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なぜ僕は初代フィアット・パンダに乗るのか——生活に置くデザイン

高級さや速さではなく、毎日の道具に宿る考え方を選ぶ。愛車から、自分の選択基準をほどいてみる

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初代フィアット・パンダの横姿を中心に、余白・設計線・青い幾何学図形を組み合わせたNACK notes #001のエディトリアルコラージュ
NACK notes #001|いまを読む 愛車の初代フィアット・パンダを入口に、僕が何を面白いと思い、何を生活に置いているのかを考える。車の評価というより、この車を選んでいる僕の話です。

僕は初代フィアット・パンダに乗っている。

速い車ではない。シフトも、思った瞬間に気持ちよく決まるわけじゃない。古い車だから、手入れもいる。

それでも、乗ってるだけで、本当に、楽しいんだ!

「ジウジアーロの名作だから」「イタリアのデザインが好きだから」。そう説明することもできる。どちらも間違いじゃないけど、毎日これに乗りたくなる理由を、誰かの評価だけで説明してしまうのは、ちょっともったいない。

実際に乗って、使って、時々面倒なことも引き受けて、それでも好きだと思う。そこに、僕自身の選び方が出ている気がする。

NACK notesで音楽や映画、仕事、ものづくりについて書くうちに、最初に書いたこの車の話も、もう一度考えたくなった。

なぜパンダなのか。今の僕なら、その「好き」をもう少し他の人にも伝えられると思う。

速くない。でも、毎回にやけてしまう

僕のパンダは、アクセルを踏んだからといって、ぐんぐん加速する車ではない。シフト操作もクイックには決まらない。

でも、制限速度を守って街を走っているだけで、こんなに楽しい。

街の流れに合わせて、ちゃんと走る。バイクも軽自動車も、ベンツもアウディもいる、その中を小さなパンダで走っていく。

ドヤ顔だよ、結構エンジン回してるけどね。

速さを競いたいわけじゃない。自分で操作して、この車と一緒に進んでいる感じが、僕にはちょうどいいんだと思う。二人くらいで山道や坂道を走るときにも、僕の使い方なら、これで十分だと感じる。

乗ってて、毎回、にやけてしまう車もそうそうない。

これを「性能が低いのに好き」と説明すると、少し違う気がする。最高速度や馬力だけが、僕の楽しさを決めているわけではないからだ。

移動するための道具が、移動している時間そのものを好きにさせてくれる。

僕にとってのパンダの価値は、まずそこにある。設計の話も歴史の話も面白いけど、その前に、毎日の足として欠かせないパートナーなんだ。本当に心の底から、そうなんだ。

好きな形を調べたら、考え方が見えてきた

乗っていて楽しい。四角い姿も好き。そこから設計の背景を調べると、「ああ、だからこうなってるのか」と、さらに好きになる。

初代パンダが登場したのは1980年。デザイナー側の記録(外部サイトを新しいタブで開く)によると、1976年に始まった計画で、ジョルジェット・ジウジアーロと技術パートナーのアルド・マントヴァーニは、限られた重量と製造コストの中で、人と荷物のための空間を確保する課題に向き合った。

FIATの40周年資料(外部サイトを新しいタブで開く)でも、ジウジアーロは、既存の小型セダンを縮めるのではなく、広さと簡潔なつくり、日常の使い勝手を考えた車としてパンダを振り返っている。平面ガラスや簡潔な室内、使い方を変えられる後席にも、その判断が表れている。細部の仕様は年式によって違うので、全部が僕の車と同じという話ではない。

ここから先は、僕の読み方だ。

必要なものを一度ばらして、何を優先するか考えて、もう一度組み上げる。音楽でいうところのリミックスだ。ギャルソンの、解体からの再構築にもつながって見える。

僕が惹かれるのは、完成した形だけじゃない。なぜこの形になったのかを、使う側から逆算できることだ。

広さが欲しい。でも、大きく重く高価な車にはできない。じゃあ、どうする?

その答えが、目の前の形になっている。単に四角くてかわいいのではなく、その四角さの向こうに、考えた人がいる。それが面白い。

僕は、何もないものが好きなわけじゃない

パンダを見ていると、シンプルという言葉も、少し考え直したくなる。

何もないからいいわけじゃない。必要なことまで省かれていたら、毎日の道具としては困る。

僕が好きなのは、考え抜いたあとに、余計なものが残っていない状態なのだと思う。

小さい車だけど、その中でどう使えるかは、細かく考えられている。小さいことと、細かいことは違うんだよ。

僕は大学で建築を学び、その後は暗号資産・Web3の領域でもプロダクトデザインをしてきた。見た目を整えれば終わりではなく、使う人、技術、予算、運用の間で、何を残すかを何度も選ぶ仕事だ。

だから、パンダの簡潔さを見ると、その前にあった判断を考えてしまう。

画面に余白をつくるときも似ている。ただ空いた場所ではなく、読みやすさや使いやすさのために、考えて残した場所がある。僕が「デザインは編集」と考えるのは、こういうところだ。

