AI時代とは何か——まずはていねいに整理したい
私がAI、とりわけ機械学習というものに初めて本格的に触れたのは、2018年のことだった。
当時、私はいまならWeb3と呼ばれる領域、当時でいうブロックチェーンのスタートアップに、プロダクトデザイナーとしてジョインしたばかりだった。エンジニアリングの勉強もしたくて、題材として選んだのがPythonによる機械学習だった。
その後、2022年ごろにStable Diffusionにのめり込んだ。Promptを打つだけで、思いもよらないイラストや写真が生成される。環境構築だけで一日が潰れるような泥臭さも含めて、あの時の熱狂はいまでも鮮明に覚えている。
そして2022年11月、ChatGPTが公開された。そこから世界の「仕事」の概念は、静かに、しかし確実に変わり始めた。
AIは、答えを出す能力において、すでに多くの領域で人間を上回り始めている。だからこそ、これから人間に求められるのは、答えを早く出すことではない。
何を問うのかを決めること。
この記事では、AI時代における「問いを立てる力」と、私が立ち上げているNACKというアートプロジェクトの関係について整理してみたい。
「問いを立てる力」こそが、AI時代において最も価値を持つスキルになる。
「なんでも出来ちゃう時代」に何をするか
前述のレポートから私はこう解釈した。AIによってデザイナーが不要になることはないが、役割や期待値はかなり変わる、と。スペシャリストかジェネラリストかの二者択一ではなくどちらも取りに行くようなπ型人材のごとく、スキル面ではあらゆる分野を越境していき、プロセスは個になりどんどん孤立していく。しかし持続可能性は私たちの周りにいるステークホルダーとの関係値で成り立つ——AI時代だからこそ、この関係性を大切にしたいのだ。この逆説こそが重要だと考えている。
実際、職種の境界はすでに崩れ始めている。営業がサービスや財務を語り、PMがUXデザイナーになり、デザイナーが実装し、エンジニアがUIを語り出している。ツールが民主化されたことで、「誰でも作れる時代」が到来した。
だとすれば、「出来ちゃう時代に何をするか?」という問いへの答えは一つに収束する。
それはコンセプトワークだ。
正解を出すことよりも、本質的な問いを見抜くこと。そのためには商売の本質的な理解とステークホルダーの理解が不可欠になる。PMF(プロダクトマーケットフィット)のフレームでいうとオーナーが描く「センターピン」——プロジェクトの核心にある一点——をどれだけ解像度高くチームで共有できているか。それがアウトプットとアウトカムを根本的に左右する。
ビジネスでは様々なフレームを活用し、戦略を立てる。 アーティストは直感的にコンセプトを立てる。この振る舞いは全く同じものである。
コンセプトワークとは、アートが何世紀も前からやってきたこととまったく同じなのである。
私なりのもっとも噛み砕いて距離感近い言い方をすると「にいちゃん、何したいねん?」と聞かれた時、その人の人生も巻き込んで「一緒にやろう!」と言わせるだけの口説きと言ってもいいかもしれない。それがコンセプトだ。
その先に、共に何を創るのか?
