「興味を持ったら、なんでもやる」——ノン・エンジニアがTouchDesignerとArduinoで電子工作し、オリジナルプロダクトを作った話
初めての電子回路図、小学校ぶりのはんだ付け。光りながら上下する提灯「Kinetic Chochin」が完成するまで

NACK notes #008|いまを読む 2018年、僕はTouchDesignerとArduinoを使い、光りながら上下に動く提灯「Kinetic Chochin」を作りました。身近な人には見せていたけれど、広く知られたプロダクトではありません。2026年になって、8年前の写真や映像、制作記録を掘り起こして見返したとき、当時は言葉にできなかったことがいくつも見えてきました。
長いっす。昔の話をすると、どうしても長くなる。
TouchDesigner、Arduino、DMX、LED、ステッピングモーター、電子回路まで、当時どうやって作ったのかもできる限り残します。技術的なところが気になる人は、ぜひそこまで読んでください。
でも、この記事で本当にやってみたいのは、それだけではありません。
僕自身が「これ、面白い」と思って8年前に作ったものを、2026年の今、初めて見る人にも「なるほど、そこが面白かったのか」と伝わる形にしてみたい。
なぜデザイナーだった僕が、電子回路を書き、Arduinoを触り、DMXで信号を送り、LEDを光らせ、ステッピングモーターまで動かしたのか。技術そのものより、その行動のほうが、今見るとかなり僕らしいと思っています。
当時は、ただ面白いからやっていました。でも8年経って振り返ると、そこには、知らない領域へ入ること、フィジカルなプロトタイプを作ること、作ったものを人に届けること、自分の興味を他人にも分かる形に翻訳すること、という今の仕事につながるものが全部入っていました。
だからこれは、技術記事であると同時に、8年前の自分を2026年の自分が読み直す記事です。
ほとんど誰にも知られず眠っていたものですが、眠らせたままにしておくには、ちょっともったいないと思いました。
全部読むのがしんどければ、後半だけでも見てください。前半は、8年前の僕が何を見て、どう調べ、どう作ったか。後半は、2026年の僕がそれをどう見直したかです。急いでいる人には、むしろ後半を読んでほしい。
当時はただ「面白いからやる」で突っ走っていた。でも今見ると、作ること、試すこと、失敗すること、人に届けること、自分が面白いと思ったものを他の人にも分かる形にすることまで、全部つながって見えます。
8年前に何を覚えたかではなく、8年後にも何が残っていたのか。そして、過去の自分を掘り起こしたことで、今の自分がどんな一歩を踏み出せそうなのか。そこを後半にまとめています。
なぜ、電子工作なんてほとんどやったことのない僕が、TouchDesignerを触り、回路図を書き、はんだごてを握り、木を切り、提灯を光らせ、上下に動かすところまでやったのか。
その答えは、そんなに格好いいものではありません。
単純に、面白いことをしようと思ったからです。
知らない技術があった。触ってみたら面白かった。頭の中に、こんなものが動いたら楽しいだろうな、という景色が浮かんだ。だから、一つずつ調べて、作った。
ただ、それだけです。
でも今振り返ると、その「ただ、それだけ」の中に、今の僕を作っているものがかなり入っていました。
興味を持ったら、専門かどうかをあまり気にせず、なんでもやってみること。画面の中だけで満足せず、現実に存在するところまで持っていくこと。分からないものを分からないままにせず、自分の手で動かしてみること。そして、一つの体験を作るためなら、デザイン、映像、プログラム、電子工作、空間、木工といった境界を越えてしまうこと。
Kinetic Chochinは、できなかった自分の記録ではありません。
もちろん、今見ると未熟です。技術も、見せ方も、届け方も、もっとやれたと思う。でも、その未熟な状態で、知らない領域に入って、調べて、手を動かして、実物まで作った。
2026年の僕から見ると、そこが一番面白い。
今の僕が、すでに始まっていた記録です。
01|上場企業を離れて、次に何をするか考えていた
Kinetic Chochinを作ったのは、2018年の6月から7月頃です。
僕はその少し前に、初めて会社員として勤めていた上場企業を離れていました。 (これについてはまた語りたい。)
