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NotesMusic

音楽史 2/5|岡山 — ROOTS

ゲームBGMの記憶を、ピクセル状の格子と進行する音の波、コバルトブルーの幾何学コラージュで表したNACK notes #025「音楽史 2/5|岡山 — ROOTS」のサムネイル
NACK notes #025|僕の音楽史と人生 2/5
VALUEから時間を巻き戻す。第二章は、岡山。幼稚園から、小学校、中学校、高校を通って、京都へ出る直前まで。

全部の原型は、岡山にあった。

幼稚園。最初の記憶は『新世界より』

僕が通っていた幼稚園は、キリスト教の幼稚園だった。

その頃の音の記憶が残っている。

音楽会で『新世界より』を演奏した。

一番覚えているのは、曲そのものより、音が鳴る直前の静けさだ。

まだ何も鳴っていない。

でも、次の瞬間にはみんなで一斉に音を出す。

その一瞬が、なんか怖くて、めちゃくちゃ気持ちよかった。

僕が持っていたのは鍵盤ハーモニカだったと思う。

小さい人間が大勢集まって、自分一人では出せない音を出す。

自分の音はその中に混ざってしまうけど、自分がいなければ少しだけ違う。

たぶん僕の音楽史を本当に時系列で始めるなら、ここだ。

鍵盤。エレクトーン。一人なのに大勢になれる

両親は共働きだった。

小さい頃は学童へ行ったり、祖父母の家へ行ったり、家へ帰れば自分で鍵を開けたりしていた。

家にはピアノとエレクトーンがあった。

ばあちゃんちにもピアノがあった。

僕はピアノも触ったけど、エレクトーンの方がかっこよかった。

両手だけじゃない。足も使う。

音色を変えると、一人なのにバンドにもオーケストラにもなる。

一人なのに大勢になれる。

僕はYAMAHAへ習いに行った。

そして、教則本からすぐ脱線した。

勝手に曲を作った。

「これはシンドバッドが夜、踊り狂っている曲です」

みたいなことを神妙な顔で言っていた。

先生は、ハイハイ、そうですか、だったと思う。

でも僕は本気だ。

タイトルまで考える。

音色も変える。

頭の中に景色があるから、それを音にする。

この頃から、楽器は楽器だけじゃなかった。

音を鳴らすと、場所が変わる。

車のナンバープレートを、10にする

エレクトーンへ向かう車の中でも、僕はずっと遊んでいた。

母親の二代目マーチの助手席に座って、前や隣を走る車のナンバープレートを見る。

当時のナンバープレートの4桁は、今みたいに希望ナンバーを自分で選ぶものではなく、基本的には割り当てられた数字だった。

その4つの数字を使って、足し算、引き算、掛け算、割り算を組み合わせて、10を作る。

一台できたら、次の車。

それもできたら、また次の車。

信号待ちでもやる。走っている車でもやる。

「あ、できた」

と頭の中で一人で喜ぶ。

今でもたまにその癖を思い出して、車のナンバープレートを見ることがある。

でも、どうしても10にできない数字がある。

子どもの頃の僕は、なぜか「絶対に10にできる」と思っていた。

あの頃は、街の至るところに数学ゲームが落ちていたような感覚がある。

ナンバープレートもそうだし、数独みたいな数字遊びもそうだ。

問題集を開いて「勉強する」というより、目に入った数字を勝手に問題へ変えて遊んでいた。

今振り返ると、僕が小学生の頃に計算やパターンを考えるのが得意だった理由の一つは、こういう遊びを何度も繰り返していたからかもしれない。

