音楽史と視覚表現とは何か:楽譜、絵画、ライブ演出を読む

音楽は目に見えない——だからこそ人は音を「見える形」にしてきました。ネウマ譜から五線譜、レコードジャケット、ライブの照明演出まで、音楽史と視覚文化が交差する場面をたどります。

Updated 

16人の芸術家Artist Type — アーティスト診断

あなたの中に、どの芸術家がいる?

12の質問で、あなたをつくる3人の芸術家がわかる。約3分。

音楽史と視覚表現とは何か:楽譜、絵画、ライブ演出を読む

黒い背景にガラスのプリズム、差し込む一筋の白い光が七色に分かれていく——ピンク・フロイドのアルバム『狂気』(1973)のジャケットは、収録曲を一度も聴いたことがない人にさえ知られています。デザイン集団ヒプノシスが手がけたこの図像は、音楽が音だけで完結するものではなく、イメージとともに記憶される文化であることを象徴しています。

考えてみれば不思議なことです。音楽は目に見えず、鳴った端から消えていきます。それなのに人類は千年以上にわたり、音を書きとめ、描き、光らせて、執拗に「見える形」へ変換し続けてきました。楽譜、絵画、ジャケット、ステージの光です。音楽史を視覚文化の側から読み直すと、音と目の共犯関係の歴史が浮かび上がってきます。

ネウマから五線譜へ——音を書きとめる千年の発明

音楽の視覚化の出発点は楽譜です。9世紀ごろのヨーロッパの修道院では、グレゴリオ聖歌の歌詞の上に、旋律の上がり下がりを示す小さな記号が書き込まれるようになりました。ネウマ譜と呼ばれるこの記号は、音の高さを正確には示せず、すでに旋律を知っている歌い手の記憶を補助するものでした。11世紀ごろ、修道士グイード・ダレッツォが考案したとされる譜線の仕組みによって、音の高さは線と間隙の位置として空間に固定されます。ここから発展した五線譜は、時間の芸術である音楽を、左から右へ読む二次元の図面へと翻訳する装置でした。

この発明の意義は記録にとどまりません。楽譜があるからこそ、複数の声部が精密に絡み合う多声音楽が作曲可能になり、作品は作曲者の死後も繰り返し演奏される「テキスト」になりました。手写しの時代の装飾された聖歌集から、活版印刷による楽譜出版まで、楽譜そのものが書物として造形美を競った歴史も見逃せません。楽譜は音楽の設計図であると同時に、それ自体がグラフィックデザインの先駆だったのです。

PRデザインや表現を自分の手で試したい方へAdobe Creative Cloud

絵画の中の楽器——フェルメールとヴァニタス

音そのものを描けない絵画は、代わりに「音楽する場面」を描いてきました。中世の写本や祭壇画には楽器を奏でる天使が繰り返し登場し、天上の調和を視覚化しました。17世紀オランダの風俗画では、音楽は世俗の意味を帯びます。フェルメールはヴァージナル(小型の鍵盤楽器)の前に立つ女性やリュートを調弦する女性を描きましたが、当時、男女が共に楽を奏でる場面は恋愛や調和の暗示として読まれたと言われています。

同じ時代のヴァニタス(人生の虚しさを寓意する静物画)では、楽器は逆の意味を担いました。鳴り終われば消える音は、はかなさの完璧な象徴です。テーブルに置かれた弦の切れたリュートや笛は、頭蓋骨や消えた蝋燭と並んで「この世の快楽は過ぎ去る」と語ります。絵の中の楽器は、鳴っていないにもかかわらず、見る者の内側で意味を鳴らす記号だったのです。

日本の視覚文化にも、音を描く豊かな伝統があります。浮世絵には三味線や琴を奏でる場面が数多く残り、遊里や座敷の音曲文化を今に伝えています。楽器の構え方や撥の角度まで写し取られた図像は、録音技術以前の「音の記録」として貴重な資料でもあります。洋の東西を問わず、絵画は消えゆく音のいわば代理保存装置として機能してきたのです。

音楽になりたい絵画——カンディンスキーと図形楽譜

19世紀末になると、関係は逆転します。絵画のほうが音楽に憧れ始めるのです。批評家ウォルター・ペイターは「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」と述べました。物語や事物を再現しなくても、音の配列だけで人を震わせる音楽は、再現から自由になりたい画家たちの理想でした。ホイッスラーは夜景画に『ノクターン』と音楽の題名を与え、色彩の調和そのものを主題にしました。

ワシリー・カンディンスキーは、音に色を感じる共感覚的な体験をもとに、色と形だけで構成される抽象絵画へ踏み出しました。彼は絵画の構成を楽曲の構成術のように理論化し、作品に『コンポジション』『即興』と音楽用語の題名を付けています。バウハウスで同僚だったパウル・クレーも、ポリフォニー(多声音楽)の構造を色面の重なりに翻訳しようと試みました。20世紀後半には逆に、音楽の側が楽譜を絵画に近づけます。ジョン・ケージらの図形楽譜は、五線譜の代わりに図形や線で演奏の可能性を開き、楽譜は「指示書」から「見て解釈する作品」へと変貌しました。音と絵は、互いのあり方を借り合いながら抽象の時代を切り開いたのです。

PR移動中や作業中に本を聴きたい方へAmazonのオーディオブックAudible

レコードジャケットという12インチの画廊

20世紀、録音技術は音楽を「モノ」に変えました。そしてモノには顔が必要でした。1940年前後、デザイナーのアレックス・スタインワイスがイラスト入りのレコードジャケットを考案したとされ、それまで無地の袋に入っていたレコードは、店頭で目を引く視覚商品になりました。1950年代のジャズレーベル、ブルーノートでは、大胆なタイポグラフィとモノクロ写真のジャケットがモダンジャズの精悍なイメージそのものを作り上げました。

