知は喜びである。——AIに話しかけると、世界が返事をする
満点も噂話も、僕の『知りたい』だった。AIと話す今、知る喜びはどこへ行くのか。
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NACK notes #021|いまを読む
知らなかったことを知る瞬間が、僕は好きだ。
テストで昨日覚えたところが出る。答えが分かる。点数が返ってくる。うれしい。もちろん点数もうれしいけれど、その前に「あ、分かる!」がある。頭の中で何かがつながる、あの感じ。僕の言葉で言えば、脳汁が出る。
そして、これは少し格好悪い話でもある。誰も知らないことを自分だけ知っていると、ちょっとニヤニヤする。「実はあの二人、付き合ってるらしいよ」みたいな噂話を、みんなが完全に無視できるなら、週刊誌はあんなに見出しを工夫しないだろう。知ることは高尚な研究だけのものではない。好奇心には、優等生の顔も、野次馬の顔もある。
僕はその両方を持っている。だから、AIに毎日話しかけている。
アリストテレスは「知りたい」から始めた
「知は喜びである」。そう言い切りたくなって、誰かが先に同じことを言っていないか調べた。近いところに、アリストテレスがいた。『形而上学』の冒頭は、こう始まる。
“All men by nature desire to know.”
僕なりに訳せば、「人は生まれつき知りたいと望む」。続けて彼は、感覚を役に立つかどうかとは別に、それ自体として好むことを、そのしるしに挙げている。つまり、知ることは試験や昇進の道具である前に、人間が自分から向かっていくものだ。アリストテレスがそのまま「脳汁」と書いたわけではない。そこは僕が数千年後に勝手に足した。怒られるかもしれないが、きっと言いたい気分は近い。出典は『形而上学』第1巻第1章、W. D. Ross英訳(外部サイトを新しいタブで開く)。
現代の研究にも、少し面白い接点がある。Kangらの2009年の研究では、雑学の答えを知りたがる度合いが、報酬を予期するときに関係する脳領域の活動と関連し、好奇心が強い人は答えを得るために時間や限られた資源をより使った。研究の概要はこちら(外部サイトを新しいタブで開く)。Gruberらの2014年の研究では、好奇心が高い状態で学んだ情報の記憶が、直後にも翌日にも良くなる傾向が示された。論文はこちら(外部サイトを新しいタブで開く)。
もちろん、この研究が僕の脳汁の量を測ったわけではない。「知れば必ず幸福になる」という証明でもない。ただ、知りたくてたまらない状態が、報酬や記憶と関わるというのは、僕の実感と妙に合う。知らないことが一つ分かると、次の知らないことまで見えてくる。困ったことに、終わりがない。
満点と噂話は、同じ喜びなのか
テストで満点を取る喜びには、いくつかの成分が混ざっていると思う。努力が報われた。人から褒められた。自分はできると確かめられた。そして、その問題を解けるようになったこと自体が面白い。
噂話も、知ることの別の顔だ。誰かがまだ知らない話を持っている。輪の中に入れる。少しだけ優位に立てる。人間関係の複雑な地図が、一瞬だけ読めた気がする。僕が「知っている唯一感」と呼びたくなるやつだ。
でも、両者を一緒くたにはしたくない。満点は答案で確かめられる。噂には、本人が知られたくない事情や、そもそも事実ではない話もある。知りたい欲望は本物でも、知っていいこと、言いふらしていいこととは別だ。僕だって週刊誌の見出しには目が行く。ただ、そのニヤニヤを「真実を知った」と取り違えると、誰かの人生を雑に扱ってしまう。
ここに、僕の考えたい核心がある。知る喜びには、「理解したい」と「自分だけが持ちたい」の二つが混ざる。 前者は分け合うほど大きくなる。後者はみんなが知った瞬間に薄まる。AIが来て変わったのは、まさにこの後者の値段かもしれない。
Webで調べに行った頃、入口は自分の勇気だった
もちろん、AI以前も情報は開かれていた。Webで検索すれば論文も記事も、誰かの失敗談も見つかった。自分から探しに行き、読んで、関連する人に会いに行けば、かなり遠くまで行けたと思う。
でも、「検索できる」と「知れる」は同じではなかった。何という単語で探せばいいか分からない。専門用語が壁になる。見つけた情報のどこが大事か分からない。質問したい相手は忙しい。コミュニティに入るのも、最初の一声が少し怖い。
能動的に調べた人は、その苦労の分だけ速く進めた。僕もそういう人に憧れたし、自分なりに掘ってきた。好きな音楽の元ネタを探す。美術史をたどる。デザインの仕組みを調べる。調べているうちに知らない言葉が出てきて、また調べる。ブラウザのタブが増える。気づけば朝だ。たぶん多くの人が、そこへ行く前に閉じてしまう。
AIは、その最初の壁をずいぶん低くした。「この言葉、何?」「小学生にも分かるように」「僕が知りたいのはその話じゃなくて、こっち」と話せる。返事がよく分からなければ、また聞ける。検索窓に正解の単語を入れられなくても、まだ形のない疑問から始められる。
