重力からの解放:倉俣史朗がデザインした「夢の気配」

透明なアクリルの中に真っ赤なバラが浮いている椅子『ミス・ブランチ』。倉俣史朗のデザインは、機能性や利便性とは無縁の場所にあります。彼が目指したのは、重力や物質感といった束縛から解放された、空気や光のような「夢の気配」を形にすることでした。世界が恋した、日本の詩人デザイナーです。

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重力からの解放:倉俣史朗がデザインした「夢の気配」

夢の物質化——倉俣史朗が作った「別の現実」

透明なアクリルの中に真っ赤な造花のバラが浮かんでいます。その上に人が座ることができます。これが椅子だ——しかし「椅子らしさ」をことごとく裏切った存在でもあります。

倉俣史朗の椅子『ミス・ブランチ』(1988年)について語ろうとすると、言葉がすぐに限界に達します。「美しい」「幻想的」「夢のような」——どれも正確ではありません。倉俣が作ったのは「日常の現実と夢の間にある、第三の次元」への窓だったからです。

倉俣史朗という存在

デザイナーと芸術家の間

倉俣史朗は1934年に東京で生まれました。桑沢デザイン研究所で学んだ後、1965年に独立してくらまたデザイン事務所を設立しました。以後1991年に57歳で急逝するまで、インテリアデザインと家具デザインを主な活動域としました。

しかし「デザイナー」という言葉は倉俣を正確に表しません。機能性・量産性・コスト効率——デザインの通常の要件を、彼はしばしば無視しました。倉俣が追求したのは「使えること」ではなく「夢であること」でした。

彼の作品はイタリアの前衛デザイン運動「メンフィス」(エットレ・ソットサス主導)との交流の中で国際的な評価を得ました。ただしメンフィスの「ポップで色彩豊かな反機能主義」と倉俣の「詩的で内省的な反物質主義」は、同盟しながら本質的に異なる方向性を持っていました。

素材の魔術——重力を消す技術

『硝子の椅子』

1976年制作の『硝子の椅子』は、透明なガラスだけで作られた椅子です。構造体としてガラスを使うことは通常は危険とされる——しかし倉俣はその技術的な限界に挑戦し、完全に透明な「存在するか分からない椅子」を実現しました。

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座面に座ると、自分の体が宙に浮いているような感覚が生まれます。固い素材が「なさ」を演じることで、日常的な「椅子=重さ・硬さ・存在感」という感覚が崩されます。

『How High the Moon』

1986年制作の『How High the Moon』は、エキスパンドメタル(菱形の穴を開けたメッシュ状の金属板)を溶接して作った安楽椅子です。密度の低いメッシュ構造は、視覚的に「軽い」印象を与えながら、実際には鉄製の重量を持ちます。

椅子に座ると、金属が形状を保ちながら微妙に体の重さに応答します。「これは椅子なのか彫刻なのか」という問いが、座っている間ずっと続きます。タイトルは1940年代のジャズ・スタンダード曲から取られており、音楽的な「高み」への志向が込められています。

『ミス・ブランチ』

1988年の代表作です。テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』のヒロイン、ブランチ・デュボアに捧げられた椅子です。

アクリル板の座面と背もたれの内部に、約800輪の造花のバラが閉じ込められています。花は永遠に「咲いたまま」保存される——腐ることのない、死なない花です。これはブランチの「過去の栄光にしがみつき、現実を直視できない心理」の象徴です。同時に、現実には存在しえない「花が咲き続ける椅子」という夢の実体化でもあります。

商業空間という芸術

ブティックとレストランの空間

倉俣はイッセイ・ミヤケのブティック、カフェ・バー、レストランなど多くの商業空間のインテリアデザインを手がけました。彼がデザインした空間の特徴は、「商品を売る背景」ではなく「それ自体として成立する世界」でした。

光が揺れる壁、床が波打つ空間、宙に浮くような天井——倉俣の商業空間に入った瞬間、日常の感覚はリセットされました。商品は「その世界に紛れ込んだ物体」として存在することで、別の意味を帯びました。

よくある質問(FAQ)

倉俣史朗の作品はどこで見ることができますか?

東京都現代美術館・富山市立近代美術館・大阪の国立国際美術館などに収蔵されています。また2023年に開館したアート・バーゼルのメイン会場には、倉俣作品の展示コーナーが設けられることがあります。国際的にはニューヨークのMoMA・パリのポンピドゥー・ロンドンのV&Aにも収蔵されており、日本より海外での認知度が高い側面もあります。

倉俣史朗のデザインはどの程度「使える」のですか?

倉俣のデザインは機能的に使えるものがほとんどですが、日常使いより「特別な体験」のために設計されています。ガラスや薄いアクリルを使った作品は扱いに細心の注意が必要です。また多くの作品が製造数の少ない「限定品」であるため、現在では美術品・コレクターズ・アイテムとして扱われることが多くなっています。

メンフィスとはどのような運動ですか?

メンフィスは1981年にミラノでエットレ・ソットサスが中心となって始まったデザイン運動です。機能主義やバウハウス的な「良いデザイン」の規範に反抗し、ポップな色彩・奇妙な形・素材のミックスを特徴とする「反デザイン」的な製品を作りました。倉俣はメンフィスの創設メンバーとして参加し、国際的な前衛デザイン文脈での評価を得ました。

倉俣史朗はなぜ57歳で亡くなったのですか?

倉俣史朗は1991年2月に急性心筋梗塞で亡くなりました。突然の死でした。晩年には糖尿病を患っていましたが、死の直前まで精力的に制作を続けており、手帳には未実現のアイデアスケッチが多数残されていました。彼が生きていればさらに多くの作品が生まれていたという惜しまれ方は今も続いています。

倉俣史朗と吉岡徳仁・深澤直人など現代デザイナーとの関係は?

倉俣の影響は現代日本デザインに広く及んでいます。吉岡徳仁の透明素材と光の探求、深澤直人の「あるべき形」への問いかけはともに倉俣からの影響を示しています。また坂本龍一や村上春樹など異分野の文化人が倉俣への敬意を示しており、デザインを超えた広い文化的影響力を持つ存在として認識されています。

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EDITORIAL PROFILE

田村 祐大

NACK / 企画・編集

岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

アートを入口に、文化・経済・社会・テクノロジーの関係を読み解くNACK Journal / Timesを企画・編集している。

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