1964年、ドイツの美術家ヨーゼフ・ボイスは、粗末な木の椅子の座面に動物性の脂肪の塊を盛り上げた《脂肪の椅子》を発表しました。大理石でもブロンズでもなく、体温で溶け、崩れ、酸化していく脂肪です。彫刻の素材としてこれほど「ふさわしくない」物質もないでしょう。しかし、ボイスはこの不安定きわまりない物質に、エネルギーが蓄えられ、温度に応じて形を変えていくプロセスのイメージを託し、彫刻とは完成された形ではなく変化の過程そのものだと主張しました。
ここで起きているのは、形ではなく素材が意味を語るという事態です。同じ椅子をブロンズで鋳造すれば永遠を志向する記念碑になり、透明なアクリルで成形すれば軽やかな工業製品に見え、脂肪で作れば時間とともに崩れてゆく問いになります。輪郭がまったく同じでも、マテリアル(物質・素材)が入れ替わった瞬間に、作品の温度も、流れる時間も、発するメッセージも一変します。
この「素材と意味」の結びつきを物質の側から解き明かすのが材料科学です。金属・セラミックス・ガラス・高分子といった材料の組成と構造、性質、そして加工プロセスを研究するこの学問は、一見アトリエから遠い工学の世界のものに見えます。しかし、工芸から現代美術まで、人類の表現の歴史をたどり直すと、それはそのまま材料の歴史でもあったことがわかります。
材料科学は「性質はどこから来るのか」を問う
材料科学の出発点は、物質の性質はそれを構成する原子や分子の並び方で決まる、という発見にあります。同じ炭素原子でも、平面状に結びつけば鉛筆の芯になる柔らかい黒鉛となり、立体的に組み上がれば地上で最も硬いダイヤモンドになります。鉄にごくわずかな炭素を混ぜれば粘り強い鋼になり、同じ鋼でも冷やす速さひとつで硬さも粘りも変わります。素材の個性は天から与えられた不変のものではなく、組成と構造とプロセスの関数なのです。
PRデザインや表現を自分の手で試したい方へ:Adobe Creative Cloudそして興味深いことに、アーティストや職人はこの原理を、理論が言語化されるはるか前から経験的に使いこなしてきました。陶芸の釉薬は珪酸塩の高温化学であり、窯の温度と酸素の量が釉の色と質感を決めます。日本刀の反りと切れ味は、炭素量の異なる鋼を組み合わせ、焼き入れの急冷によって内部の組織を変化させる高度な熱処理の産物です。科学が方程式を書く前から、工房は材料科学の実験室でした。
ブロンズと漆:古代に完成していた高機能材料
彫刻の代名詞であるブロンズ(青銅)は、銅に錫を加えた合金です。錫を混ぜると融点が下がって溶けた金属の流動性が増し、鋳型の細部まで行き渡るようになるうえ、硬度も上がります。蝋で原型を作り、それを金属に置き換えるロストワックス(蝋型鋳造)の技法を使えば、指先の表情や衣のひだの揺らぎまで金属に写し取ることができます。古代ギリシャの彫像から奈良の大仏、ロダンの人体まで、ブロンズ彫刻の長い歴史は、この巧みな合金設計の恩恵の上に築かれてきました。
一方、日本列島で磨き抜かれた素材が漆です。ウルシの樹液に含まれるウルシオールという成分は、樹液中の酵素の働きで空気中の水分を取り込みながら酸化重合し、硬く安定した塗膜へと変わります。乾燥ではなく、適度な湿度がなければ固まらないという逆説的な硬化メカニズムを持つ、天然の高分子材料です。縄文時代の遺跡からは漆を用いた出土品が見つかっており、この素材と人間の付き合いは数千年に及びます。硬化した漆は酸やアルカリにも強く、その堅牢な塗膜は蒔絵や螺鈿といった加飾技法の土台にもなりました。
鉄、ガラス、樹脂:近代が広げた素材の選択肢
産業革命は素材の勢力図を塗り替えました。19世紀に鉄骨と板ガラスの大量生産が可能になると、1851年のロンドン万国博覧会では鉄とガラスを主体とした巨大な水晶宮が建設され、石を積む建築の美学を根本から揺さぶりました。20世紀に入ると、ピカソと鉄工職人出身の彫刻家フリオ・ゴンサレスは溶接という工業技術を彫刻に持ち込み、量塊を持たず、線と面で空間に描くような鉄の彫刻を生み出します。素材の更新が、そのまま表現の更新になった例です。
