なぜ今アートを学ぶのか?あなたをNACKに招待したい

なぜ今アートを学ぶのか?あなたをNACKに招待したい

AIが一部の人の実験から日常業務に変わった。だからこそ、僕たちは「問いを立て続ける力」が必要だ。その力を最も鍛える営みが現代アートにある。NACKが京都から問い続ける理由と、あなたをアートを学び続けるコミュニティに招待する。

AI時代とは何か——まずはていねいに整理したい

僕がAI、とりわけ機械学習に触れたのは2018年のことだ。今でいうWeb3、当時でいうブロックチェーンのスタートアップにプロダクトデザイナーとしてジョインした頃で、同時にPythonの勉強がしたくて題材として機械学習を選んだことがキッカケだ。その後、コロナ禍の2022年ごろにStable Diffusionにどハマして、Promptを打てばあっという間にその通りにイラストや写真が生成されたあの時の熱狂を鮮明に覚えている。

そして、今や日常業務で使わない日はない対話型生成AIツールの先駆けであるChatGPTが公開されたのは2022年11月のことだ。それから世界の「仕事」の概念は静かに、しかし確実に変わった。

その変化のスピードを示す数字がある。2026年に公開された「AI in Design Report 2026」によると、デザイン業務でAIを週1回以上使う人の割合は、前年の54%から91%へと跳ね上がった。毎日使う人はすでに75%に達している。「一部の人の実験」から「日常業務」へ——この定着の速さは、デザインに限った話ではない。

AIは「答えを出す能力」において、特定の領域では人間を超え始めている。大学入試で問われてきた知識量、資格試験で測られてきた再現能力、会議で求められてきた瞬時の情報整理——これらは今後、AIとの競争にさらされ続ける。

そんな時代に僕たちが大事にしないといけないものは何か?それは「何を問うか」を決めることだ。

AIはあなたが入力した問いに答える。人類の叡智の集合であるAIは、以前よりはるかに高い精度で、もっともらしい答えを返すようになった。しかし、その答えが本当に問うべき問いに向かっているかどうかは、人間が判断しなければならない。

Pythonの環境構築を必要とした時代から、チャットで扱える時代へとUXは劇的に進化した。それでも、Promptを入力するのは人間である

「問いを立てる力」こそが、AI時代において最も価値を持つスキルになる。

「なんでも出来ちゃう時代」に何をするか

前述のレポートから僕はこう解釈した。AIによってデザイナーが不要になることはないが、役割や期待値はかなり変わる、と。π型人材のごとく、スキル面ではあらゆる分野を越境していき、プロセスは個になりどんどん孤立していく。しかし持続可能性は僕たちの周りにいるステークホルダーとの関係値で成り立つ——AI時代だからこそ、この関係性を大切にしたいのだ。この逆説こそが重要だと考えている。

実際、職種の境界はすでに崩れ始めている。営業がサービスや財務を語り、PMがUXデザイナーになり、デザイナーが実装し、エンジニアがUIを語り出している。ツールが民主化されたことで、「誰でも作れる時代」が到来した。

だとすれば、「出来ちゃう時代に何をするか?」という問いへの答えは一つに収束する。

それはコンセプトワークだ。

正解を出すことよりも、本質的な問いを見抜くこと。そのためには商売の本質的な理解とステークホルダーの理解が不可欠になる。PMF(プロダクトマーケットフィット)のフレームでいうとオーナーが描く「センターピン」——プロジェクトの核心にある一点——をどれだけ解像度高くチームで共有できているか。それがアウトプットとアウトカムを根本的に左右する。

ビジネスでは様々なフレームを活用し、戦略を立てる。アーティストは直感的にコンセプトを立てる。この振る舞いは全く同じものである。

コンセプトワークとは、アートが何世紀も前からやってきたこととまったく同じなのである。

その先に、共に何を創るのか?

