1971年、オーストラリア中央砂漠の集落パプニャに赴任した美術教師ジェフリー・バードンは、子どもたちに校舎の壁画を描かせようとしていました。ところがその計画を知った集落の年長者たちが彼のもとを訪れ、描くべき物語を持っているのは自分たちだと申し出ます。こうして学校の壁に生まれたのが、蜜蟻の祖先の物語を主題とする「ハニー・アント・ドリーミング」の壁画でした。今日、現代アボリジナルアート運動の出発点として語り継がれる出来事です。
壁画そのものはほどなく塗り消されてしまいましたが、男たちは描くことをやめませんでした。板やボード、ブリキ片にアクリル絵具で描かれた作品は次々と買い手を見つけ、翌1972年には先住民自身が運営する美術組織パプニャ・トゥラ・アーティスツが設立されます。数万年にわたって砂の上に、岩の上に、儀礼の身体の上に描かれてきたイメージが、このとき初めて持ち運び可能な「作品」へと姿を変えたのでした。
ただし、そこで生み出されたものを風景画や抽象的な装飾と考えると、この芸術の核心を見失います。無数の点と同心円が示すのは、水場の位置、祖先の通った道筋、儀礼が行われるべき場所——つまり土地に埋め込まれた知識の体系です。アボリジナルアートを前にしたとき求められるのは、絵を「眺める」構えではなく、絵を「読む」構えなのです。
「ドリーミング」は神話ではなく、土地の法である
ドットペインティングの主題は、ほぼ例外なく「ドリーミング」に属しています。英語で夢を意味するこの訳語はしばしば誤解を招きますが、西部砂漠の言語でいうジュクルパなどの概念を指し、眠って見る夢とは関係がありません。それは天地創造の時代に祖先的存在たちが大地を旅し、山や水場や星々を形づくった出来事の総体であり、同時に、人と土地と生き物のあるべき関係を定める掟の体系でもあります。
重要なのは、ドリーミングが「大昔の物語」ではないということです。創造の出来事は過去に完結したのではなく、今も大地の中に生き続けており、儀礼や歌や絵画を通じてそのつど現在に呼び出されます。祖先の旅路は歌の連なりとして記憶され、ソングラインと呼ばれます。歌を正しく歌い継げば砂漠を横断する道筋がわかるという意味で、それは楽譜であると同時に地図であり、土地との結びつきを証す権利の書でもあります。
実際、20世紀後半のオーストラリアで先住民の土地権が争われた際には、共同体が制作した絵画が土地とのつながりを示す証拠として法廷に持ち込まれた事例が知られています。特定のドリーミングを描く権利は出自と儀礼上の立場によって厳密に定められ、誰がどの物語を描けるかは共同体の法に従います。一枚のドットペインティングは、美的な対象である以前に、土地との継続的な関係の証明書なのです。
点は見せるためではなく、隠すために打たれた
画面を埋め尽くす点は、装飾的な様式と受け取られがちです。しかし研究者たちは、点の重要な機能のひとつが「隠すこと」にあったと指摘しています。儀礼で用いられるデザインには、通過儀礼を経た者しか見てはならない秘匿の図像が含まれます。それをキャンバスに描いて部外者の目に晒すことは、共同体の法に抵触しかねない行為でした。実際、初期のパプニャ絵画の一部は、公開してよい範囲をめぐって共同体内で深刻な議論を引き起こしたと伝えられます。
そこで画家たちは1970年代のうちに、聖なる図像の輪郭を点の層で覆い、ぼかし、部外者の目に触れてもよい形へと変換する手法を洗練させていきました。つまりあの点描の輝きは、開示と秘匿のせめぎ合いが生んだ画面上の解決策でもあります。見る者が美しさに感嘆しているまさにその瞬間にも、画面は「見せていないもの」を抱えています。この二重性こそが、スーラの点描や単なるパターンデザインとドットペインティングを決定的に分かつものです。
図像には共有された記号の語彙があります。同心円は水場やキャンプ地など重要な場所を、U字形は座る人を、蛇行する線は水の流れや蛇の軌跡を表すことが多いです。ただし記号の意味はひとつに固定されず、同じ形が文脈と知識の深さに応じて複数の意味の層を開きます。完全な読解は物語の正統な保持者にのみ許されており、部外者に開かれているのは、いわば地図の最も外側の層なのです。