少なくすること自体が目的ではなく、使う人にとって大切なものが、ちゃんと残っていること。

僕は、そういう仕事が見えるものと暮らしたい。

パンダも、ギャルソンも、僕の中ではつながっている

僕はアンティークを集める。さっきも出たけど、コム デ ギャルソンを着る。ストリートスナップを撮るのも好きだ。

車、服、家具、写真。並べると、随分ばらばらに見えるかもしれない。

でも、パンダを好きな理由を書いていると、他のものを選ぶ理由まで見えてくる。僕は、見た目を一つのテイストにそろえたいわけではないんだと思う。

簡潔な道具にも惹かれるし、形を大胆に崩した服にも惹かれる。そこは矛盾しない。

何のために、この形にしたのか。何を残して、何を変えたのか。その人や、そのものが生まれた時代の判断を感じられると、もっと見ていたくなる。

写真でも、用意された正解を探すというより、街にある人や形や光の関係に反応している。

共通しているのは、同じ見た目ではなく、つくられた理由や、その場にある関係を面白がっていること。

しかも、それは買った瞬間に終わらない。着る。使う。乗る。最初には分からなかったことを、後から知る。そのたびに、好きな理由が増えていく。

パンダも、その並びにいる。車の中だとしたら、僕の好みの先頭を走ってるんじゃないだろうか。非力な小型エンジンだけど。

好きだからこそ、美談だけにはしない

ここまで書くと、古いものを長く使えば、それだけでいいようにも聞こえる。でも、そういう話ではない。

古い車には整備も部品も必要だし、手間もお金もかかる。好きだという気持ちで、不具合や安全性の確認をごまかしていいわけでもない。

燃費も、僕の使い方では冬の高速道路でリッター15キロくらい走ってくれることがあるけど、夏にクーラーを使えば変わる。これは僕の車での実感であって、誰にでも同じ数字を約束する話ではない。

燃費だけで新しい車に勝てる、と言いたいわけじゃない。「買い替えていないから環境にいい」とも、ここでは言い切らない。

それでも、手入れしながら乗り続けたいと思っている。

僕が言いたい「良いものを長く使う」は、我慢の長さを競うことじゃない。残す理由があるから、手間を引き受けるということだ。

合わなくなったものまで、ずっと持っていなければならないわけではない。手放していい。本当に残したいと思うものを、残したらいいのだ。

長く持っているから価値がある、だけではなく、今も使いたいと思えるから持ち続けている。

僕のパンダは、今のところ、そういう車だ。

飾るより、生活の中で確かめたい

パンダの形を眺めて「いいデザインだな」と言うだけなら、乗らなくてもできる。

でも僕は、使っていたい。

僕はデザイナーだし、いろんな機材で撮影もするし、キャンプにも行くし、ゴルフだって始めたい。

そういう生活を、車のほうから決めつけられたくない。何を載せて、どこへ行くのかは、僕が決める。僕は何者にもなれる。パンダには、そう思わせてくれる余地がある。

完成された記号を身につけたいのではなく、考え方と一緒に暮らしたい。

前にこの文章を書いたときにも残した言葉だけど、今読むと、やっぱりここなんだと思う。誰かが考えたものを、自分の生活に置いて、実際に使いながら確かめる。

NACKでアートを日常に届けたいと思っていることとも、つながっている。

作品の知識だけを増やして終わるのではなく、日常の中で出会い、自分は何を感じるのかを確かめてほしい。そのために、何を、どこに、どういう形で届けるかを考えている。

車とアートを同じものだと言いたいわけではない。ただ、遠くから価値を褒めるだけではなく、自分の生活との関係を持ちたい、という僕の姿勢は共通している。

だから、NACKをやっている人間が何を選んでいるのかも、少しずつ書いておきたい。立派な理念だけでなく、毎日こんな車に乗って、にやけているやつです、というところまで。

なぜ僕は、今もパンダに乗るのか

ここまで書いて、最初の「乗ってるだけで楽しい」に戻ってきた。

でも、同じところに戻ったわけではない。何が楽しいのか、その理由を前より少し説明できるようになった。

日常の速度で運転が楽しい。使っていると、形の向こうに設計した人の判断が見える。必要なものはあり、その先の使い方は僕に任されている。そして、手入れをしてでも、この関係を続けたいと思える。

僕は、古いから選んでいるわけでも、有名なデザイナーの作品だから選んでいるだけでもない。

その考え方が、今の僕の生活の中でも、ちゃんと面白いから選んでいる。

最初にこの記事を書いたときには、好きな車について説明しているつもりだった。でも、NACK notesを書き続けてから読み直すと、僕が何をつくりたいのかまで書いてあった。

ものは変わっていなくても、見る側の経験が増えれば、分かることは増える。昔の文章を全部否定する必要はない。そのときには説明しきれなかった理由を、今の自分が付け足せばいい。

同じ車に乗ってほしいわけじゃない。僕の好みを、みんなの正解にしたいわけでもない。

ただ、読み終わったときに、自分の服や家具や、毎日使っている道具を見て、「自分にも、そういうものがあるな」と思ってもらえたら嬉しい。

好きだから、としか言えなかったものにも、選び続けている理由がある。その理由を他の人にも伝わる形にすることが、僕がこのノートでやりたい編集なのだと思う。

アルファ ロメオとジウジアーロの3台を読んだ#002(外部サイトを新しいタブで開く)でも、その続きを考えている。YouTubeを観ていたら、文章を書きたくなったんだよ。

僕が何を美しいと思うかは、僕が毎日、何を選んでいるかに出る。

なぜ僕はパンダに乗るのかを書くことは、僕がどう生きたいのかを書くことでもあった。

あなたは、どんな考え方と一緒に暮らしたいですか。

その話も、聞かせてくれたら嬉しいです。

参照した公式資料

本稿はNACK編集部による独立したエッセイであり、FIAT、Stellantis、Italdesign、各権利者の協賛・承認・提携を示すものではありません。

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NACK notes / PROFILE

田村 祐大

Designer / NACK Founder

岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

NACK notesでは、映画、YouTube、音楽、車、日々の選択を、自分の経験とアート・デザインの視点から読み直す。専門家として結論を示すのではなく、一人の読み手として考えた過程を記録している。