AIの話から、もっと大きな話をしたい。

僕たちの社会は、もっと具体的にいうと戦後日本経済は、グローバル資本主義で、効率や成長を前面に押し出してきた。

しかし近年は、サステナビリティ、ウェルビーイング、クラフト、地域性といった言葉を、自らの価値形成の中心に取り込み始めている。

ここ数年のビジネス・アート・ファッションの世界のトレンドを観察していると、ある構造的な変化が見えてくる。アングロサクソン的な資本主義——競争・効率・利益の最大化——が、北欧的な倫理観をハックしているように思う。これは個人的見解だ。

パタゴニアは環境活動家の服になり、スターバックスはサステナビリティを語り、ラグジュアリーブランドがセカンダリーを否定しない循環経済を前面に出す。これを単純に「企業の誠実さ」という建前の中に「北欧的な倫理観をグローバル市場でのポジショニングに活用する戦略」という本音も読み取れる。

また、ユダヤ的な共同体の在り方を思わせる部分もある。強固な内部の倫理・文化・連帯を持ちながら、外部の経済圏では卓越した商才を発揮する——「内の倫理と外の競争力の共存」が、今のグローバルビジネスの最前線で起きていることに似ていると思う。

今、ビジネスをやろうとすればするほど、持続可能性は必然となる。AIがそのスピードを100倍にした結果、持続可能性を設計しなければシステムごと壊れる構造になってきたからだ。

良いものを、永く、深く、使う

では、本当の意味での持続可能性とは何か。

所有とは、消費ではなく、時間をかけて関係を結ぶことだ。

僕はレコードやテージンヴィ花瓶、照明をコレクションしている。理由はシンプルだ。良いものは、長く使える。 イッタラやエリック・ホグランドの作品、スーホルムの照明、ワーゲンフェルドやスタルハンの花瓶など、北欧やドイツのデザインが体現しているのは「使い捨てない」という思想で、それは美しさと機能と時間が一体になったものだ。

靴でも同じだ。安い靴を毎年買い替えるより、J.M. WESTONや職人が作った一足を十年かけて育てる方が豊かだ。車でも同じ。服でも、家具でも。メガネも鯖江の職人が手がけたものを愛用している。

この感覚は、日本のデザインの文脈でも同じように流れている。柳宗悦が起こした民藝運動——無名の職人が作る日常の器に宿る美——を、息子の柳宗理は工業デザインとして体現した。バタフライスツールや台所道具は今も生産され続け、使うほどに馴染んでいく。深澤直人が無印良品のために設計したCDプレーヤーの壁掛けコードを引くと音が鳴るという設計は、「思わずそうしてしまう」という人間の無意識の動作に寄り添ったものだ。佐藤卓が手がけるデザインは、明治ブルガリアヨーグルトのパッケージから子供向けのNHK番組まで、「余計なものを足さない」という哲学が一貫している。

三者に共通するのは、「どう見せるか」より「どう在るか」を先に問う姿勢だ。

興味深いのは、デザインという行為が誕生してから今まで、本質的には何も変わっていないことだ。ツールが木炭からAIになっても、「誰のために、何を、なぜ作るか」という問いはずっと同じだ。アートも然り。

ビジネス全体が、「問いを立てる力」を求め始めた

PMBOK第7版以降は、「プロセス重視」から「原則重視」へとパラダイムを転換した。つまり、マインドセットやスタンスを重要視したのだ。これは単なるPM手法の話ではなく、ビジネス全体に起きている構造変化の縮図だ。MBA教育ではデザイン思考が必修化され、スタートアップの世界ではリーンスタートアップが「完成品を作ってから売る」という発想を否定し、企業のパーパス経営への移行も、「自社はなぜ存在するのか」という根本的な問いを経営の中心に置くことだ。

共通しているのは 「答えの精度を上げる前に、問いの質を高めろ」 というメッセージだ。

経営者にとっての「コンセプチュアルスキル」とアート——コムデギャルソン、LV、エルメスが生き残り続ける理由

経営者のレベルが上がるほど、コンセプチュアルスキルの重要性が増す。これをファッションビジネスで考えると、答えは一目瞭然だ。

コムデギャルソンの川久保玲は、1981年のパリコレへの初進出時、ほつれた布地・黒一色・身体を隠すシルエットで欧米のプレスを震撼させた。「乞食のファッション」「広島シック」と酷評されたが、川久保は一切ぶれなかった。彼女が問い続けたのは「服とは何か」「美しさとは何か」という根本的な問いだった。トレンドではなく問いを軸に据えたからこそ、40年以上経った今も唯一無二のポジションを持ち続けている。

ルイ・ヴィトンが1854年の創業から170年以上生き残っているのも、同じ理由だ。「旅を豊かにする」という根本的な問いから始まったブランドが、村上隆やジェフ・クーンズとコラボレーションしてアートと交差しながら、本質的な問いをぶらさなかった。