砂と身体からアクリルへ——数万年の伝統の「媒体の乗り換え」
キャンバス以前、イメージは儀礼のたびに砂の上に描かれ、踊り手の身体に黄土(オーカー)で塗られ、儀礼が終われば消されました。イメージは本来、永続する「物」ではなく、儀礼の時間の中で生成しては消滅する「出来事」だったのです。アクリル絵具とキャンバスという外来の画材は、この一回性のイメージを恒久的な平面へと翻訳しました。パプニャで起きたことは伝統の発明ではなく、伝統の媒体の乗り換えだったと言ってよいでしょう。
その前史は途方もなく長いです。オーストラリア大陸への人類の到達は数万年前に遡るとされ、北部のアーネムランドやカカドゥ地域には、動物の骨格や内臓まで透視するように描き込む「エックス線画法」と呼ばれる岩絵の様式が伝わります。岩陰の壁画は世代を超えて描き重ねられ、塗り直されてきました。アボリジナルの美術がしばしば「現存する世界最古の継続的な美術伝統」と呼ばれるのはこのためです。
翻訳がもたらした画面上の最大の特徴は、視点の在り方です。多くの作品は土地を上空から俯瞰するような構図をとります。地平線も遠近法もなく、大地の広がりがそのまま画面と一致します。西洋の風景画が「大地の上に立って眺める人間」の視点を前提とするのに対し、ドットペインティングは土地を旅した祖先の視点、あるいは土地それ自体の視点に立ちます。画面の前に立つことは、風景を眺めることではなく、土地の記憶の上に身を置くことに近いです。
ウングワレーの8年間と、市場という試練
1980年代末、中央砂漠のユートピア地域で、70代後半の女性エミリー・カーメ・ウングワレーがキャンバスに向かい始めます。儀礼の身体画とバティック制作で長年腕を磨いてきた彼女は、およそ8年の画業で3000点前後の作品を残したとされ、点が溶け合い線がうねる圧倒的な抽象表現に到達しました。死の翌年の1997年にはヴェネチア・ビエンナーレのオーストラリア代表に選ばれ、代表作はオークションで数億円規模の評価を得るに至っています。
しかし市場の熱狂は影も連れてきました。画家を劣悪な条件で囲い込んで粗製乱造を強いる業者の存在や、贋作の流通が繰り返し報じられ、オーストラリアでは作品の来歴と公正な取引を保証する倫理規範や認証の仕組みづくりが進められてきました。先住民コミュニティが自ら運営するアートセンターを通じた購入が推奨されるのはこのためです。数万年の伝統に連なる表現が現代アートとして流通するとき、その価値の源泉である共同体に利益がどう還元されるかは、鑑賞者にとっても無関係な問題ではありません。
ドットペインティングを読むための4つの視点
- 上から見ます。画面を正面の風景ではなく俯瞰された土地=地図として捉え、同心円と線のネットワークがどんな旅路を描いているかをたどってみます。
- 記号を手がかりにします。同心円は場所、U字は人、蛇行線は水や移動の軌跡です。ただし意味は重層的で、すべてが部外者に開示されているわけではないことを忘れません。
- 作者と物語の関係を調べます。その画家がどの土地の、どのドリーミングを描く正統な権利を持つのかを知ると、画面は一気に固有名詞的な具体性を帯びます。
- 来歴を確かめます。コミュニティのアートセンターを経た作品か、公正な取引によるものでしょうか。倫理はこの芸術の外側の問題ではなく、作品の意味の内側にあります。
ドットペインティングの点のひとつひとつは、絵具の粒であると同時に、土地の記憶を現在につなぎとめる結び目です。見えているものの美しさと、あえて見せられていないものの重みです。その両方を抱えて画面の前に立つとき、この芸術は遠い異国の民族美術ではなく、記憶と法と土地の関係を問い直す、きわめて現代的な芸術として立ち上がってくるはずです。
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