色彩の場——ロスコが求めた「崇高」の体験
マーク・ロスコの絵画の前に長時間立ち続けた人の中に、涙を流す者がいます。これは感傷的な反応ではありません。ロスコ自身が意図した体験です。
「私が表現しようとしているのは、基本的な人間の感情——悲劇・恍惚・破滅——だ。これらの絵の前で泣く人が多いのは、そこで私が体験したものと同じ宗教的な感情を体験しているからだ」。彼はこう語りました。
ロスコの前史——表現主義から色彩場へ
アメリカへの移住と初期の試みた
マーク・ロスコは1903年、ロシア帝国(現ラトビア)のドヴィンスクに生まれました。本名はマーカス・ロスコヴィッチです。10歳のときに家族とともにアメリカに移住し、以後生涯をアメリカで過ごしました。
1920年代から30年代のロスコの作品は、エドワード・ホッパーの影響を感じさせる社会的な風景画・街の情景でした。彼はニューヨークの街角の孤独を、ひっそりと描きました。
第二次世界大戦中の1940年代に入ると、ロスコは神話的・シュルレアリスム的なイメージへと向かいました。原始的な生命力と神話の図像を組み合わせた作品群は、彼が戦争という時代の暴力と向き合いながら、人間の根源的な問いを絵画で追求しようとしていたことを示しています。
転換点——1950年前後
1950年頃から、ロスコの作品は急激に変容します。神話的なイメージは消え、柔らかい輪郭を持つ「色彩の場(カラーフィールド)」だけが画面を占めます。これが彼の成熟した様式の確立でした。
この転換について、ロスコ自身は「神話的な形象を使うことに飽きた」と語っています。形象を持たない色彩の塊こそが、人間の感情に直接訴える力を持つと確信したのです。
カラーフィールド・ペインティングの技法
スケールの感覚
ロスコの絵画は大きいです。多くの作品が縦横2メートルを超え、中には5メートルに及ぶものもあります。この大きさは「飾るため」ではなく、見る者を「包み込むため」のものです。
絵画が視野いっぱいに広がるとき、見る者は絵を「見る」のではなく、絵の中に「入る」感覚を持ちます。この没入感がロスコの意図する体験の出発点です。
滲む輪郭
ロスコの色彩の矩形は、明確な輪郭線を持ちません。色面の端は溶け込むように滲み、背景の色との境界が曖昧になっています。
この輪郭の曖昧さは偶然ではありません。明確な境界は「この形はこれだ」という確定性を持ち、見る者の思考を対象へと向けます。しかし輪郭が溶け込むとき、見る者の視線は色面の内部へと、そして周辺の空間との関係へと向きます。ロスコはこの技法によって、見る者の意識を「形の認識」から「色彩の体験」へと移行させました。
半透明な層の積み重ね
ロスコの表面が深みと輝きを持つのは、彼が何十層もの薄い絵具を重ねているためです。各層は完全に乾かされてから次の層が重ねられます。下の層がわずかに透けて見えることで、色は複雑な深さを持ちます。
この技法はレンブラントの光の技法と遠く共鳴します。ロスコはレンブラントの「光が内側から発光しているような」画面の質を、抽象的な方法で再現しようとしていたと解釈することもできます。
フォー・シーズンズの壁画とロスコ・チャペル
富裕層への拒絶
1958年、ロスコはニューヨークの高級レストラン「フォー・シーズンズ」のための壁画シリーズを制作するよう依頼されました。当初彼はこの依頼を引き受けましたが、実際にレストランで食事をした後、態度を変えました。
「誰もが最も贅沢な食事をする人々に、私は絵を見てほしくない。私の絵は彼らを消化不良にさせてやろうと思っていた」。彼は完成した大規模な作品群をレストランに納品することを拒否し、前払い金を返却しました。このエピソードは、ロスコが自分の絵画を「装飾」として扱うことを深く嫌悪していたことを示しています。
ロスコ・チャペル——黒の聖域
1971年にテキサス州ヒューストンで開設された「ロスコ・チャペル」は、ロスコの美学の究極的な実現です。特定の宗教に属さないこの礼拝堂のために、ロスコは1964年から1967年にかけて14点の大作を制作しました。いずれも黒に近い暗い色彩の大型絵画です。
礼拝堂内に入ると、周囲四方から暗い色彩の絵画が迫ってきます。ここには具体的な神の物語も、慰めの明るさもありません。ただ圧倒的な沈黙と、その沈黙の中で自分自身と向き合わせる静寂だけがあります。これはロスコが求めた「崇高(サブライム)」の体験の建築的実現です。
よくある質問(FAQ)
ロスコの絵の前で「なぜ泣けるのか」をどう説明できますか?