数字を見る。

組み合わせる。

一つの方法でダメなら別の演算を試す。

それでもダメなら順番を変える。

答えが出るまで考える。

エレクトーンへ向かう母親のマーチの助手席で、僕はそんなことを何度もやっていた。

考えてみれば、今もあまり変わっていない。

与えられたものを眺めて、組み替えて、別の答えを探す。

音楽でも、デザインでも、仕事でも、たぶん僕はずっと同じ遊びをしている。

ドは赤。ミは緑

音には色があった。

ドは赤。

レは黄色。

ミは緑。

ソは青というより水色。

子どもの僕は、みんなそうだと思っていた。

音を聞くと色がある。

それだけだ。

今はデザインをしているけど、振り返ると、音と色を別々に考えていなかったのかもしれない。

ロボコップを、ずっと描いていた

小学校の頃、なぜか『ロボコップ』にめちゃくちゃハマった。

百均のお絵かき帳にずっと模写していた。

ヘルメットの横に小さい文字がある。

何て書いてあるのか知りたい。

VHSを止める。

見えない。

巻き戻す。

止める。

見えない。

そもそもVHSが伸びている。

読めへんやん。

そのうち、オリジナルのロボットも描き始めた。

家にある本を片っ端から開いて、参考になりそうなロボットを探した。

一度見つかった本と似た雑誌を探すようにもなった。

今考えると、これ、デザインリサーチみたいなことを小学生が勝手にやっている。

もちろん本人はそんなこと知らない。

ただ格好いいロボットを描きたかった。

トイレットペーパーの芯とモーターと電球で、3Dの野球ボードゲームみたいなものも作った。

学校へ持って行った。

朝みんなで遊んだ。

昼にはぶっ壊れていた。

でも、また作ればいい。

小学校六年生のカセットテープ

小学校六年生の卒業制作で、カセットテープを入れる木のケースを作った。

木工で線を彫って、そこに色をつける。

僕はそこに、クジラと、ハワイみたいな小さな島と、海と空と太陽を描いた。

横には海底の絵があって、その横には日付とクリームソーダみたいなものがある。

その隣にもまた海底がある。

なんかよく分からない。

でも、今見ると普通にアートだなと思う。

たぶん当時の僕なりに、いろいろ考えたんだろう。

何を描こう。

ここに何を置こう。

この色にしよう。

こっちは海の中にしよう。

誰かに評価されるためじゃなくて、ただ面白そうだからやっている。

それを見ていて思った。

子どものままでいいのかもしれない。

楽しい。

やりたい。

これ、どうやってやるんだろう。

じゃあ工夫してみよう。

子どもって、これを普通にやっている。

大人になると、正解とか効率とか評価とか、お金とか、いろんなものを先に考えるようになる。

でも、作ることの一番最初って、本当はこの感じだったんじゃないか。

教師がすごかったのかもしれない。

よく分からない。

ただ、少なくとも僕はその授業で、自由に考えて手を動かしていた。

そして、その木のカセットケースには、昔の写真をたくさん入れていた。

ちょうどフィルムを現像した写真のサイズと、ケースの大きさが合ったからだと思う。

小学校、中学校、高校くらいまでの写真が、そこに残っている。

今回、人生を振り返っていて、自分の顔を見たくなった。

どんな顔してたんだろう。

どんな服を着てたんだろう。

誰といたんだろう。

それで、そのケースを探した。

どこに置いていたかも分からないくらい、雑なところに置いてあった。

そこで急に思った。