1960年代以降、ジャケットは若者文化の画廊になります。ウォーホルがバナナを描いたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジャケット、ピーター・サヴィルがジョイ・ディヴィジョンのために電波観測の波形図を引用した『アンノウン・プレジャーズ』——音を聴く前にイメージが音楽の意味を予告し、部屋に飾られ、Tシャツになりました。CDで縮小し、ストリーミングで画面上の小さな正方形になった今も、ジャケットは音楽の顔であり続けています。むしろ画像として拡散される現在のほうが、視覚の役割は増しているのかもしれません。

闇と光——ライブ演出の系譜

生演奏の場でも、視覚は設計されてきました。1876年に開場したワーグナーのバイロイト祝祭劇場は、客席を暗くし、オーケストラを舞台下に隠すことで、観客の意識を舞台の光景と音響に集中させたことで知られます。今日のコンサートホールや映画館の「暗闇」は、この演出思想の子孫です。

20世紀後半には、音楽そのものが映像作品になりました。1981年に開局した音楽専門チャンネルMTVはミュージックビデオという形式を定着させ、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のように、曲と不可分の物語映像が音楽の記憶を塗り替えていきます。ヒット曲は「聴くもの」であると同時に「見るもの」になり、この構造は今日の動画配信サイトにそのまま受け継がれています。再生回数という言葉が音楽の指標になったこと自体、音楽の視覚メディア化を物語っています。

20世紀後半のロックは、光を音楽の一部にしました。サイケデリック文化のリキッドライトショー、レーザーと照明の同期、巨大LEDスクリーンです。現代では、プロジェクションマッピングやドローンの編隊が音と同期し、コンサートは総合的な光の建築になっています。祭りの松明から最新のライブ演出まで、人は音の高揚を光の高揚で増幅してきました。音楽史とは、耳の歴史であると同時に、目の歴史でもあるのです。

PR暮らしの中のものを次の誰かへ渡したい方へメルカリ

音楽を「見る」ための4つの視点

  • 楽譜を画像として眺めてみます。読めなくてもよいです。音符の密度や曲線から、曲の性格が視覚的に伝わってくることに気づくはずです。
  • 絵画の中に楽器を探します。誰が、誰と、どんな場で奏でているかを観察すると、その時代の音楽の社会的な意味が見えてきます。
  • 好きなアルバムのジャケットを「一枚の作品」として鑑賞し、音楽のどの要素を視覚化しているのかを言葉にしてみます。
  • ライブや配信で、照明が変わる瞬間と曲の展開の対応を観察します。光のデザインが感情の設計図になっていることが分かります。
  • 同じ曲をミュージックビデオありとなしで聴き比べ、映像が音の聴こえ方や記憶の残り方をどう変えるかを確かめてみます。

プリズムの図像が音より先に世界を巡ったように、音楽は常にイメージと二人三脚で歩いてきました。次に音楽を聴くとき、その音がまとってきた視覚の衣装にも目を向けてみてほしいです。耳と目を往復するとき、音楽史はいっそう立体的に立ち上がってきます。

企画・編集: 田村 祐大

企画・編集

田村 祐大

NACK / 企画・編集

岡山県出身、京都在住、時々東京。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間従事した後、NACKを始動。

アートを入口に、文化・経済・社会・テクノロジーの関係を読み解く「NACK Journal / Times」を企画・編集している。

Follow Me:

この記事には広告リンクが含まれます。NACK Journalでは、記事内容や読者の関心に近い商品・サービスを掲載しています。

Related Stories

印象派とは?1874年の独立展、光と筆触、主要画家を解説
Art / History / Philosophy

印象派とは?1874年の独立展、光と筆触、主要画家を解説

印象派とは、1874年にパリで独立展を開いた多様な画家たちを起点に語られる美術運動です。モネ、モリゾ、ドガ、ピサロらは同じ様式で統一されていたわけではありません。サロン外の展示、近代都市、屋外制作、可視的な筆触、浮世絵や写真との関係から、光だけに還元できない印象派の特徴を解説します。

Read
彫刻とは何か:石と身体から、空間・インスタレーションへ
Art / History / Body / Architecture

彫刻とは何か:石と身体から、空間・インスタレーションへ

彫刻とは、素材に形を与え、現実の空間に、量、表面、重さ、空洞、距離を作る表現です。石や木を彫る像だけでなく、粘土を盛る、金属を鋳造・溶接する、既製品を組む、土地を動かす、光や音で空間を構成する実践まで含みます。歴史を通して変わったのは素材だけではありません。身体を表す物から、見る人の身体と場所の関係を作る作品へ、彫刻の重心が広がりました。

Read
抽象絵画とは何か:カンディンスキー、モンドリアン、ポロック、ロスコの違い
Art / History / Philosophy

抽象絵画とは何か:カンディンスキー、モンドリアン、ポロック、ロスコの違い

抽象絵画とは、目に見える人物や風景をそのまま再現することを主目的にせず、色、線、形、絵具の動き、画面の大きさを表現の中心にする絵画です。ただし抽象は一つの様式ではありません。カンディンスキーは色と形の響き、モンドリアンは関係の均衡、ポロックは描く行為、ロスコは色面に向き合う身体的な経験を追究しました。四人の違いが分かれば、「何が描いてあるか」以外の見方が持てます。

Read