正解は見つかる。参考事例も集まる。それでも、自分たちは何を大切にして選ぶのかで迷う。仕事でも暮らしでも、そんな場面があります。
NACKは、アートを学ぶことを、世界と自分のあいだにある関係を、自分の言葉で組み直すことだと考えています。
何を美しいと思うのか。なぜ違和感を覚えるのか。誰が価値を決め、誰に届き、誰がその価値から取り残されているのか。作品の前で生まれる問いは、仕事、生活、経済、テクノロジー、そして日々の選択へつながっていきます。
アートを入口に世界を学び、得た問いを社会のなかで試し、作品と人と場所の関係をつくり直す。 これがNACKの出発点です。
以下では、創業者・田村祐大の経験を手がかりに、この考え方が生まれた背景と、NACKとして大切にする方針を伝えます。
答えが速くなるほど、何を問うかが残る
私が機械学習に本格的に触れたのは2018年です。当時は金融庁の登録を受けた暗号資産交換業者でプロダクトデザインに携わり、Pythonを学ぶ題材として機械学習を選びました。2022年にはStable Diffusionに没頭し、ChatGPTが登場してからは、AIは調査や試作だけでなく、文章、音楽、映像、ゲームをつくる日常の相棒になりました。
AIによって、私一人では届かなかった場所まで制作できるようになった。その変化を、私は恐怖よりも解放として経験しています。一方で、つくれるものが増えるほど、別の問題がはっきりしました。
速くつくれることと、つくる意味があることは同じではない。
私は音楽制作で、まず自分の経験からSOURCEをつくり、それをAIへ再入力して再解釈させ、返ってきた無数の可能性から人間が選び、Worldwide Mixとして世界へ返す、という循環を試しています。AIは素材と解釈を増幅する存在です。最後に何を残し、何を捨て、誰に届け、その結果を引き受けるかは人間に残る。
問いとは、AIへ入力するための上手な命令文ではありません。自分は何を見過ごせず、どの問題を引き受けて生きるのかという態度です。答えが無限に生成される時代だからこそ、その態度には以前より大きな価値があります。
「好き」を掘ると、世界の構造が現れる
私は初代フィアット・パンダに乗り、古い音楽機材を使い、コム デ ギャルソンを着ます。美術館へ行き、クラブで音を浴び、映画を観て、街を歩く。
けれど、NACK notesを書くために一つずつ掘り下げると、すべてがつながっていました。なぜパンダはこの形なのかを追えば、ジウジアーロの設計思想だけでなく、工業、生産コスト、イタリアの生活文化へ行き着く。古い音楽機材の音を追えば、当時の技術的制約、クラブの空間、都市の夜、そこで踊った人々の身体へつながる。服や絵画も同じです。形の後ろには、時代、技術、経済、政治、身体、つくった人の判断がある。
ゲシュタルト心理学では、人はばらばらの部分を足し算するのではなく、部分同士の関係がつくる「全体」として物事を知覚すると考えます。文化を読むことも、それに近い。作品だけを孤立させるのではなく、作品、作者、素材、場所、時代、鑑賞者の関係を見ることで、初めて立ち上がる意味があります。
だから「好き」は、単なる好みで終わりません。「なぜ自分はこれを良いと思うのか」と一段深く潜れば、自分がどんな歴史を受け取り、何を価値として選んでいるのかが見えてくる。
私は、アートについて学びたいのではありません。アートから世界を学びたい。 そして世界を学ぶことで、自分の「好き」を借り物の言葉ではなく、自分の選択にしたいのです。
アートは、曖昧さに耐えて意味をつくる訓練です
AI時代には論理より感性が大事だ、と単純に言いたいわけではありません。アートはIQかEQか、頭か心かという二択ではない。見る、感じる、調べる、比較する、疑う、言葉にする。そしてもう一度見る。その往復を要求します。
現代アートの前では、すぐに正解が出ないことがあります。しかし、正解がないから何を言ってもよいわけではありません。色、素材、構図、制作された時代、作者の経験、展示された場所。作品に残された手がかりを集め、自分の解釈をつくり、別の解釈に触れて更新する。その過程で鍛えられるのは、曖昧さに耐えながら、根拠を持って意味をつくる知性です。
これは鑑賞だけの能力ではありません。デザインでも、経営でも、社会の問題でも、最初から課題が正しく定義されているとは限らない。数字が示す事実と、人が感じている現実が食い違うこともある。そこで既存の答えを当てはめるのではなく、「そもそも何を問題として見るべきか」を組み直す力が必要になります。