もし火事になって、この写真までなくなったら。

僕のことを知らない人にとっては、ここに写っている僕は最初から存在しなかったのと同じになるかもしれない。

それが、本当に嫌だった。

こいつ、生きてたんだ。

それくらいは残したい。

だから写真を撮ることにした。

昔の写真を、今の自分がもう一度記録する。

今回やっている人生音楽史も、たぶん同じなんだと思う。

有名になりたいという気持ちもある。

でも、そのもっと手前に、

僕はここにいた。こんなことを考えて、こんなものが好きで、こんなふうに生きていた。

それを残したいという気持ちがある。

ゴールデンアイとポケモン。先生はテレビとゲームだった

家ではゲームをした。

NINTENDO 64の『ゴールデンアイ 007』。

『ポケットモンスター』。

幼少期の音楽を辿ると、『新世界より』の次に、なぜか銃を持っている。

ドヴォルザークからゴールデンアイ。

どういう音楽遍歴なんだよ。

『ゴールデンアイ』は、音が鳴った瞬間に部屋の空気を変えた。

見つかるな。

急げ。

何かいる。

音は僕を子ども扱いしなかった。

『ポケモン』もそうだった。

イントロが鳴った時点で世界が始まっている。

強くなりたい。

負けたくない。

集めたい。

友達より先に知りたい。

できれば自慢したい。

子どもだから純粋だった、なんてことはない。

ちゃんと欲望の塊だ。

当時のテレビも大きかった。

歌番組、ウッチャンナンチャン、『天才てれびくん』、戦隊もの、『おジャ魔女どれみ』。

高校になるとMTVとSPACE SHOWER TVを見るようになる。

僕の音楽史は、楽器だけで出来ていない。

テレビとゲームからも、めちゃくちゃ音楽を教わった。

中学。吹奏楽とゲーセン

中学で吹奏楽に入った。

そして、ここでかなり大事なことを知った。

楽器を極めたら、本当にいい音が鳴る。

これはガチだ。

同じ譜面でも、誰が演奏するかで違う。

同じ一音でも、息や手の使い方で違う。

スネアもやった。

ティンパニもやった。

ドラムセットも触った。

ゲームセンターでは『DrumMania』をやった。

中学にあったドラムセットではHi-STANDARDやTHE BLUE HEARTSを叩いた。

そして吹奏楽で実際に演奏していた曲を思い出すと、また面白い。

『ドラゴンクエスト』。

『ポケットモンスター』。

『カードキャプターさくら』で聴いた広瀬香美の曲。

『古畑任三郎』。

『踊る大捜査線』。

『ルパン三世』。

ゲームとドラマとアニメじゃん。

僕にとって吹奏楽は、クラシックだけの世界じゃなかった。

みんなが知っている曲を、楽器で本気で鳴らす場所だった。

そりゃゲーム音楽とバンドとクラブミュージックが、あとで普通につながるわ。

初めてのバンド。ドラムはじゃんけんで負けた

中学の文化祭で初めてバンドを組んだ。

僕はドラムだと思っていた。

だって、僕の方が叩けると思っていたから。

でも、じゃんけんした。

負けた。

ドラムは別のやつになった。

スネアの基礎練習では、じゃんけんに勝てない。

当たり前である。

僕はピアノで出た。

幼い頃の鍵盤が、ここで戻ってきた。

8月21日と、8月22日

第五章を書きながら、中学校の頃に付き合っていた人へ久しぶりにLINEを送った。

そこで、急に思い出したことがある。

最初に付き合った人の誕生日が、8月21日だった。

その次に付き合った人の誕生日が、8月22日だった。

一日違い。

すごくない?

