言葉の前に、身体が理解する記号
オトル・アイヒャーのピクトグラムは、あまりにも当たり前に見えます。走る人、泳ぐ人、跳ぶ人です。黒く単純化された身体は、国籍も年齢も表情も持ちません。それなのに、私たちはそれが何を意味しているのか、ほとんど瞬間的に理解します。
ミュンヘン五輪の記号体系は、アイヒャーが率いたVisual Design Groupの仕事です。Gerhard Joksch、Alfred Kernらが制作へ関わり、東京1964で整備された非言語的なスポーツ記号を参照しつつ、45度・90度の線、一定の太さ、身体部位の組合せを規則化しました。「単独の天才が誰にでも通じる言語を発明した」とは捉えません。
美術史の中で見れば、これは宗教画や地図や紋章に続く、記号の歴史の一部です。人間は昔から、複雑な世界を単純な図像へ置き換えてきました。アイヒャーはその営みを、近代都市と国際イベントのスケールでやり直しました。
戦後ドイツのイメージを、どう作り直すか
ミュンヘン五輪の視覚計画が重かったのは、それが単なるスポーツイベントではなかったからです。ドイツは、1936年ベルリン五輪の記憶を背負っていました。国家、権力、身体、群衆、演出です。オリンピックのイメージは、政治と切り離せません。
アイヒャーが目指したのは、威圧的な記念碑性ではなく、開かれた明るさでした。淡いブルー、グリーン、シルバーです。硬い国家色ではなく、軽やかな色彩です。英雄的な肉体ではなく、匿名の身体です。そこには、戦後ドイツが自分自身をどう見せ直すのかという、非常に大きな問いがありました。
デザインはここで、歴史の修復に関わっています。アイヒャーのピクトグラムやサインは、過去を消すものではありません。しかし、別の公共性を提示することはできます。強い中心ではなく、分かりやすい仕組みです。命令ではなく、案内です。象徴ではなく、使用です。これが、アイヒャーの静かな政治性でした。
公共デザインは、見えない倫理である
優れた公共デザインは、目立ちません。道に迷わないとき、私たちはサインの存在を忘れています。駅で自然に乗り換えられるとき、案内表示の設計者を思い出すことはありません。けれど、その「思い出さないで済む」状態こそ、公共デザインの成功です。
ピクトグラムは言語への依存を減らせますが、文化、視力、認知、競技知識、表示位置によって理解度は変わります。単純化した身体像も完全に中立ではありません。公共サインは、記号だけで完結させず、文字・色・位置・反復を組み合わせ、利用者テストとアクセシビリティ基準で検証します。
ポール・ランドが企業に顔を与えたとすれば、アイヒャーは公共空間に言葉を与えました。しかもそれは、声高な言葉ではありません。身体が理解する、静かな言葉でした。デザインが社会をよくするという言葉は、しばしば軽く聞こえます。しかしアイヒャーの仕事を見ると、その言葉は急に具体的になります。人が迷わず歩けることです。誰かが排除されないことです。公共性とは、そうした小さな設計の集積なのです。
ミュンヘン1972をチームと規則で読む
Visual Design Groupは、スポーツ記号だけでなく、エンブレム、Univers書体、配色、サイン、印刷物、ユニフォームを同じシステムへ統合しました。明るい青、緑、銀などは、Berlin 1936の威圧的な国家演出と距離を置き、「明るい大会」を示す意図と結びつきました。ただしデザインが歴史を修復した、あるいは政治から自由だったとは言えません。大会中の襲撃事件を含む歴史を視覚計画の成功談で覆わないことが必要です。
評価するときは、Aicherをディレクターとして記し、Jokschらの制作クレジットを併記します。記号の45度・90度、線幅、身体部位、背景とのコントラストを観察し、実際の理解度は利用条件ごとにテストします。
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