そしてアートは、思考を頭の中で終わらせません。絵にする。音にする。物にする。空間にする。まだ存在しない関係を、批評できる形で他者の前へ差し出す。アートを学ぶとは、感情を豊かにするだけではなく、自分の感覚を社会へ接続できる形にすることです。
価値は、作品の中だけにも、価格の中だけにもない
私は2018年から2025年まで暗号資産・Web3の現場にいました。ビットコインの価格変動、半減期、ハッキングの記憶、NFTの熱狂と失望を、仕事の内側から見てきました。そこで何度も考えたのは、価値はどこに生まれるのか、ということです。
価格は価値の一つの表現ですが、価値そのものではありません。同じデータでも、誰がつくったのか、どのような履歴を持つのか、誰が信じているのか、どこで交換できるのかによって意味は変わる。アートも同じです。物質だけを分析しても、作品の価値は説明しきれません。作者の問い、技術、時代背景、希少性、批評、所有の履歴、見た人の記憶が重なり、価値が形成されます。
だから私は、芸術的価値と経済的価値を敵同士にしたくありません。市場だけに任せれば、価格の高いものだけが重要に見える。反対に、お金の話を避ければ、制作、保存、展示、研究を続ける人へ対価が戻らず、文化は痩せていく。必要なのは、何を価値として守り、誰と共有し、どう循環させるかを設計することです。
作品は、売れた瞬間に完成するのでも、所有者の部屋に入った瞬間に社会から消えるのでもない。見られ、語られ、記録され、別の空間で新しい記憶と出会うたびに、価値は更新されます。NACKが扱いたいのは、作品という「物」だけではなく、そこから生まれ続ける関係です。
NACKは、学びを社会の循環へ変える
NACKは、記事を読むためだけのメディアでも、作品を買うためだけのマーケットプレイスでもありません。
Journalでは、作品から美術史、哲学、科学、宗教、技術へと深く潜る。Timesでは、アート市場、AI、ビジネス、制度など、現在の社会へ問いを戻し、NACKとして何を大切に判断するかを伝える。Notesでは、私自身の音楽、映画、車、仕事、失敗を入口に、知識が生活の選択へ戻ってくる過程を残す。ここで行っているのは、別々の発信ではなく、知る、感じる、考える、試すという一つの運動です。
その運動を現実の関係へ移す仕組みが、NACKのArchive、Subscription、Communityです。作品と背景を記録し、デジタル化する。作品をホテル、オフィス、店舗などの空間へ届け、日常の中で見られる時間を増やす。そして、アーティスト、所有者、空間を運営する人、鑑賞者をつなぎ、作品が継続的に語られ、支援される関係をつくる。
大切なのは、技術を導入すること自体ではありません。3Dスキャンも、NFTも、サブスクリプションも手段です。中心にあるのは、作品を売って終わらせず、説明し、記録し、対話し、社会の中で生かし続けることです。
アートを学んで見方が変わる。変わった見方が、作品の選び方や空間のつくり方を変える。その選択がアーティストへ機会と対価を返し、次の作品と次の対話を生む。NACKがつくりたいのは、この循環です。
私は、知らないからNACKをつくる
私は、アートの正解を知っているからNACKを始めたのではありません。知らないことが多く、知りたいことが尽きないから始めました。
京都で暮らし、東京と往復しながら、美術、デザイン、音楽、映像、Web3、AIを横断してきました。それらは別々の経歴ではなく、世界がどうつくられ、価値がどう生まれ、人が何を信じるのかを、異なる角度から確かめてきた時間だったのだと思います。
この記事も、以前に書いた文章を現在の自分から書き直したものです。考えが変われば更新する。それは過去の自分を否定することではなく、問いを持ち続けてきた証拠です。NACKも完成した思想ではありません。私自身が学び、試し、間違い、誰かと考え直す過程まで共有する場所です。
世界を知るために、アートを学ぶ。
自分の価値を、他人の尺度だけで決めないために、アートを学ぶ。
そこで生まれた問いを一人で終わらせないために、NACKをつくる。
京都から、作品と人と場所の関係をつくり直していく。その入口を、アートに詳しい人だけでなく、音楽が好きな人、服が好きな人、車が好きな人、テクノロジーが好きな人、まだ自分の入口を見つけていない人にも開きたい。
どこから入ってもいい。けれど、入る前と同じ見方では帰らない。
創業者の経験から始まった問いを、誰もが自分の選択に持ち帰れるものにする。NACKは、そのために学び、記録し、作品と人が出会う機会を育てていきます。

