民俗学と装飾とは何か:暮らしの中の祈りを読む

しめ縄、郷土玩具、祭りの意匠——暮らしの装飾には無名の人々の祈りが宿ります。柳田国男の民俗学や民藝運動の視点をたどりながら、生活の中に息づく「祈りの造形」を読み解きます。

Updated 

16人の芸術家Artist Type — アーティスト診断

あなたの中に、どの芸術家がいる?

12の質問で、あなたをつくる3人の芸術家がわかる。約3分。

民俗学と装飾とは何か:暮らしの中の祈りを読む

京都の町を歩くとき、少し視線を上げてみてほしいです。町家の小屋根の上に、瓦でできた小さな武人の像が据えられていることがあります。鍾馗(しょうき)さん——中国の唐の時代に由来する魔除けの神で、向かいの家の屋根から跳ね返ってくる災いを受け止めるために置かれたと言われます。誰が作者かも分からない、美術館に収蔵されることもない小さな造形です。しかし、そこには家族の無事を願う切実な祈りと、瓦職人の確かな手技が同居しています。よく見れば一体ごとに顔つきも構えも違い、家ごとの歴史を背負って何十年も屋根の上に立ち続けているのです。

民俗学は、こうした「名もなき造形」を正面から扱ってきた学問です。しめ縄、郷土玩具、祭りの山車の飾り、井戸端の石仏です。どれも美術史の教科書には載りませんが、人々の暮らしと信仰の形を、文字記録よりも雄弁に伝えることがあります。暮らしの装飾を「祈りの造形」として読む方法を、民俗学の歩みとともにたどってみたいです。

柳田国男と「常民」——記録されなかった人々の文化を学問にする

日本民俗学の出発点は、1910年に柳田国男が発表した「遠野物語」に置かれることが多いです。岩手県遠野の人々が語り継いできた河童や座敷童子、山の神の話を、柳田は文飾を抑えた文体で書き留めました。重要なのは題材そのものよりも姿勢です。歴史学が扱うのは支配者や制度の記録ですが、文字を残さなかった大多数の人々——柳田はこれを「常民」と呼んだ——の暮らしにも、固有の知恵と文化の体系があります。それを、伝承や習俗や年中行事という「生きた資料」から復元しようとしたのです。

柳田の民俗学で鍵になる概念に「ハレとケ」があります。ハレは祭りや正月などの非日常、ケは日常の労働の時間です。この区別は装飾を読むうえで決定的に重要です。晴れ着、祭りの幟、正月飾り——伝統的な暮らしの中で、装飾はいつでも使われるものではなく、ハレの時間にだけ現れて空間と時間を特別なものに変える「スイッチ」でした。装飾の少ない日常があるからこそ、飾ることが意味を持ちます。このリズムの感覚は、現代の暮らしからは失われつつあるものかもしれません。

PRデザインや表現を自分の手で試したい方へAdobe Creative Cloud

しめ縄の記号論——藁一本が結界を作る

正月に飾られるしめ縄を、記号として読んでみましょう。素材は稲藁、つまり収穫の恵みの残りです。それを綯(な)って張り渡すことで、内と外、聖と俗を分ける「結界」が生まれます。神社の鳥居や御神木に巻かれたしめ縄と、家の玄関の正月飾りは同じ論理でできており、そこから内側が神を迎える清められた場であることを示します。紙垂(しで)と呼ばれる稲妻形の白い紙、橙、裏白の葉など、付属する要素の一つひとつにも、子孫繁栄や長寿といった願いの意味が重ねられていると言われます。

注目すべきは、この装飾が使い捨てであることです。正月飾りは松の内が明ければ外され、多くの地域では小正月の火祭り——どんど焼きや左義長と呼ばれる——で焼き上げられます。飾りを焼く煙とともに、迎えた神を送り返すのです。作っては燃やすことを毎年繰り返すこの循環は、保存を前提とする美術とは全く別の時間の中に装飾を置きます。藁という一年草の素材が選ばれていること自体が、再生と循環の世界観と響き合っています。

まれびとを迎える意匠——折口信夫と来訪神の造形

柳田と並ぶ民俗学の巨人・折口信夫は、日本の神の原像を「まれびと」——海の彼方や山の向こうから、定められた季節に共同体を訪れる存在——に求めました。この視点に立つと、祭りの装飾の意味が一変します。幟を立て、提灯を掲げ、道を清め、山車や神輿を飾り立てるのは、単なる賑やかしではなく、訪れる神を迎えてもてなすための「設え」なのです。祭りの意匠とは、共同体が総出で行う歓待のデザインだと言ってよいでしょう。

まれびとの思想を最も鮮やかに体現するのが、仮面と仮装の来訪神行事です。秋田のナマハゲ、鹿児島・悪石島のボゼ、沖縄のパーントゥなど、各地の来訪神行事は2018年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。藁蓑と仮面をまとった村人は、その瞬間だけ人であることをやめ、災いを祓い祝福をもたらす神そのものになります。仮面という造形が、日常の秩序に裂け目を入れ、神の時間を呼び込む装置として働くのです。恐ろしげな面相さえ、そこでは悪意ではなく、怠惰や災厄を追い払う祝福の形です。

