2015年12月、国連気候変動会議COP21に世界の注目が集まるパリのパンテオン前広場に、グリーンランドの氷河から運ばれた12個の巨大な氷塊が、時計の文字盤のように円形に置かれました。オラファー・エリアソンと地質学者ミニック・ロージングによる《アイス・ウォッチ》です。前年のコペンハーゲンに続くこのプロジェクトで、通行人は太古の空気を閉じ込めた氷に手を触れ、その氷は各国が交渉を続ける会議場の外で、静かに溶けて消えていきました。
気候変動のデータは、グラフや数値としてなら日々報道されています。エリアソンが賭けたのは、統計では動かない人の心が、掌に伝わる冷たさと目の前で失われていく質量には動くかもしれない、という可能性でした。ここに、環境科学とアートが手を組む理由が凝縮されています。科学は測定し、アートは体感させます。
ただし、この分業は最初から自明だったわけではありません。自然を素材にした芸術が環境への意識と結びつくまでには、半世紀の紆余曲折がありました。
ランドアートは環境保護の芸術ではなかった
1970年、ロバート・スミッソンはユタ州グレートソルト湖に、岩と土で全長約460メートルの渦巻状の突堤《スパイラル・ジェッティ》を築きました。ウォルター・デ・マリアはニューメキシコの荒野に400本のステンレス鋼のポールを立て、雷を待つ《ライトニング・フィールド》を完成させます。ギャラリーの壁を出て、大地そのものを素材とし舞台とするランドアートの誕生です。
PRデザインや表現を自分の手で試したい方へ:Adobe Creative Cloudただし注意したいのは、初期のランドアートが必ずしも自然保護のための芸術ではなかったことです。重機で砂漠の台地を切り開いたマイケル・ハイザーの《ダブル・ネガティブ》のように、そこには大地への巨大な介入がありました。ランドアートはまず、美術館と市場という制度からの逃走であり、自然はその逃走先だったのです。もっとも、自然の側も黙ってはいませんでした。《スパイラル・ジェッティ》は湖の水位上昇によって長く水没し、数十年を経て塩の結晶をまとった姿で再び現れました。スミッソンが関心を寄せたエントロピー——秩序が崩れていく過程そのものが、作品を編集し続けています。人間の作為と自然の応答の応酬という主題は、すでにここに芽生えていました。
修復する芸術へ——麦畑、樫の木、浄水装置
転回点は1970〜80年代に訪れます。ハンス・ハーケは1972年、ライン川の汚染水を展示室で濾過して見せる作品を発表し、環境の状態そのものを作品化しました。1982年、アグネス・デネスはマンハッタン南端の埋立地を耕し、2エーカーの麦畑を実らせる(《ウィートフィールド——対決》)です。世界貿易センタービルを背景に金色の麦が揺れる光景は、都市の土地が何のために使われるべきかという鮮烈な問いでした。
同じ1982年、ヨーゼフ・ボイスは国際美術展ドクメンタで《7000本の樫の木》を開始し、カッセルの街に市民とともに植樹を続けました。ボイスにとって作品とは「物」ではなく、社会を彫刻のように作り変えていく行為そのものでした。さらに1990年代にはメル・チンが、重金属で汚染された土壌に金属を吸収する植物を植え、浄化の過程そのものを彫刻と呼ぶ《リバイバル・フィールド》を科学者と共同で進めています。破壊された環境を修復するプロセス自体を作品とする、エコロジカル・アートの系譜がここに確立しました。
見えない危機に輪郭を与える
思想家ティモシー・モートンは、気候変動のようにあまりに巨大で遍在するために全体を知覚できない対象を「ハイパーオブジェクト」と呼びました。気温の上昇は誰の目にも見えず、影響は時間的にも空間的にも引き延ばされています。人間の感覚は、地質学的なスケールで進行する危機を捉えるようにはできていません。だからこそ翻訳者が必要になります。気候科学者エド・ホーキンスが2018年に公開した「ウォーミング・ストライプス」は、産業革命以降の年平均気温を青から赤への縞模様に置き換えただけの図像ですが、一目で温暖化の趨勢を体感させるデザインとして世界中に拡散し、音楽フェスの会場や雑誌の表紙にまで現れました。
写真家クリス・ジョーダンが撮り続けたミッドウェー環礁のアホウドリ——胃にプラスチック片を詰め込まれて死んだ雛の亡骸の写真は、海洋プラスチック汚染の統計が決して与えない衝撃を与えました。環境アートの核心は告発の声の大きさではなく、抽象的な数値を、具体的な一つの身体、一つの場所へと翻訳する精度にあるのです。科学者とアーティストが北極圏へ同行する航海プロジェクトなど、両者の協働も2000年代以降、制度として定着しつつあります。
PR移動中や作業中に本を聴きたい方へ:AmazonのオーディオブックAudible里山と芸術祭——「自然を展示する」ことの逆説
日本では2000年に始まった新潟・越後妻有の「大地の芸術祭」、2010年に始まった「瀬戸内国際芸術祭」が、過疎化の進む農村や島々を舞台に、自然と作品を重ね合わせてきました。そこで展示されているのは手つかずの原生自然ではありません。棚田や里海のように、人の手が入り続けることでかろうじて維持されてきた「二次的な自然」です。イリヤ&エミリア・カバコフの《棚田》が、実際の棚田で農作業する人々の彫刻と詩を重ねて見せるように、作品が風景を飾る置物ではなく、その土地の記憶と労働を見えるようにする装置として働くとき、芸術祭は最も深い力を持ちます。
そもそも「自然を展示する」ことには逆説がつきまといます。額縁に入れた瞬間、自然は誰かの視点で切り取られた文化物になるからです。しかしこの逆説は、日本の庭園文化が古くから引き受けてきたものでもあります。遠くの山を庭の景として取り込む借景は、自然をありのまま眺めるのではなく、編集することでかえって自然への感受性を研ぎ澄ます技法でした。環境アートは、その現代版と言えるのかもしれません。
環境アートと出会うための4つの視点
- 作品が「何を見えるようにしているか」を考えます。溶ける氷、色の縞、都心の麦畑——それぞれが翻訳している科学的事実を調べると、作品の解像度は一段上がります。
- 素材の来歴を追います。その氷はどこから運ばれたか、その木は誰が植え、誰が世話を続けるのでしょうか。制作や輸送の環境負荷まで含めて考えると、作品の誠実さが測れます。
- 制度への問いを読み取ります。美術館の外で起きる作品は多くの場合、「アートはどこにあるべきか」という問いを同時に投げかけています。
- 地域芸術祭では、風景そのものを作品の一部として見ます。棚田や集落の暮らしがなぜその作品の隣にあるのか、を考えることが鑑賞の入口になります。
科学が警告し、政治が交渉するあいだにも、氷は溶けていきます。アートにできるのは危機を解決することではなく、危機を私たちの身体が感じ取れる大きさに刻み直すことです。パンテオン広場の氷が消えたあとに残った濡れた石畳のように、優れた環境アートは、見た者の内側に消えない水位線を残します。
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