辞めたあと、次に何をするのかが完全に決まっていたわけではありません。ただ、何も考えていなかったわけでもない。むしろ、自分は本当は何をしたいのかを、自分と向き合い、かなり考えていた時期でした。
大学ではデザインを学び、仕事でもグラフィック、Web、映像に触れてきました。音楽もずっと作っていました。けれど、その頃から僕が惹かれていたのは、ポスターならポスター、WebならWeb、映像なら映像と、一つの媒体の中だけで完結するものではありませんでした。
映像が音に反応する。光が人の動きに呼応する。空間全体が、その場で変化する。デジタルの信号が、現実のものを動かす。
そして、デザイン、映像、音楽、空間、テクノロジーを、ばらばらの専門領域ではなく、一つの体験として扱う仕事があると知りました。その世界へ行ってみたいと本当に思った。
しかも京都で、テクノロジーとエンターテインメントを組み合わせるクリエイティブの会社があり、実際にオフィスを見学させていただいたり、現場にも足を運び、その空気に触れました。
そこで僕は、その興味だけで行った行動によって、持って帰ったものがあります。
内定でもなければ、仕事でもありません。
「秋月電子」というキーワードでした。
今なら、電子工作をする人にとって秋月電子通商がどういう場所なのか分かります。でも当時の僕は、その名前すらほとんど知らなかった。「アキヅキデンシ?」という感じ。
電子部品を買うなら、秋月電子。
その一言だけを覚えて帰りました。
でも、僕はそういうところがあります。知らない言葉を一つ持ち帰ると、とことん、気になって調べる。調べると、その先にまた知らないものが出てくる。気づいたら、最初にいた場所からずいぶん遠くまで来ている。
階段を一段登れば、景色が変わって、再びすべてリセットされる感覚がある。一段を登り切る頃には、また新しい階段が目の前に現れる。そこで、焦らず腐らず諦めず、頑張って登り始める。随分と頑張って上に来たもんだと振り返ると、まだまだ一段しか登っていないことに気付かされる。その繰り返しだ。(今はAIがある、本当にいい時代になったものだ。)
「秋月電子」という一つの言葉から、情報を集め始め、Arduino、抵抗、電源、配線、DMX、LED、モーターへと、手が伸びていき、世界が広がりました。
当時、デザイナー以外の肩書は、まだ定まっていませんでした。
でも、未知のものに興味を持ち、分からないままでも近づいていく性質は、もう完全に僕でした。
https://youtu.be/J7NbOM_7iKs?si=uJz6V2D3toDoYiva(外部サイトを新しいタブで開く)
余談であるが、MIXIのサブチャンネルでラッパーYZERRさんも同じようなことをおっしゃっていた。僕は高ラの時からウォッチしているが、なるべくしてなった男だと本当に思う。本当に尊敬しています。
02|京都METROでTouchDesignerに出会った
その頃、京都METROでTouchDesignerのワークショップがあり、僕は参加しました。
TouchDesignerは、ノードをつなぎながらリアルタイムの映像やインタラクションを作れる、ビジュアルプログラミングのためのソフトウェアです。
今でこそ、TouchDesignerを使ったライブ演出、プロジェクション、インスタレーション、センサー連携などを目にする機会は増えました。けれど、当時の僕にとっては、画面の中の映像を作るためだけのソフトではない、ということがとても新鮮でした。
入力された音や数値に反応して、映像がその場で変わる。あらかじめ完成した動画を再生するのではなく、今ここで起きていることを受け取り、今ここで出力が変化する。
それまで僕が扱っていた映像は、基本的には編集して、エクスポートで書き出して、三角形のプレイボタンを押して再生するものでした。
しかし、TouchDesignerは違いました。
なんと言語化すれば良いだろう、ロマンチックに言えば、時間の流れの中で生きている。
音を入れれば揺れる。 数値を変えれば形が変わる。 別の機器とつなげば、画面の外にも出ていける。
ライブ、インタラクティブ、というやつです。
この「画面の外にも出ていける」という感覚が、僕の中では決定的でした。
ただ映像を作るのではなく、現実の空間そのものを動かせるかもしれない。
そんな技術・能力は得た時。 僕だったら、何を動かそう?