AIの話から、過去を振り返って、もっと大きな話をしたい。
私たちの社会は、もっと具体的にいうと戦後日本経済は、グローバル資本主義で、効率や成長を前面に押し出してきた。いつだってビジネスは合理的なのだ。
しかし近年は、サステナビリティ、ウェルビーイング、クラフト、地域性といった言葉を、自らの価値形成の中心に取り込み始めている。
ここ数年のビジネス・アート・ファッションの世界のトレンドを観察していると、ある構造的な変化が見えてくる。アングロサクソン的な資本主義——競争・効率・利益の最大化——が、北欧的な倫理観をハックしているように思う。これは個人的見解だ。
パタゴニアは環境活動家の服になり、スターバックスはサステナビリティを語り、ラグジュアリーブランドがセカンダリーを否定しない循環経済を前面に出す。これを単純に「企業の誠実さ」という建前の中に「北欧的な倫理観をグローバル市場でのポジショニングに活用する戦略」という本音も読み取れる。
強いブランドやコミュニティには、内部に共有された倫理や文化を持ちながら、外部の市場と接続していく構造がある。内側の信頼と、外側への開かれた接続。その両方を持つことが、これからのビジネスに求められているのではないか。
今、ビジネスをやろうとすればするほど、持続可能性は必然となる。AIがそのスピードを100倍にした結果、持続可能性を設計しなければシステムごと壊れる構造にもなっているのだ。
良いものを、永く、深く、使う
では、本当の意味での持続可能性とは何か。
所有とは、消費ではなく、自分の人生と一緒に時間をかけて関係を結ぶことだと思う。
私はレコードやビンテージの花瓶、食器、照明をコレクションしている。理由はシンプルだ。良いものは、長く使える。 イッタラやエリック・ホグランドの作品、スーホルムの照明、ワーゲンフェルドやスタルハンの花瓶など、北欧やドイツのデザインが体現しているのは「使い捨てない」という思想で、それは美しさと機能と時間が一体になったものだ。
靴でも同じだ。安い靴を毎年買い替えるより、J.M. WESTONやエンダースキーマの職人が作った一足を十年かけて育てる方が豊かだ。服でも、家具でも。メガネも鯖江の職人が手がけたものを愛用している。車でも同じだ、私は80年代のイタリアの大衆車を今も元気に乗っている、むしろ、それ以上にそれ以外必要としていないのだ。
この感覚は、日本のデザインの文脈でも同じように流れている。柳宗悦が起こした民藝運動——無名の職人が作る日常の器に宿る美——を、息子の柳宗理は工業デザインとして体現した。バタフライスツールや台所道具は今も生産され続け、使うほどに馴染んでいく。深澤直人が無印良品のために設計したCDプレーヤーの壁掛けコードを引くと音が鳴るという設計は、「思わずそうしてしまう」という人間の無意識の動作に寄り添ったものだ。佐藤卓が手がけるデザインは、明治ブルガリアヨーグルトのパッケージから子供向けのNHK番組まで、「余計なものを足さない」という哲学が一貫している。
三者に共通するのは、「どう見せるか」より「どう在るか」を先に問う姿勢だ。
興味深いのは、ビジネスも、アートも、デザインも、それらの営みが生まれてから今日まで、本質的には何も変わっていないことだ。ツールが木炭からAIになっても、「誰のために、何を、なぜ作るか」という問いはずっと変わらず同じなのだ。
ビジネス全体が、「問いを立てる力」を求め始めた
それは、京都と東京を行き来する移動時間の中で感じたことだった。
新幹線って京都から名古屋あたりはネットもつながり快適なのだが、小田原〜品川間はトンネルが多くて、CodexもClaude CodeもCanvaもつながらないため、作業は強制的に一時停止する。そんな時、駅弁を食べながらよく物思いにふける。いい思考の時間になっている。
プロジェクトを上手に進行していこうよということでフレームが用意されているPMBOKというものがある。
PMBOK第7版以降は、「プロセス重視」から「原則重視」へとパラダイムを転換した。つまり、マインドセットやスタンスを重要視したのだ。これは単なるPM手法の話ではなく、ビジネス全体に起きている構造変化の縮図だ。MBA教育ではデザイン思考が必修化され、スタートアップの世界ではリーンスタートアップが「完成品を作ってから売る」という発想を否定し、企業のパーパス経営への移行も、「自社はなぜ存在するのか」という根本的な問いを経営の中心に置くことだ。
共通しているのは 「答えの精度を上げる前に、問いの質を高めろ」 というメッセージだ。
経営者にとっての「コンセプチュアルスキル」とアート
経営能力が求められるレベルが上がるほど、コンセプチュアルスキルの重要性が増す。これをファッションビジネスで考えると、答えは一目瞭然だ。
コムデギャルソンの川久保玲は、1981年のパリコレへの初進出時、ほつれた布地・黒一色・身体を隠すシルエットで欧米のプレスを震撼させた。「乞食のファッション」「広島シック」と酷評されたが、川久保は一切ぶれなかった。彼女が問い続けたのは「服とは何か」「美しさとは何か」という根本的な問いだった。トレンドではなく問いを軸に据えたからこそ、40年以上経った今も唯一無二のポジションを持ち続けている。