エルメスはさらに徹底している。バーキン一つを、一人の職人が最初から最後まで作り上げる。18時間から24時間の手仕事。量産しない、急がない、妥協しない——「クラフトマンシップとは何か」という問いへの、最も誠実な答えだ。

問いを持っているブランドは、時代を超える。問いを持たないブランドは、トレンドとともに消える。

経営者が「時間をかけてロジカルにコンセプトを積み上げる」とすれば、アーティストは「感覚的に一瞬でコンセプトを固める」。アプローチは真逆に見えるが、やっていることは本質的に同じだ。左脳と右脳の違いはある。しかし、たどり着こうとしている場所は変わらない。

現代アートを「リバース思考」する

現代アートの本質は「眺めること」ではなく、「なぜこれを作ったのか」をリバース思考することにある。

なぜこの色なのか、この素材を選んだ意図は何か、このモチーフは何を参照しているのか、作者はどんな時代に生き、どんなトラウマや怒りや喜びを抱えていたのか——それを紐解いていく。

それは一人の人間の人生を、作品を通じて読み解くことだ。

アートとは、突き詰めれば人生そのものだ。 アートを学ぶとは、他者の人生から「問いの立て方」を盗むことだ。そしてその問いは、あなた自身のビジネスと人生に転用できる。

三方よしと、陰徳を超えた個の開示

近江商人の「三方よし」は今こそ掘り返すべき概念だ。競争は変わらず続く。しかし大事なことは、ステークホルダー全員が倫理観を持ち、積極的に情報を開示し、個性をスパークさせることだ。

「陰徳」——善いことを黙ってやる美徳——は日本固有の美意識だが、今の時代においては払拭すべきかもしれない。自分の価値観、やっていること、信じる美学を積極的に外に出す。近江商人的な情報開示を現代に実装することが、信頼の構築に直結する。

NACKはそういう場所でありたい。

施設・事業者は、空間に作品と物語を迎え入れることで、訪れる人に新しい体験を届けられる。

アーティストは、作品を販売して終わりではなく、空間の中で継続的に出会われる機会を得る。

所有者は、作品をただ保有するだけでなく、NACKを通じて社会の中に循環させることができる。

NACKは、その関係性を編集し、作品・空間・人のあいだに価値の流れを設計する。

そしてNACKは、このエコシステム全体の「編集者」として、美学の基準を持ちながら価値の流通を設計する。全員が豊かになる構造——これがNACKの根本的な思想だ。

あなたをコミュニティに招待したい

問いは、一人で持つより、仲間と持つ方が鋭くなる。

NACK journalでは美学の土台を作り、NACK Timesでは現在進行形の問いを共有し、イベントとコミュニティでリアルに繋がる。そしていつか、一緒にアートの経済圏を作る。

VUCAの時代に必要な「問いを立てる力」を、京都から世界へ。それがNACKのミッションだ。

NACKに、参加してほしい。

NACKについて

NACK

  • NACK marketplace — アーティスト直販・NFT・サブスクリプション型アートプラットフォーム(準備中)

NACK editorial

  • NACK journal — 美学の思索・アート史を深く学ぶ編集メディア
  • NACK times — アートと社会・ビジネスをつなぐ批評メディア(本メディア)

About: NACK editorial

正解のない時代に、問いを立て、アートという身体で歩く。

AIが日常になり、まさに先行きが分からないVUCAの時代です。昨日までの正解が、今日はもう通用しない。そんな不確実な世界で生きていくために何より大事なのは、「正解そのもの」を手に入れることではなく、「正解をずっと探し続け、問い続ける人」であり続けることではないでしょうか。

物事の抽象度を上げ、その本質を見極めること。そのためには、頭の中の思考や論理だけではなく、五感で感じる「身体的な体験」がものを言います。僕にとって、そのための、僕なりの近道が「アートを学ぶこと」でした。

凝り固まった視点を一度リセットし、世界を多層的に捉え直す。NACK journalは、僕が日々の生活や表現を通じて触れた「思考の断片」を、ありのままに記録していく場所です。

理屈はこれくらいにして。さあ、一杯飲みに行きませんか。

監修者: YT

この記事の監修者

YT

岡山県出身。京都在住、時々東京。京都芸術大学 芸術学部卒業。金融庁認可Web3サービスのプロダクトデザインに7年間従事した後、NFTマーケットプレイス「NACK」を始動。趣味はストリートスナップ。愛車は初代Fiat Panda。
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