古い作品が明治になって突然生まれたわけではありません。しかし「日本美術」として収集し、展示し、教える枠組みは近代に整えられました。博覧会、博物館、東京美術学校から考えます。
古い作品と新しい分類
仏像、絵巻、屏風、陶器は明治以前から存在しました。一方、それらを「日本美術」の歴史として並べ、国外へ説明し、学校で教える制度は近代に形を変えます。「日本美術は明治の発明」と言うときに問題にしているのは作品の制作年ではなく、何を同じ歴史の中へ入れるかという分類です。
博覧会と博物館
明治政府は海外の博覧会で日本の品々を展示し、産業と文化の姿を示しました。東京国立博物館の資料には、1873年のウィーン万国博覧会に出す品を準備する仕事と、国内の古美術を調査・保存する仕事が結びついたことが記されています。輸出向けの工芸、古い寺社の品、学術資料は、現在の美術館なら別々に分類される場合があります。当時の分類の動きをたどると「美術」の境界が固定ではないと分かります。
学校が伝統を組み直す
東京美術学校は1887年に設置され、1889年に開校しました。絵画、彫刻、美術工芸を教える学校の成立は、技法を守るだけでなく、どの技法を「教えるべき日本の美術」と選ぶかにも関わります。東京藝術大学のアーカイブは学校史の記録を公開しています。設立年と授業開始年を分けて読むと、制度は一日で完成したわけではないと分かります。
「日本画」も古代から変わらない名称ではありません。洋画との対比や展覧会、教育の中で意味が作られました。地域の工房、女性の制作、植民地との関係など、国民美術という一本の物語でこぼれるものにも目を向けたいところです。
作品を見るときの問い
作品ラベルの「日本」「美術」「工芸」という語が、制作された時代の当事者にも同じ意味だったかを問います。出品歴、所蔵の経緯、目録、学校の授業を調べると、現在の分類がどのように生まれたかが見えます。日本美術史の地図の「誰が歴史を編集したか」という問いにもつながります。
よくある質問
明治以前に「美」はなかったのですか?
美しさへの評価や専門的な制作はありました。ただし近代の美術館や美術学校が使う「美術」と同じ範囲とは限りません。
東京美術学校は1887年開校ですか?
1887年は設置の年、1889年に開校式が行われました。資料により「創立」と「開校」が異なる年を示すのはそのためです。
参考資料
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