郷土玩具——色と形に託された切実な願い

各地の郷土玩具もまた、愛らしさの奥に切実な祈りを秘めています。会津の赤べこ、各地の張子の犬、だるまです。これらに共通する赤い色は、かつて天然痘(疱瘡)が最も恐れられた病だった時代、疱瘡神が赤を好む、あるいは赤が病を遠ざけるという信仰に結びついていたとされます。医療がまだ病から子どもを守れなかった時代、親たちは赤い玩具を枕元に置くことで、せめてもの防壁を築こうとしました。犬張子が安産と子どもの成長の守りとされるのは、犬が多産で安産だと考えられたからです。

PR移動中や作業中に本を聴きたい方へAmazonのオーディオブックAudible

つまり郷土玩具の色と形は、デザインの好みではなく、機能を持った記号でした。玩具というより、手のひらに乗る祈祷の装置と言ったほうが実態に近いです。現代の私たちが郷土玩具を「素朴でかわいい」と感じるとき、その感覚は誤りではありませんが、造形の背後には乳幼児の死亡率が高かった時代の不安と願いの歴史が積もっています。飛騨のさるぼぼが顔を持たないことも、持ち主が自分の感情を映しやすいためと語られることがあり、無名の造形は使う人の心とともに完成する仕組みを備えています。

民藝運動——「下手物」に美を見出した革命

こうした無名の造形に「美」の言葉を与えたのが、思想家・柳宗悦を中心とする民藝運動です。柳は1920年代半ば、陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎とともに「民藝(民衆的工芸)」という言葉を作り、当時「下手物(げてもの)」と呼ばれていた日常の雑器——無名の職人が量産した飯碗や壺や布——にこそ、健全で偽りのない美が宿ると主張しました。名人の署名入りの茶碗より、繰り返しの仕事の中で無心に作られた雑器が美しいです。この逆転の美学は1936年の日本民藝館の設立に結実し、イギリスの陶芸家バーナード・リーチらを介して海外の工芸運動とも共鳴していきました。

民俗学と民藝運動は、視点は異なるが同じ地層を掘っています。柳田が伝承から常民の精神史を読んだように、柳は器物から民衆の美意識を読みました。両者が共有するのは、文化は有名な個人が作るものではなく、無数の無名の手の反復から立ち上がるという確信です。ただし民藝運動には、生活の道具を美の文脈に移し替えることで、かえって元の暮らしから切り離してしまうという緊張も指摘されてきました。鑑賞棚に飾られた瞬間、民具は「使われるもの」であることをやめます。この緊張は、民俗的な造形を扱う現代の展示やデザインにも引き継がれている課題です。

暮らしの中の祈りを読むための4つの視点

  • 「いつ」飾られるかを見る——その装飾はハレの時間だけのものか、常設ですか。飾られる期間と外されるタイミングに、意味の核心が表れます。
  • 素材の出どころをたどる——藁、紙、土、木です。身近な素材で作られたものほど、その土地の生業と自然観に直結しています。
  • 色を記号として読む——魔除けの赤、清浄の白、再生の常緑です。色の選択には、しばしば病や災いへの対処の歴史が刻まれています。
  • 「誰が作ったか分からない」を価値として見る——無名性は情報の欠如ではなく、共同体の型が個人の署名より優先された文化の証です。

旅先の土産物屋で、神社の軒先で、あるいは自宅の正月飾りの前で、私たちは今も祈りの造形に囲まれて暮らしています。それらは声高に意味を語りませんが、問いかければ必ず何かを答えます。名もなき装飾の前で足を止め、込められた願いを読み解こうとするとき、民俗学は書物の中の学問ではなく、日々の暮らしを深く見るためのレンズになるのです。

企画・編集: 田村 祐大

企画・編集

田村 祐大

NACK / 企画・編集

岡山県出身、京都在住、時々東京。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間従事した後、NACKを始動。

アートを入口に、文化・経済・社会・テクノロジーの関係を読み解く「NACK Journal / Times」を企画・編集している。

Follow Me:

この記事には広告リンクが含まれます。NACK Journalでは、記事内容や読者の関心に近い商品・サービスを掲載しています。

Related Stories

日本美術史はどうつながるか:縄文・仏教・琳派・浮世絵・具体・スーパーフラット
Art / History / Culture

日本美術史はどうつながるか:縄文・仏教・琳派・浮世絵・具体・スーパーフラット

日本美術史は、縄文から現代へ「日本らしさ」が一直線に受け継がれた物語ではありません。外から来た技術や思想を土地ごとに作り替えること、古い様式を別の時代が選び直すこと、祈り・権力・市場によって作る仕組みが変わること——この三つの動きが何度も交差してつながっています。縄文、仏教、琳派、浮世絵、具体、スーパーフラットを、その交差点として見ていきます。

Read
モダンは印刷されてやってきた:大正、雑誌と広告が育てた日本のデザイン
History / Culture / Design

モダンは印刷されてやってきた:大正、雑誌と広告が育てた日本のデザイン

わずか15年で終わった大正時代は、日本の視覚文化の実験室でした。夢二の抒情画、非水のポスター、恩地の抽象木版です。百貨店と雑誌と洋装の街角で、「デザイン」という職能が産声を上げます。短い自由の時代は、何を残したのでしょうか。

Read
琳派は流派ではない:100年ごとによみがえるデザインの系譜
Art / History / Culture

琳派は流派ではない:100年ごとによみがえるデザインの系譜

師弟も血縁もないのに、100年の時を隔てて何度も受け継がれた様式があります。宗達から光琳へ、光琳から抱一へ。金地と余白、たらし込み、大胆な反復——琳派は「私淑」という日本独特の継承システムが生んだ、時代を超えるデザインの方法です。

Read