1999年、ドイツ中部の丘で盗掘者が奇妙な青銅の円盤を掘り当てました。直径約32センチの盤面に、金の象嵌で太陽(あるいは満月)と三日月、そしてプレアデス星団とみられる星の群れが表されています。約3600年前のものとされる「ネブラの天文盤」——宇宙を具体的に描いた人工物としては、現存する最古級の遺物です。
注目すべきは、これが天体の運行に関する知識の記録であると同時に、明らかに「美しく作られている」ことです。青銅の深い青緑と金の輝きの対比は、夜空と天体の関係をそのまま物質に翻訳しています。天文学とアートは、起源において分かれていませんでした。星空を測ることと星空を描くことは、同じ営みの両面だったのです。
星座——夜空に物語を投影する技術
星をつなぎ、形を見出し、名前を与えます。星座の体系はメソポタミアに起源を持つとされ、ギリシャに受け継がれて神話と結びつき、2世紀の天文学者プトレマイオスによって48星座に整理されました。カシオペヤ、オリオン、アンドロメダ——夜空は神々と英雄の巨大な絵巻となり、星図や天球儀という美術工芸のジャンルを生みました。17世紀ヨーロッパの豪華な星図では、星の位置を示す記号の合間を精緻な神話画が埋め尽くしています。科学の図面と物語の絵画が、一枚の紙の上で共存していたのです。
東アジアにも独自の伝統があります。奈良県明日香村のキトラ古墳の天井には、7世紀末から8世紀初頭に描かれたとされる本格的な天文図が残ります。金箔で表された約350の星は中国式の星座体系を伝え、赤道や黄道を示す円まで備えた、現存する世界最古級の科学的星図と評価されています。墓の天井に星空を描く行為には、死者を宇宙の秩序の中へ送り届けようとする思想が読み取れます。星図とは、実用の道具であると同時に、常に世界観の絵画でした。
PR映像編集を自分の手で始めたい方へ:Adobe Premiere Proガリレオの月——素描の訓練が科学を変えた
1610年、ガリレオ・ガリレイは『星界の報告』で、望遠鏡で観察した月の姿を発表しました。月面には山と谷があり、月は地球と同じ「不完全な」物体である——天上界を完全無欠とする古い宇宙像への決定的な一撃でした。興味深いのは、ガリレオより数か月早く望遠鏡を月に向けたイングランドのトマス・ハリオットが、月面の凹凸をほとんど読み取れなかったことです。
両者を分けたのは美術の教養だったと指摘されています。ガリレオはフィレンツェで素描や遠近法を学んでおり、明暗の境界のギザギザから立体を推論する訓練——つまり画家の眼を持っていました。彼が水彩で描いた月の連作スケッチは、科学的観察の記録であると同時に、静謐な美しさをたたえたドローイングです。この発見は即座に美術へ還流しました。ガリレオの友人であった画家チゴリは、ローマの聖堂天井画で聖母の足元の月を、伝統的な滑らかな球ではなく、クレーターのあるガリレオ的な月として描いたのです。見る技術と描く技術は、こうして互いを更新し合いました。
《星月夜》と世紀末の宇宙熱
1889年6月、南フランスのサン=レミの療養院で、フィンセント・ファン・ゴッホは夜明け前の空のうねりを描きました。《星月夜》の空に浮かぶ巨大な渦については、1845年にロス卿が望遠鏡観測をもとに描いた渦巻銀河M51のスケッチとの類似がしばしば指摘されます。この銀河のイメージは当時の通俗天文学書を通じて広く流布しており、ゴッホが目にしていた可能性は十分にあります。
実際、19世紀後半はカミーユ・フラマリオンの天文書がベストセラーになるなど、一般市民が宇宙に熱狂した時代でした。ゴッホ自身、前年の1888年にはアルルで《ローヌ川の星月夜》を描き、弟テオへの手紙で星空を描くことへの強い憧れを繰り返し語っています。《星月夜》は画家の内面だけから生まれた幻想ではなく、同時代の宇宙イメージを貪欲に吸収し、それを感情の風景へと変換した絵画なのです。科学の図像は、しばしばこうして芸術の想像力の燃料になります。
ハッブルの宇宙は「編集」されている
現代人の宇宙イメージを決定づけたのは、1990年に打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡でしょう。1995年に公開された「創造の柱」——わし星雲にそびえる星間ガスの巨大な柱の画像は、20世紀を代表する視覚イメージの一つになりました。ただし知っておきたいのは、これらがシャッターを切ったままの「写真」ではないことです。ハッブルの画像は、異なる波長で撮影された複数のモノクロ画像に色を割り当てて合成したもので、その配色には科学的な情報の伝達と同時に、構図やコントラストをめぐる美的判断が働いています。実際、公開画像の制作を担う専門チームが組織され、どの天体をどう見せるかが慎重に設計されてきました。
PR移動中や作業中に本を聴きたい方へ:AmazonのオーディオブックAudibleつまり天体画像には必ず「作り手」がいます。科学的に誠実であることと美しく仕上げることは矛盾せず、むしろその美しさこそが、遠い宇宙への社会の関心を支え、次の観測を可能にしてきました。2021年に打ち上げられたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の赤外線画像も、人間の眼には見えない光を可視の色へ翻訳するという意味で、同じ作業の産物です。私たちが見る宇宙の姿は、天文学者と画像処理の専門家による共同制作なのです。
プラネタリウム——宇宙を上映する劇場
1923年、ドイツのカールツァイス社が近代的な光学式プラネタリウムを完成させ、人類は「星空を上映する」技術を手に入れました。日本には1937年、大阪市立電気科学館に東洋で初めて設置され、以後、科学教育と娯楽のあいだで独自のプラネタリウム文化が育ってきました。ドームに映る星空は本物ではありません。しかし、街の光が本物の星空を消してしまった現代、プラネタリウムは多くの人にとって、最も星がよく見える場所になっています。
近年はここに超高精細映像や没入型のインスタレーションが加わり、宇宙は「体験するメディア」になりつつあります。ネブラの天文盤からおよそ4千年——測ることと描くことの共同作業は、いまも続いています。
星空とアートをつなぐ3つの視点
- 美しい天体画像に出会ったら「これはどう作られたか」を考えてみます。色が何の情報を担っているかを知ることは、感動を損なうどころか深くします。
- 古い星図や天文図を美術品として眺めてみます。星座絵の様式や余白の使い方に、その時代の宇宙観がそのまま現れています。
- ときどき実際に夜空を見上げ、星をつないで自分だけの形を探してみます。星座を発明した古代人と同じ想像力の運動を、自分の眼で追体験できます。
天文学は人間の小ささを思い知らせる学問だと言われます。しかし、星空を描き続けてきた歴史が示すのは、むしろ逆のことです。届かないものを想像力で掴もうとするとき、人間の表現は最も大きくなります。ゴッホの渦巻きも、青銅盤に象嵌された金の星々も、その証拠です。
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