プラスチックの登場はさらに劇的でした。ロシア構成主義のナウム・ガボは20世紀前半、セルロイドなどの透明プラスチックを用いて、内部の構造が透けて見える彫刻を作り、量塊ではなく空間そのものを造形する道を開きました。現代では、名和晃平が動物の剥製を無数のガラスビーズで覆う「PixCell」シリーズによって、素材の表面がもたらす映像的な知覚を問い直しています。さらに2010年代には、光をほぼ完全に吸収する新素材ベンタブラックの芸術分野での使用権をアニッシュ・カプーアが独占したことが国際的な論争を呼びました。いまや素材の権利そのものが事件になる時代です。
PR移動中や作業中に本を聴きたい方へ:AmazonのオーディオブックAudible素材が思想になるとき:モノ派とマテリアリティ
1968年、関根伸夫は神戸の公園で地面に深い円筒形の穴を掘り、掘り出した土を寸分違わぬ円筒として傍らにそびえ立たせました。《位相―大地》と題されたこの作品を重要な起点とする「モノ派」の作家たちは、石、鉄板、ガラス、木、土といった素材をほとんど加工せず、モノとモノ、モノと空間の関係をそのまま提示しました。李禹煥が石と鉄板を向かい合わせるとき、素材は何かを表すための材料であることをやめ、世界との出会いを生じさせる主役になっています。
美術史や人類学では、こうした物質そのものが持つ力や意味の働きを「マテリアリティ(物質性)」という概念で論じます。ボイスがフェルトと脂肪という素材に固執した背景には、戦時中に飛行機で墜落した自分を遊牧民が脂肪とフェルトで包んで救った、という本人の語る逸話がありました。この物語の真偽は後年疑問視されていますが、ここで重要なのは、真偽よりもむしろ、素材には物語が宿ると信じさせるだけの力があるという事実のほうでしょう。脂肪の鈍い光沢とフェルトの沈黙は、言葉より先に何かを語ってしまいます。
作品は物質として老いる:劣化と保存の科学
素材は意味を生むと同時に、作品の寿命も決めます。ガボの初期プラスチック彫刻の一部は素材の化学的な劣化によって崩壊が進み、展示不可能になったものがあることが知られています。ダミアン・ハーストがサメをホルムアルデヒド溶液に沈めた1991年の作品では、後年サメ自体の劣化が進み、新しい個体に交換されました。このとき「サメを取り替えてもそれは同じ作品なのか」という、テセウスの船さながらの問いが美術界で真剣に議論されています。素材の選択は、作品がどんな死を迎えるかの選択でもあるのです。
だからこそ保存修復の現場では、材料科学が生命線となります。顔料や樹脂の劣化メカニズムを分析し、温湿度と照度を管理し、時には作品の老いをどこまで受け入れるかという判断まで下します。他方で日本の工芸は、漆が経年でまとう深い艶や、銅が吹く緑青を美しさとして愛でる感性を育ててきました。どこまでが劣化で、どこからが風合いなのでしょうか。その線を引くのは科学であると同時に、文化の美意識でもあります。
素材から作品を読むための5つの視点
- キャプションの素材・技法の欄を必ず読み、なぜこの素材でなければならなかったのかを一度は考えてみます。
- 重さ、温度、手触りを想像します。視覚だけでなく身体の感覚で素材を受け止めると、作品の印象は大きく変わります。
- その素材がどこから来たのかを考えます。ラピスラズリや漆や大理石の背後には、産地と交易と労働の歴史があります。
- 時間の軸を加えます。この素材は10年後、100年後にどうなっているかを想像すると、作家の時間に対する態度が見えてきます。
- 頭の中で素材を置き換えてみます。同じ形がブロンズだったら、ガラスだったら、脂肪だったら――そこで生じる違和感こそ、素材が担っている意味です。
素材は作品の下請けではありません。それは意味の共同制作者であり、作品に流れる時間の設計者であり、ときには作品そのものです。展示室で形の向こう側にある物質に目を凝らすとき、私たちは作家が立っていたのと同じ場所――素材と対話しながら世界を組み立てる現場に、もう一度立ち会うことになります。
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