僕の誕生日は12月21日だから、最初の彼女とは「ちょうど4か月違いだね」みたいなことを話した記憶も残っている。

そして二人目の彼女が、僕のファーストキスの相手だった。

こういうことって、二十年以上経ってから急に思い出す。

曲や場所だけじゃなくて、誕生日みたいな数字まで残っている。

振り返ってみると、僕が好きになった人には8月生まれが多い気がする。

後に結婚しようかなと思った人も8月18日生まれだった。

獅子座の人を好きになることが多いのかもしれない。

もちろん、星座で人を選んでいたわけじゃない。

ただ人生を掘り返していたら、あとからこういう妙な共通点が見つかった。

それがちょっと面白い。

高校。男子校。もう一回、吹奏楽

高校受験はうまくいかなかった。

僕は私立の男子校へ行った。

サッカー部と吹奏楽部で迷って、吹奏楽部に入った。

フルートを吹く先輩に誘われたのを覚えている。

顧問の先生は打楽器に厳しかった。

基礎練習をやった。

スネアをやった。

太いバチを握った。

僕はいまも指が少し曲がって見えるんだけど、あの頃の練習のせいじゃないかと思っている。

必要な一瞬だけ力を出す。

ずっと力むわけじゃない。

うまく見せようとしても音には出る。

ごまかせない。

コンクールでは、一発だけ金属を鳴らす箇所があった。

一音だけ。

一音だけなら簡単に思うかもしれないけど、逆だ。

一音しかないから、ミスしたら次がない。

僕は早く鳴らした。

当時の僕は、それをものすごく引きずった。

音楽って、楽しいだけじゃない。

一音を本気で扱う怖さも、ここで覚えた。

メロディックパンク。ビートを極めたかった

バンドでは、2000年前後のHi-STANDARDみたいなメロディックパンクが好きだった。

僕が好きだったのは、単に速いからじゃない。

ビートを極めている感じだった。

叩けるパターンを身体に入れて、速くても粒を揃える。

当時、スラッシュビートは岡山一速かった自信がある。

BPM220ぐらいはいけてた記憶だ。

盛ってたらごめん。

でも、足は本当にやばかった。

ドドッ、ってやるのがすごい。

速ければ偉いわけじゃない。

でも、技術を極めた身体で鳴らす音は格好いい。

プログレ。楽器を極めたかった

プログレッシブ・ロックも好きだった。

YES。

Pink Floyd。

King Crimson。

僕がプログレを聴いたのは、難しい音楽を聴いている自分が格好いい、だけじゃなかったと思う。

ドラムという技術を極めたかった。

ロックと言っているのに、なんでもやる。

オーケストラみたいになる。

変拍子もある。

楽器が自由自在に動く。

でも、全部が正統派じゃない。

全部クール。

YESの『危機』も、Pink Floydも、King Crimsonも、僕には「楽器を極めた人が音楽を自由自在に操っている」ように見えた。

UKの少し陰湿で、雨みたいで、ちょっと怖いのに落ち着く感じも好きだった。

YMO。昔の未来

YMOも聴いた。

特に僕が思い出すのは『TECHNOPOLIS』や『RYDEEN』の時代だ。

親父のレコードにもYMOがあった。

昔のレコードなのに、未来の音がする。

中田ヤスタカがその後あんなに大きくなるとも思っていなかった。

当時はcapsuleを聴いていた。

高校の頃は『CHOKi CHOKi』も流行っていて、美容師ブームみたいなものもあった。

アパレルや美容師のイベントも多かった。

FRAPBOIS、mercibeaucoup,、ZUCCa。

懐かしい。

クラブは、音楽だけを聴きに行く場所というより、ファッションや美容や人が出会う場所でもあった。

岡山にも、その空気はあった。

京都へ出る直前、MacBookとGarageBand

岡山を出る直前、母親にMacBookを買ってもらった。

GarageBandを触った。

その頃、自分で『Ambivalence』という曲も作っていた。

僕の記憶では、YUKIの『JOY』や、capsuleの『Starry Sky』みたいな時代の空気が自分の中にあった。

もちろん、同じ曲を作ったという意味じゃない。

2000年代後半の、MacBookを開いて一人で音を並べる感じ。

電子音とポップが近かった感じ。

バンドをやっていた僕が、パソコンで一人でも音楽を作り始めた。

そして、そのMacBookを持って京都へ行く。

そういえば、映像も残していた

家にはビデオカメラが三台くらいあった。

デジタルカメラも三台くらいあった。

うちはCanon党だった。

フィルムの時代からそうだった。

だから中学や高校の頃、ビデオカメラでライブを撮った。

岡山の映像も撮った。

当時は未来の自分のために資料を残しているなんて思っていない。

カメラがあるから撮っただけだ。

でも、MiniDVのテープがまだ残っている。

