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AI時代に必要なのは、編集力だ——デザイナーが考える、生成の先に残る仕事

AI時代に必要なのは、編集力だ——デザイナーが考える、生成の先に残る仕事

いま、生成AIを使えば、文章を書ける。画像をつくれる。動画をつくれる。音楽も、コードも、ゲーム、企画書もつくれる。

少し前まで、それぞれに専門的な技術や時間が必要だったことが、一人の人間の手元で同時に動き始めています。私自身、デザイナーとしてAIを使いながら、文章、映像、音楽、Web、ゲームまで領域を越えて制作するようになりました。

これは間違いなく面白い変化です。ただ、つくれるものが増えるほど、一つの疑問も大きくなりました。

誰もがつくれるようになったとき、何がその人の価値になるのか。

私は、AIに忙殺される毎日の中で、一つの答えに辿り着きました。 その一つが「編集力」だと思っています。

ここでいう編集とは、いわゆる「文章を整えること」だけではありません。

何を残し、何を捨て、何と何をつなぎ、どの順番で見せ、どんな意味として社会に出すのかを決めること。 その判断全体を、ここでは私は編集と呼びたいと思います。

1. 「つくれること」そのものは、価値ではなくなっていく

これまで制作には、技術的な壁がありました。

絵を描くには描く技術が必要だった。映像をつくるには撮影や編集の知識が必要だった。Webサイトをつくるにはデザインだけでなく、実装の知識も必要だった。技術を身につけた人だけが、ある程度「つくる側」に立つことができた。少し世代を戻した表現をすると、テレビを観る視聴者ではなく、「中の人」、つくる側の「プレイヤー」の人です。

生成AIは、その壁を急速に無くしていき、ハードルを低くしています。

だからこれからは、「つくれるかどうか」よりも、なぜそれをつくるのか、なぜその形なのか、なぜ今それを世に出すのかが問われるようになると感じています。

AIに「高級感のあるロゴをつくって」と言えば、それらしい案はいくらでも出てくる。 「感動的な文章を書いて」と言えば、それらしい文章も出てくる。

しかし、選択肢が無限に出てくることと、価値のあるものが生まれることは同じではありません。

むしろ、問題は逆にあります。

選択肢が増えすぎるからこそ、選ぶ力が必要になる。

生成の時代は、同時に選択の時代でもあります。

avex会長 松浦さんのポストを見て、そう思った。 というか、気付かされた。

2. デザインは、もともと編集の仕事だった

考えてみると、デザイナーは昔から編集をしてきました。

デザインというと、色を決めたり、形をつくったり、見た目を美しくしたりする仕事だと思われることがあります。しかし実際の仕事では、その前にもっと多くの判断をしています。

「デザイン」という名前が生まれる前、職能として「グラフィカー」と呼ばれる時からそうでした。

情報の優先順位を決める。不要な言葉を削る。似た要素をまとめる。ユーザーに最初に何を見せるかを決める。余白をつくる。強弱をつける。視線の流れをつくる。場合によっては、依頼されたもの自体を「これは必要ない」と判断する。

Webサイトでも、ポスターでも、サービスでも同じです。

すべての情報を載せれば、良いデザインになるわけではありません。すべてを目立たせれば、何も目立たなくなる。だからデザイナーは、情報を整理し、関係をつくり、見る人が意味を受け取れる形へ変換します。

つまりデザインは、装飾ではなく関係の編集です。

AIによって制作手段が増えた今、この性質はむしろ強くなると思います。自分で一つひとつ手を動かす時間が減るほど、何をつくらせ、何を採用し、何を組み合わせるかという判断の比重が大きくなるからです。

3. 編集力とは、「捨てる力」である

AIを使っていると、一つの案を出すことより、捨てることの方が難しいと感じます。

これは単純に捨て案を量産するというわけではありません。

10案、100案と生成することは簡単です。 しかし、その中から一つを選ぶには基準が必要です。

これは目的に合っているか。

既視感だけで成立していないか。

本当に自分が良いと思っているのか。

情報を足しすぎていないか。

逆に、削ってはいけないものまで削っていないか。

誰に届けるのか。その人にどう受け取られるのか。

そして何より、これは世に出す必要があるのか(いちばん重要、そして難しい)。

AIは「もっとつくる」ことが得意です。だから人間には、「ここで止める」「これは使わない」「こちらを残す」という判断が以前より必要になります。

編集とは、可能性を増やす仕事ではなく、可能性に線を引く仕事でもあります。

私はデザインレビューでも、良いものを足すこと以上に「これはなくていい」と言えることが重要だと思っています。削るには、そのデザインが何のために存在しているのかを理解していなければならないからです。