ルイ・ヴィトンが1854年の創業から170年以上生き残っているのも、同じ理由だ。「旅を豊かにする」という根本的な問いから始まったブランドが、村上隆やジェフ・クーンズとコラボレーションしてアートと交差しながら、本質的な問いをぶらさなかった。
エルメスはさらに徹底している。バーキン一つを、一人の職人が最初から最後まで作り上げる。18時間から24時間の手仕事。量産しない、急がない、妥協しない——「クラフトマンシップとは何か」という問いへの、最も誠実な答えだ。
問いを持っているブランドは、時代を超える。問いを持たないブランドは、トレンドとともに消える。
経営者が「時間をかけてロジカルにコンセプトを積み上げる」とすれば、アーティストは「感覚的に一瞬でコンセプトを固める」。アプローチは真逆に見えるが、やっていることは本質的に同じだ。左脳と右脳の違いはある。しかし、たどり着こうとしている場所は変わらない。
現代アートを「リバース思考」する
現代アートの本質は「眺めること」ではなく、「なぜこれを作ったのか」をリバース思考することにある。
つまり、この作品のコンセプトは何なのだろうか?自分が納得いくまで深掘りしてみる。本当にそうか?も疑ってみる。もしかしたら複雑ではなく、心の声に聞いてみるのも良いかもしれない。知性なんていつだって感性とは切っては切れない。
なぜこの色なのか、この素材を選んだ意図は何か、このモチーフは何を参照しているのか、作者はどんな時代に生き、どんなトラウマや怒りや喜びを抱えていたのか——それを紐解いていく。
それは一人の人間の人生を、作品を通じて読み解くことだ。
アートとは、突き詰めれば人生そのものだ。 アートを学ぶとは、他者の人生から「問いの立て方」を盗むことだ。そしてその問いは、あなた自身のビジネスと人生に転用できる。
三方よしと、陰徳を超えた個の開示
近江商人の「三方よし」は今こそ掘り返すべき概念だ。これからも競争は変わらず続く。しかし大事なことは、ステークホルダー全員が倫理観を持ち、積極的に情報を開示し、個性をスパークさせることだ。
「陰徳」——善いことを黙ってやる美徳——は日本固有の美意識だが、今の時代においては払拭すべきかもしれない。自分の価値観、やっていること、信じる美学を積極的に外に出す。近江商人的な情報開示を現代に実装することが、信頼の構築に直結する。
みんな主役だし、みんながサポーター。NACKはそういう場所でありたい。
施設・事業者は、空間に作品と物語を迎え入れることで、訪れる人に新しい体験を届けられる。
アーティストは、作品を販売して終わりではなく、空間の中で継続的に出会われる機会を得る。
所有者は、作品をただ保有するだけでなく、NACKを通じて社会の中に循環させることができる。
NACKは、このエコシステム全体の「編集者・翻訳者」として、作品・空間・人のあいだに価値の流れを設計する。美学の基準を持ちながら、全員が豊かになる関係性をつくること。
それがNACKの根本的な思想だ。
あなたをコミュニティに招待したい
問いは、一人で持つより、仲間と持つ方が良い。 「◯◯したいんだけど」と思ったら、AIに聞くことも良いが、聞けるなら人に聞きたい。
NACK journalでは美学の土台を作り、NACK Timesでは現在進行形の問いを共有し、イベントとコミュニティでリアルに繋がる。そしていつか、一緒にアートの経済圏を作る。
VUCAの時代に必要な「問いを立てる力」を、京都から世界へ。それがNACKのミッションだ。
NACKに、参加してほしい。
NACKについて
NACK
- NACK marketplace — 京都ゆかりのアート作品を通じて、作家・所有者・空間事業者をつなぐ、NFTアートのサブスクマーケットプレイス(準備中)
NACK editorial
- NACK journal — 美学の思索・アート史を深く学ぶ編集メディア
- NACK times — アートと社会・ビジネスをつなぐ批評メディア(本メディア)
About: NACK
正解のない時代に、問いを立て、アートという身体で歩く。
AIが日常になり、まさに先行きが分からないVUCAの時代です。昨日までの正解が、今日はもう通用しない。そんな不確実な世界で生きていくために何より大事なのは、「正解そのもの」を手に入れることではなく、「正解をずっと探し続け、問い続ける人」であり続けることではないでしょうか。
物事の抽象度を上げ、その本質を見極めること。そのためには、頭の中の思考や論理だけではなく、五感で感じる「身体的な体験」がものを言います。私にとって、そのための、私なりの近道が「アートを学ぶこと」でした。
凝り固まった視点を一度リセットし、世界を多層的に捉え直す。NACKは、私が日々の生活や表現を通じて触れた「思考の断片」を、ありのままに記録していく場所です。
理屈はこれくらいにして。さあ、一杯飲みに行きませんか。