2026年になって、そのテープを引っ張り出した。

Sony HDR-HC3もまだ持っている。

昔買ったBUFFALOのUSBキャプチャまで出てきた。

いつか取り込もうと思っていた「いつか」が、いま来た。

この人生音楽史を書いていなかったら、また何年も眠っていたかもしれない。

AIは当時の岡山を知らない。

でも、テープには本当にその時の映像が残っている。

記憶だけじゃない。

記録も残っていた。

岡山で、音楽を聴いた。

楽器を触った。

ゲームをした。

服を見た。

曲を作った。

映像を撮った。

あとから始めたように見えるものの原型が、だいたいここにある。

全部の原型は、岡山にあった。

まこと。なんでこれってこうなんじゃろうな

写真を見ながら、まことのことを思い出した。

幼稚園から一緒だった。

中学では旭川のサッカーの試合で久しぶりに会って、「お前、幼稚園一緒じゃな」みたいなところから、また仲良くなった。

頭はめちゃくちゃ良かった。

でも、高校は辞めた。

その後はプラプラして、パチスロへ行って、酒を飲んで、喧嘩もして、焼き鳥屋でバイトしていた。

僕たちはその店へ行って、食べて、飲んだ。

浪人の頃なんて、僕はほとんどまことと一緒にいた気がする。

一緒に住んでいたようなものだった。寝る場所は別だったけど。

僕が京都の大学へ行ってから、少し疎遠になった。

嫌いになったわけじゃない。

単純に僕が岡山へあまり帰らなくなった。

それから再会した。

「おめ、何しよん?」

と聞いたら、先輩に頼まれて風俗店のドライバーを始めたと言った。

最初は言われて始めただけだったらしい。

でも、そこから売上を伸ばして、店長になったと聞いた。

僕が面白かったのは、その理由だった。

あいつは、仕事をただこなしていたんじゃない。

当時、雑居ビルなんかに「DVD鑑賞」みたいな看板の店があった。

赤とか黄色とか銀色とか、派手な袋文字で書いてあるようなやつ。

まことはそこへ通って、成人向けDVDのタイトルを一個一個見ていたらしい。

何が人の目を引くのか。

どんな言葉なら反応するのか。

どういうコピーが使われているのか。

当時は生成AIなんてない。

あいつ、自分で市場調査してたんだ。

本人はそんな格好いい言葉を使っていなかったと思う。

ただ、「どうしたら売れるんじゃろうな」と考えて、現場へ見に行った。

僕にはそのコピーのセンスはたぶんない。

でも、今デザインやマーケティングの仕事をしている僕から見ると、やっていたこと自体はめちゃくちゃ分かる。

調べる。

見る。

仮説を立てる。

試す。

数字を見る。

また考える。

学校でマーケティングを習ったからじゃない。

必要だったから、自分で覚えた。

今もまことは自分で仕事をしている。

昔AMEXを持っているのを見て、「こいつ、なんかすげえな」と思った記憶もある。

今になって、逆に尊敬する。

あいつは昔から、現状をそのまま受け入れるタイプじゃなかった。

「これってこうじゃけど、こうじゃないんかな」

「俺ずっと思っとんじゃけどな」

「あれってどういうことなんじゃろうな」

「なんでこうなってると思う?」

そんなことを、ずっと考えていた。

そうそう。

だからこれがこうなって、こうなったんよ。

そんな話を延々としていた気がする。

たぶん僕たちは、そういうところで仲間だったんだと思う。

森もいた。

あいつは今も反抗してそうだな。

パンクだからな。

まことは、昔みたいな意味でのパンクからは卒業したのかもしれない。

子どももできた。

いろんなこともあった。

今は岡山で仕事をしている。

でも、本当に卒業したんだろうか。

「なんでこれってこうなんじゃろうな」と考えて、与えられたものをそのまま受け取らない。

それもパンクなんじゃないか。

僕もずっと反抗していた。

学校にも、普通にも、正解にも。

昔は反抗すること自体が格好いいと思っていたところもある。

今は少し違う。

おかしいと思ったら、じゃあどう作り直すかまでやりたい。

昔のパンクが反抗だったなら、今の僕のパンクは再設計なのかもしれない。

そして、ここで学歴の話にも戻る。

まことは頭が良かった。

でも高校を辞めた。

それで人間の価値が決まったわけじゃない。

大学を出た人が偉くて、高校を辞めた人が劣っている、なんて簡単な話じゃない。

学校へ行きたい人は行けばいい。

大学でしか学べないこともある。

僕自身、芸術大学へ行って本当によかったと思っている。

でも、人を見る時に学歴だけを見るのは、あまりにも情報が少ない。

現場で自分で問いを作って、調べて、試して、結果を出す人もいる。

「なんでこれってこうなんじゃろうな」から始められる人は、強い。

それって、僕がデザインでずっとやっている「なぜ?」と同じじゃん。

お盆だからなのか、昔の写真を見ているからなのか、今日はやたら岡山の人たちを思い出す。