ロスコの色彩の場が引き起こす感情は、主に二つのメカニズムによると考えられます。一つは視野充満効果:視野いっぱいに広がる色彩は、他の視覚的情報を排除し、見る者を色彩の体験に完全に没入させます。もう一つは輪郭の曖昧さ:明確な形がないため、見る者の脳は形の認識を停止し、純粋な感情的・感覚的な処理モードに入ります。この状態で大きく深い色彩に包まれるとき、普段は感じにくい根源的な感情が浮上します。
ロスコはなぜ自殺したのですか?
ロスコは1970年2月に自らの命を絶ちました。晩年の彼は重度のうつ病・大動脈瘤・アルコール依存症に悩まされていました。また、ポップ・アートの台頭によりカラーフィールド絵画が時代遅れとされるようになったことへの失望も大きかったと言われています。死後数ヶ月で「ロスコ・チャペル」が開設されたことは、歴史の皮肉です。
カラーフィールド・ペインティングとはどのような運動ですか?
カラーフィールド・ペインティングは1950年代後半から60年代にかけて発展した、アメリカ抽象表現主義の一形態です。ロスコの他に、ヘレン・フランケンサーラー、モリス・ルイス、ケネス・ノーランドらが代表的な画家です。ポロックに代表される「アクション・ペインティング」が描く行為と身体性を強調したのに対し、カラーフィールドは大きな色の面と色彩の感情的効果を追求しました。
ロスコとアメリカ・ユダヤ人の経験はどのように関係していますか?
ロシアからアメリカへの移住と、ユダヤ人としての経験はロスコの世界観に深く影響しています。ヨーロッパのユダヤ人が経験した歴史的な苦難——特にホロコースト——は、彼が「悲劇・恍惚・破滅」という根源的な感情を追求した動機の一部を形成している可能性があります。ただしロスコ自身は、自らの作品を特定の民族的・宗教的文脈に限定することを嫌いました。
ロスコ・チャペルは現在も機能していますか?
ロスコ・チャペルはテキサス州ヒューストンのトランザコ広場に現在も存在し、一般公開されています。日々礼拝や瞑想の場として、また宗教間対話のための空間として使用されています。特定の宗教に属さないため、世界中あらゆる信仰を持つ人々が訪れます。ロスコが追求した「普遍的な崇高の体験の空間」という理念は、半世紀以上経った今も機能し続けています。
あなたをつくる3人の芸術家を知る——ARTIST TYPE アーティスト診断
関連記事:
Related Stories

フェミニスト・アートとは? 美術館にいなかった人々が変えた美術史
フェミニスト・アートは女性が作った作品の総称ではありません。誰が美術史に入り、どんな材料が評価されるかを問う実践です。《ディナー・パーティー》とゲリラ・ガールズから学びます。
Read
アフリカ美術とモダニズム――誰が作品を運び、誰の名前が残ったのか
ピカソに影響した「アフリカ美術」という説明だけでは、制作した人や地域の歴史が消えます。20世紀初頭の収集、展示、近代美術への取り込みと来歴調査の問いをたどります。
Read
「日本美術」はいつ生まれたのか――明治の博覧会と美術学校
古い作品が明治になって突然生まれたわけではありません。しかし「日本美術」として収集し、展示し、教える枠組みは近代に整えられました。博覧会、博物館、東京美術学校から考えます。
Readこの記事をシェア