捨てることは、価値を理解している人にしかできない。

4. プロンプトよりも、「良し悪しを判断できる基準」が残る

AI時代の能力として、プロンプトを書く技術がよく語られます。もちろん、AIに意図を正しく伝える能力は重要です。

ただ私は、長い目で見れば、プロンプトそのものよりも重要になるのは評価基準だと思っています。

インターフェースはこれからもっと簡単になるでしょう。専門的な命令を書かなくても、声で話したり、参考画像を見せたり、過去の制作物を渡したりするだけで、AIが意図を理解する方向へ進んでいくはずです。

そのとき残るのは、「何を頼めるか」ではなく、「返ってきたものをどう見るか」です。

良い。悪い。惜しい。違う。

そして重要なのは、その判断を感覚だけで終わらせず、なぜ違うのかを言葉にできることです。

デザイナーがレビューで「なんとなく違う」と言うだけでは、チームは前に進みません。 目的、ユーザー、文脈、ブランド、情報設計などに分解し、違和感の理由を説明する必要がある。

AIに対しても同じです。

AIが生成したものを採用した瞬間、その判断は人間のものになります。 AIがつくったから、という理由では責任を手放せない。

だから編集には、審美眼だけではなく、判断を説明し、結果を引き受ける力まで含まれると思います。

5. AI時代ほど、自分だけの「SOURCE」が重要になる

もう一つ、編集力と同じくらい重要なのが、何を編集するのかという素材です。

AIだけを見てAIに何かをつくらせ続けると、どうしても既に存在する表現の組み合わせに近づきやすい。そこで差になるのは、自分が何を見てきたのか、何を経験してきたのか、何を残しているのかです。

音楽制作でも同じです。影響を受けたアーティストを真似て作ってみたり、Hip Hopでは楽曲自体をそのまま使ったりします。サンプリングという手法です。

アートでもコラージュという他の人が作ったものを自分の作品として取り入れるという手法があります。

ファッションの世界でも、よく見ることができる光景かもしれません。

日頃、AIを使っているときに、最初の入力フォームに打ち込むのはAIではありません。

自分の過去の記憶、体験、街で見たもの、昔つくった断片。 そうした自分自身のSOURCEをAIへ渡す。

AIに別の可能性を出してもらい、その中から人間が選び直す。

ここで重要なのは、AIが自分の代わりになることではありません。

自分の経験を、AIによって別の角度から見直せることです。

デザイナーにとっても同じだと思います。過去の仕事、失敗、写真、スケッチ、会話、街で感じた違和感、好きな映画、音楽、服、建築。そうした一見ばらばらなものが、編集するとその人固有の視点になります。

サンプリングアーカイヴの量・質により、いかにカオスティックな情報を一つの平面構成に詰め込めることができるのか?はデザイナー腕の見せ所でもあります。

AI時代に価値が上がるのは、AIが持っている知識と競争する人ではなく、AIに渡せる自分の文脈を持っている人なのかもしれません。

ちなみに。釈迦に説法ですが、日本には著作権や肖像権という法律があるので、サンプリングやコラージュなど、自身の作品に他者の作品を使用を推奨する意図は全くありません。

6. どのAIを使うかも、編集である

AIを使うようになってから、私は一つのツールだけを信仰するような使い方をしていません。むしろ、その仕事に対して、どのAIを使うのが一番自然かを考えるようになりました。

昨年末、Nano Bananaが出た直後はGeminiをよく使っていました。画像を扱う仕事では、その時点で自分が欲しい結果に最も早く近づけると感じたからです。その後、Claude Codeを使ったバイブコーディングが現実的になってくると、実装ではClaudeを使う時間が増えました。

今は、GPTをデザインと生活の主軸に置き、Claudeを実装や長い文脈が必要な作業に使うことが多くなっています。

Claude Designで登壇資料やホワイトペーパーをつくると、全体の構成やトーンを揃えたまま組み上げることに強さを感じます。そして、できあがった後に人間が部分を触りやすい。自分で全体を眺めながら、ここは広げる、ここは削る、ここは順番を変える、と編集していきやすい。

一方で、私が一番よく使うのはGPTです。

私の使い方では、GPTは一つの成果物を完成させるためだけの道具というより、デザイン、文章、企画、音楽、ゲーム、仕事、生活まで、考えている途中そのものを往復できる相手に近い。

全体を整えることもできますが、その多くをGPT側に委ねる場面もあります。

それでも使い続けるのは、完成品だけではなく、まだ形になっていない思考を会話しながら編集していくことに向いていると感じるからです。

Claudeは、私にとって長い文脈を抱えた実装や、構造を崩さず完成形まで持っていく仕事で頼りやすい。GPTは、領域をまたぎながら考え続けるための中心に置きやすい。Geminiを使っていた時期もそうですが、これは優劣を決めているわけではありません。