懐かしいな。

まこと、森、みんな元気でやってるかな。

この時は、まだ分かっていなかった

岡山にいた頃の僕は、ただ面白いと思ったものへ手を伸ばしていた。

音楽をやる。絵を描く。ゲームをする。友達とふざける。学校には反抗する。

今振り返ると、ずっと同じことをしていた気がする。

「なんでこれってこうなんだろう」

と思ったら、そのままにしておけない。

自分で触ってみる。変えてみる。作ってみる。

当時はそれをパンクとも、デザインとも、REMIXとも思っていなかった。

ただ子どもだった。

でも、この岡山でできた「楽しい」「やりたい」「どうやるんだろう」の感覚が、京都へ行って、クラブへ行って、仕事をして、AIに出会ったあとまでずっと残ることになる。

その意味が分かるのは、もう少し先の話だ。

その頃は、答えなんてなかった

今から意味をつければ、いくらでもきれいに説明できる。

でも岡山にいた頃の僕は、そんなことを考えていなかった。

エレクトーンで勝手に曲を作る。

ロボコップを見ながら絵を描く。

分からなければ本を探す。

ゲームをする。

吹奏楽をする。

バンドをする。

友達と遊ぶ。

学校へ行かない日もある。

ただ、その時その時で面白いと思ったことをやっていた。

まことと話していてもそうだった。

「なんでこれってこうなんじゃろうな」

「なんでこうなってると思う?」

答えが出るわけでもないのに、そんな話をずっとしていた。

僕自身も、なんで自分はこんなにいろんなものに手を出すんだろう、と説明できなかった。

なんで僕は、こんなことばっかりやってるんだろう。

その答えは、この時にはまだない。

追記|大原美術館。岡山に最初からあった「本物」

岡山時代を振り返っていて、もう一つ、音楽とは直接関係ないようで、今の僕にはかなり大きかったものを思い出した。

倉敷の大原美術館だ。

中学生の頃から行っていたし、京都へ出て大学に入ってからも岡山へ戻れば見に行った記憶がある。

当時は「将来アートの事業をやるから勉強しておこう」なんて当然考えていない。ただ、本物の作品が普通に岡山にあった。

モネの《睡蓮》も見た。ピカソも見た。そして、あの細長い顔と首の人物画。名前が一瞬出てこなくて「モデリンアイだっけ」となったけれど、アメデオ・モディリアーニだ。

大原美術館にはモディリアーニ《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》がある。

そして僕が特に好きなのが、具体だ。

大原美術館を歩いていって、近代の西洋美術だけではなく、その先で日本の戦後美術や現代へ接続していく感覚が好きだった。具体美術協会の作品を含め、僕にとって「絵を見る」ということが、きれいなものを鑑賞するだけではなく、「なんでこんなことをしたんだろう」と考えることに変わっていった。

大げさじゃなく、具体がなかったら今の僕はかなり違ったと思う。

岡山にいた頃から、クラシック音楽、ゲーム、吹奏楽、パンク、テレビだけじゃなく、美術館という場所からも、ずっと何かを受け取っていたんだと思う。

そしてずっと後、2022年に開館した大阪中之島美術館にも行った。開館記念特別展の一つが「モディリアーニ ─愛と創作に捧げた35年─」だった。

大原美術館で昔から見ていた、あの細長い顔の人だ。

岡山で見ていたものと、大人になって大阪で改めて見るものがつながった。

こういうことも、音楽史を書かなかったら思い出さなかったかもしれない。

音楽の話をしているはずなのに、ゲームが出てきて、テレビが出てきて、服が出てきて、美術館が出てくる。

たぶん、それでいい。

僕の音楽だけが単独で育ったわけじゃないからだ。

サニープレイスのくませ

岡山時代の話で、もう一人ちゃんと残しておきたい人がいる。

サニープレイスの、くませ。

めちゃくちゃいいやつで、めちゃくちゃ面白いやつだった。

こういう人の存在って、あとから振り返るとかなり大きい。

何か特別な肩書きがあったから覚えているわけじゃない。

一緒にいると面白かった。人として好きだった。そういう記憶の方が、むしろずっと残る。

岡山時代を思い出す時、音楽や場所だけじゃなくて、こういう人たちの顔も一緒に出てくる。

サニープレイスのくませについては、まだちゃんと書きたいエピソードがある。

これは岡山時代の、もう一つのエピソードトークとして残しておく。

    NACK notes / PROFILE

    田村 祐大

    Designer / NACK Founder

    岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

    NACK notesでは、映画、YouTube、音楽、車、日々の選択を、自分の経験とアート・デザインの視点から読み直す。専門家として結論を示すのではなく、一人の読み手として考えた過程を記録している。