだろう」という問いにつながっています。

なぜ新しい車ではなく、古いPandaなのか。なぜ最新のソフトウェアだけでなく、何十年も前の音楽機材を触りたくなるのか。なぜあるデザインには惹かれ、別のものには惹かれないのか。なぜある音楽を聴くと身体が動くのか。

そこを掘っていくと、単なる「趣味」の話ではなくなります。歴史が出てくる。技術が出てくる。経済が出てくる。社会が出てくる。思想が出てくる。そして最後には、「自分は何に価値を感じる人間なのか」というところまで戻ってきます。

それは、私にとってアートを見ることとほとんど同じ行為でした。

「好き」を掘ると、世界が広がる

私は、好きなものをたくさん持つことは悪くないと思っています。むしろ、そこから始めればいい。

「この曲が好き」「この車が好き」「この服が好き」「この絵が好き」。最初は、それだけでいい。

でも、もう一歩だけ進んでみる。

なぜ好きなのか。

すると、その後ろに別の世界が見えてきます。

音楽を辿れば、その街やクラブ、その時代の機材、ファッション、社会状況につながる。車を辿れば、デザイナー、工業、合理性、国ごとの生活文化につながる。絵画を辿れば、宗教、政治、経済、科学、哲学につながる。

一つの「好き」が、別の知識への入口になる。そして知識が増えると、最初に好きだったものまで違って見えてくる。

私は、この連鎖が好きです。

NACK Journalの記事が、アートだけでなく、歴史、哲学、経済、科学、テクノロジー、デザインまで横断しているのもそのためです。

アートについて学びたいのではない。

アートから世界を学びたい。

これはNACKを始めたときより、今の方がはっきり言えます。

身体で知る

そしてもう一つ、NACKを続ける中で以前より重要だと思うようになったことがあります。

実際にやってみることです。

作品を見る。音楽を聴く。クラブへ行く。車を運転する。服を着る。知らない街を歩く。人と話す。つくってみる。失敗する。

本を読んで理解することと、身体で経験することは少し違います。

例えばクラブカルチャーについて100冊の本を読んでも、暗いフロアで大きな音を身体に受けた経験とは同じにならない。車のスペックをいくら比較しても、実際にハンドルを握ったときに分かることがある。絵画も、画面で見ることと、実物の大きさ、絵具の厚み、展示されている空間まで含めて見ることでは違います。

知識と身体。私はどちらかだけでは足りないと思っています。

頭で理解して、身体で確かめる。身体で感じたものを、あとから頭で考える。その往復によって、自分なりの価値観ができていきます。

NACKは、私自身が学び続ける場所でもある

ここは、NACKを始めた頃から少し考え方が変わったところかもしれません。

以前は、NACKが何を提供するのかを考えることが多かった。作品を届ける。アートを分かりやすくする。作家と鑑賞者をつなぐ。作品と空間をつなぐ。

もちろん、それらは今もやりたい。Marketplaceもそのためにあります。

でも、それだけではありませんでした。

Journalを書き、Timesを書き、映像をつくり、音楽について振り返っているうちに分かりました。

NACKは、私自身が学び続けるための場所でもある。

私はすべてを知っているからNACKをやっているわけではありません。むしろ、知らないからやっています。

気になったことを調べる。作品を見る。本を読む。人に会う。つくってみる。考える。そして、分かったことや分からなかったことを残していく。

考えが変われば、以前書いた文章を更新する。この記事を今、書き直していること自体も、その一つです。

完成した思想を世の中に教えるための場所ではない。

問いを持ち続ける過程そのものを共有する場所。

今は、NACKをそう考えています。

NACKでつくりたい、三者の循環

問いは、一人で抱えているだけでは社会に届きません。対話され、誰かの場所や行動と結びつくことで、初めて新しい価値になります。NACKがつくりたいのは、作品を中心に、施設・事業者、アーティスト、所有者がつながる循環です。

  • 施設や事業者は、空間に作品と物語を迎え、訪れる人に新しい体験を届けます。
  • アーティストは、作品が継続的に見られ、語られる機会を得ます。
  • 所有者は、作品を保有するだけでなく、社会の中で生かすことができます。

NACKは三者のあいだに立つ編集者・翻訳者として、作品、空間、人の関係を設計します。

MarketplaceはNACKそのものではありません。NACKの思想を、社会の中で実際に動かすための一つの方法です。

Journal、Times、そしてMarketplace

だから、NACKにはいくつかの顔があります。

Journalでは、アートを入口に世界を知る。美術史だけではなく、哲学、宗教、科学、テクノロジー、経済、デザイン、身体、文化まで横断する。

Timesでは、そこから現在の社会へ戻ってくる。アート市場、AI、ビジネス、文化、そして私自身が実際に経験してきたことを考える。

映像や音楽では、文章とは違う方法で文化を身体的に体験できるものをつくる。

そしてMarketplaceでは、考えるだけではなく、作品と人、作品と空間、つくる人と見る人を実際につなげていく。

一見すると違うことをやっているように見えるかもしれません。でも、私の中では全部同じ方向を向いています。

アートと日常をつなぐこと。

知識として知って終わるのではなく、自分の生活へ戻ってくるところまでやりたい。

京都から、問いを共有する

NACKを始めた理由を、以前の私はAI時代に必要になる「問いを立てる力」から説明しました。それは今でも変わっていません。

ただ、NACKを続け、自分自身の過去まで振り返るようになった今は、もう少しだけ違う言い方ができます。

私は昔から、いろいろなものに興味を持ってきました。美術、デザイン、音楽、映画、ファッション、車、テクノロジー、街、人。

それぞれを別々の趣味だと思っていた時期もありました。でも今は、そう思いません。

全部、世界を理解するために触ってきたものだったのだと思います。

そして、その中心にアートがあった。

アートには、すぐに答えが出ない。だから見る。考える。調べる。誰かと話す。また見る。その繰り返しによって、世界の解像度が少しずつ上がっていきます。

私はその面白さを、もっと日常に持ち込みたい。

アートに詳しい人だけのものではなく、普段は美術館へ行かない人にも。音楽が好きな人にも。服が好きな人にも。車が好きな人にも。デザインやテクノロジーが好きな人にも。

どこから入ってもいい。そこから少しだけ世界が広がればいい。

そしていつか、「これは良い」だけではなく、「なぜ、自分はこれを良いと思うんだろう」と考える人が増えたらいい。

それが、私がNACKをつくる理由です。

NACKは、完成した答えではありません。私自身も、まだ学んでいる途中です。だからこれからも、考えが変われば更新すると思います。

正解を固定するためにつくった場所ではない。問い続けるためにつくった場所だから。

アートと日常をつなぐ。

その言葉の意味を、自分自身も確かめながら、これからもNACKをつくっていきます。

EDITORIAL PROFILE

田村 祐大

NACK / 企画・編集

岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

アートを入口に、文化・経済・社会・テクノロジーの関係を読み解くNACK Journal / Timesを企画・編集している。