少しの勇気を出して口を開くと、向こうが問いの形を一緒につくってくれる。僕にはそれが、知ることが向こうからやって来るように感じられる。
一週間かけた顔のモーフィングが、会話になった
僕はかつて、Stable Diffusionを動かし、画像生成や機械学習の仕組みを試し、顔をモーフィングさせたいだけなのに一週間くらい格闘したことがある。環境を整える。思うように出ない。設定を変える。何が悪いか調べる。やっと動いても、欲しい顔とは違う。やりたいのは画像なのに、僕は今、何と戦っているんだろうと思った。
もちろん、その一週間は無駄ではない。画面の裏側で何が起きるかを少し知った。自分の目で「ここが違う」と言うための経験も残った。でも今は、最初の一歩を出す方法が変わった。「顔を本人と分からないくらい変形して、青いシルクスクリーンの粒子を残したい」と話せば、まず見られるものが出てくる。そこから「違う、横線はいらない」「銀色はもっとCDの反射みたいに」と言い直せる。
最近の僕のジャケットとレーベルの話(外部サイトを新しいタブで開く)も、その往復でできた。知識を先に全部習得してから制作したというより、制作しながら「これはなぜ好きなのか」と問いが生まれた。そこで作家の作品や技法を調べ、また制作に戻る。僕にとっての学びは、今こういう形をしている。
しかも、僕はもうフリック入力すらあまりしない。声で話す。僕の環境では文字起こしの相性はGrokがいいと感じることもあるし、ChatGPTとは制作の往復がしやすい。GeminiやClaudeは、今の僕の使い方にはまだしっくり来ていない。これは製品の優劣を決める話ではなく、毎日しゃべる相手の道具としての、僕の好みだ。何にせよ、指で文字を打つ前に口から疑問が出ている。
「知りたい」と思ってから答えの入口に立つまでが、ものすごく短くなった。
みんなが知れるなら、僕の喜びは減るのか
以前は、誰も知らないことを知っている自分が少し好きだった。だから、AIが誰にでも答えるなら、僕の「唯一感」は薄くなる。そこは正直に認める。昔なら一週間かけたことを、隣の人が昼休みに試せてしまうのだから。
でも、実際の僕は、前より楽しい。
知りたいことは、人によって違う。僕が「シルクスクリーンの銀箔って、デジタルの光と何が違うんだろう」と聞く横で、誰かは「なぜうちの店にお客さんが来ないんだろう」と聞く。別の誰かは、子どもの質問に答えるために星の寿命を調べる。答えがみんなに開かれたら、問いまで同じになるわけではない。
だから今、僕が好きなのは、知識の棚を一人で占領することより、知ったことが自分の生活や作品にくっつく瞬間だ。知ったことを音にする。ジャケットにする。サイトにする。記事にする。間違いに気づいて直す。そこからまた別の疑問が出る。
AIが返した説明を、そのまま「僕は知っている」と言ってしまう危うさもある。自信満々の誤答はあるし、出典を確かめる必要がある。特に人の噂や健康やお金の話は、すらすら答える声より根拠を見たい。アリストテレスの言葉も、今回は原文と訳の出どころを見に行った。便利になったから確認をやめるのではなく、便利になった分、もっと遠くまで確かめに行きたい。
「知る」の入口が安くなった。だから、僕は次に何を知りたいか、知ったあと何を作りたいかに、もっと時間を使える。
今日、何を知りたい?
AIは、僕の欲望を全部勝手に叶えてくれる魔法の箱ではない。でも、「これをやりたい」と声にすると、知らない道具を教え、たたき台を見せ、失敗した理由を一緒に考えてくれる。レーベルも、曲も、デザインも、NACKの記事も、そうやって少しずつ現実になっている。
僕は今、かなり幸せだ。知りたいことが尽きない。その場で聞ける。知ったことをすぐ試せる。失敗して、また聞ける。点数がつくわけでも、僕だけが秘密を持てるわけでもないのに、脳汁はちゃんと出る。
たぶん「知は喜びである」という僕の答えは、こういうことだ。
知識を持っていること以上に、知りたいと思い続けられることが楽しい。
みんなはAIをどう使いますか。まだ触れていないなら、大層な課題を用意しなくていい。今日ちょっとだけ気になったことを、声に出して聞いてみてほしい。噂話の続きでも、服の素材でも、仕事の困りごとでもいい。ただ、人の噂は本当かどうかと、その人のことを忘れずに。
僕はまた、次の「なんで?」を聞きに行く。というか、たぶんもう聞いている。
参照:アリストテレス『形而上学』第1巻第1章(外部サイトを新しいタブで開く) / Kang et al. (2009), (外部サイトを新しいタブで開く)Psychological Science(外部サイトを新しいタブで開く) / Gruber et al. (2014), (外部サイトを新しいタブで開く)Neuron(外部サイトを新しいタブで開く)