道具には、それぞれ得意な編集の形がある。

ハンマーが優れているか、ドライバーが優れているかを議論しても仕方がないように、AIも目的によって選べばいい。

むしろ「自分はこのAI派だ」と固定するよりも、今やろうとしていることに対して最適な道具を選び直せる方が大事だと思っています。

何をつくるかを決める。何を使うかを決める。どこまでAIに任せ、どこから自分で触るかを決める。

とにかく、何に対しても好奇心を持って、なによりも楽しんでとことん徹底的に取り組んでみる。

AIを選ぶことそのものが、すでに編集なのだと思います。

7. 編集で大事なのは、「間」をつくることかもしれない

そして、編集について考えるとき、私はもう一つ大事なことがあると思っています。

それは、間(ま)をどうつくるかです。

グラフィックデザインで言えば、余白、デッドスペース、スペーシングです。

初心者の頃は、空いている場所を見ると何かを置きたくなる。情報を入れたくなる。ついつい装飾したくなる。

しかし、経験を重ねるほど、何も置かれていない場所がデザインを支えていることが分かってきます。

日本庭園、もっといえば、京都に多くある禅庭は、自然と建造物の間(ま)と取捨選択の傑作です。

余白があるから、情報に優先順位が生まれる。間があるから、次に何を見るべきかが分かる。何もない場所があるから、置かれているものに意味が生まれる。

ただ、これは表層的なグラフィックだけの話ではありません。

コミュニケーションも同じだと思います。

相手にすべてを説明しきる。結論まで先回りする。自分の解釈で全部を埋める。それは一見親切に見えますが、ときに相手が考える場所を奪ってしまいます。

編集とは、自分の考えを一方的に完成させて相手へ渡すことではない。自分の判断を持ちながら、それでも自分が間違っている可能性を残すこと。相手が考え、解釈し、入り込める余地をつくること。 そこまで含めて編集なのだと思います。

もちろん、何も説明しないことが余白なのではありません。それは単なる放置になることもある。必要な情報は置く。でも、置きすぎない。導線はつくる。でも、答えを一つに固定しすぎない。

デザインで余白を取るのと同じように、会話にも、文章にも、組織にも、サービスにも、人が自分で意味をつくれるスペースが必要です。

これは私自身への戒めでもあります。

私は、考えていることが多いぶん、つい喋りすぎる傾向があります。説明しながら次の説明を思いつき、さらに説明してしまう。

だから編集力を語るなら、まず自分が学ばなければいけない。

余白をつくる。沈黙を怖がらない。相手が考えるまで待つ。

たまには、お口チャックだ。

8. デザイナーは「つくる人」から、「可能性を編集する人」へ

AIによって、デザイナーの仕事は減ると言われることがあります。実際、これまで人間が時間をかけていた制作の一部は、確実にAIへ移っていくと思います。

でも私は、それをデザイナーの仕事がなくなることだとは考えていません。

むしろ仕事の範囲が広がる。

問いを決める。素材を集める。AIに方向を与える。大量の案から選ぶ。異なる領域をつなぐ。順番をつくる。意味を与える。社会へ出す。そして結果を見る。

文章、映像、音楽、コードまで生成できるようになれば、デザイナーは一つの画面を整えるだけの人ではなくなります。プロダクト、ブランド、コンテンツ、体験そのものを横断して編集できるようになる。

その意味では、これからのデザイナーは、編集者であり、ディレクターであり、時にはキュレーターに近い存在になっていくのだと思います。

NACK(New Archive of Contemporary (Art/Culture), Kyoto)について考えていても、同じことを感じます。

後世に残すべきアートやカルチャーをデジタル化することも、すべてを無差別に保存することではありません。何を残すのか。

どんな文脈と一緒に残すのか。誰と出会わせるのか。

未来から現在を見たとき、何が意味を持つのか。

それもまた、編集です。

もっといえば、

何を残したいのか

誰と出会いたいのか

意味を持たせるのか

と言えるかもしれません。

AIによって世界に存在する「答え」は、これからさらに増えていきます。

だからこそ、人間に必要なのは答えを大量につくる能力ではない。

無数の可能性の中から、自分の基準で選び、関係をつくり、意味として残す力。

私は、それを「編集力」と呼びたいと思います。

そしてデザイナーは、もともとその訓練をずっとしてきた職業なのだと思います。

あらゆる場面で、編集していく。

デザイナーに限らず、AI時代における編集力の話でした。

最後までお付き合い、ありがとうございました!

    NACK notes / PROFILE

    田村 祐大

    Designer / NACK Founder

    岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

    NACK notesでは、映画、YouTube、音楽、車、日々の選択を、自分の経験とアート・デザインの視点から読み直す。専門家として結論を示すのではなく、一人の読み手として考えた過程を記録している。