そこで京都の街中を散歩していた時に出てきたアイディアが、提灯でした。
難しい文化論から始まったわけではありません。日本的なものを現代的に再解釈しなければ、という大義が先にあったわけでもない。
提灯が光りながら上下に動いたら、単純に面白い。
単体でも十分だが成立するが、組み合わせの複数でこその面白みもある。
しかも、同じ個体でも良いし、それぞれ個性がある組み合わせでも面白い。
複数の提灯が、それぞれ違う高さへ動く。色が変わる。音と連動する。見慣れたはずの提灯が、見たことのない振る舞いを始める。
みんなが見た瞬間に、「あっ」と思ってくれるかもしれない。いや、思ってくれるはずだろう。
そう踏んだ僕は、やりたくなった。そして、実際にやった。 退職したばかりでお金には余裕がないのに、身銭を切って。
今振り返っても、始まりは本当にそれだけだったと思います。
単純に、面白いことをしよう。
今考えても、制作の動機として、それ以上に強いものはなかなかありません。
面白いとは?の定義は、自分だけでなくそこにいる観衆も同時に楽しいことだと思います。 このマインドは僕をデザイナーたらしめる根源だと思っています。

昔のHDDには実際にリサーチ・ワークショップを一人でやっていた記録が残っていた。京都の街中で目にする提灯。見慣れた照明器具を、光と運動を持つプロダクトへ更新できないかと考えました。当時はNikonのD7500のカメラを使っていたな。小三元の5倍ズームだったかな、画質が悪いと評判だったけど、僕は大好きなレンズだった。あと少し、が出来たからだ。
03|応募書類より先に、提灯を動かし始めた
ハッキリ言ってしまえば、仕事を辞めて半ばプラプラしていた僕は、焦っていたのかもしれない。
30歳になったタイミングで、興味のある業種に就職するためには、実績が何もない状態だった。そのため、応募で「こういう仕事に興味があります」と言うだけでは、採用には足りない気がしました。
TouchDesignerが使えますと言いたいなら、触る。 実際にインタラクティブな空間を作りたいなら、 クラブでムービングヘッドやレーザーなどの特殊舞台照明やPAやVJ・DJはやっていたいけど、 何か一つ、本当に動くものを作る。いや、作らないといけない、と思った。
そういう人物じゃないと、採用してくれないだろう、とイメージした。 そのイメージの人物になろう、と決めた。
だから、Kinetic Chochin(「キネティック・提灯」というDMX信号で動くLED製灯りのオリジナルプロダクト)を作り始めました。
京都の街を散歩しているときに、思いついた・考えついた、提灯自体が動く灯りだ。
必要以上に調べまくった結果、Kinetic Chochinを作るために必要になったものを並べると、当時の自分の専門からどれだけ離れていたかが分かります。
- TouchDesigner
- Arduino
- DMX
- フルカラーLED
- ステッピングモーター
- モータードライバ
- 電子回路
- 配線
- はんだ付け
- 木工
- 筐体制作
TouchDesigner以外も、ほとんど知らないものばかりでした。
モーターにこんな種類あるの?って知ってる人はクスッとしてくれるかもしれません。 プリンターって実はすごい技術なんです。当たり前のように綺麗に印刷してくれますが。
そして、Arduinoとは何か。どうすればPC側から信号を送れるのか。DMXとは何なのか。LEDの色をどう変えるのか。モーターをどう回し、提灯をどうやって安全に上下させるのか。 何より、複数の要素を一つの仕組みとしてどうつなぐのか。
分からないことを検索すると、説明の中にまた分からない言葉が出てくる。その言葉を調べると、今度は部品の型番や電圧や信号の話になる。
知らない言葉が、知らない言葉を連れてくる。終わらない旅。
普通なら、どこかで「これは自分の仕事ではない」と線を引いてもおかしくありません。
でも僕は、その線をあまり引かなかった。というよりもむしろ、その線には気付かず、いつもは重い身体に重力はなく、軽々しくその線を超えていった。
なぜなら、提灯を動かしたかったからです。それだけです。
明確な目的・ゴールが先にあると、専門領域の境界は急にどうでもよくなります。 プログラムを書くことも、回路を組むことも、木を加工することも、全部「提灯を動かす」という一つの目的の途中になる。提灯が動いて光ればいい、そして、ビジュアルもカッコ良くてみんなが喜んでくれたらいい、ただそれだけなのです。
この感覚は、今の僕の仕事の仕方にもそのまま残っています。
自分はグラフィックデザイナーだから、ここまで。自分はUIデザイナーだから、実装は知らない。自分は映像を作る人だから、投影される空間については考えない。
そうやって職能を守るより、実現したいものに必要ならなんでも触って解決してみる。
できるかどうかは、触ってから考える。ある程度の勝ち確はセンス・知識・経験から見つけ出せる。
Kinetic Chochinを作っていたとき、僕はまだそんな言葉で自分の姿勢を説明できませんでした。でも、やっていることはすでに同じでした。
ただただ、新しいものに触れ、熱中していた。
情熱はメラメラ、自分で燃やしていくんです。
そのために、気合いいや根性を持ち合わせておくんです。
「あ、俺持ってますよ?(まだまだ全然もっとやれますよ?)」って言える状態を自分で作り出しておくんです。
04|初めて回路図を書き、小学校ぶりにはんだごてを握った
Kinetic Chochinで、僕は初めて電子回路図を書きました。名前こそ、小学校の頃の理科の授業で聞いたことあるぐらいの知識です。
もちろん、最初から全て読めたわけでも、正しく設計できたわけでもありません。
必要な部品を調べ、接続を確認し、電源がどこを通り、信号がどこへ入り、何が何を動かすのかを一つずつ図にしていきました。
デザインの図面なら、それまでにも作っていました。大学の授業での建築の平面図・プランやWebサイトのワイヤーフレームも、映像の絵コンテ・構成も考えてきた。そのため、ある程度の既視感を備えていました。
でも電子回路図は、見た目を整理するための図ではありません。間違えれば、動かない。部品を壊す可能性もある。(実際に、何個も電気流すだけで壊した部品たち。)
線一本に、機能と責任がある。
それが面白かった。
そして、電子工作のキモは、フィジカルも伴うってことです。
はんだごて。めっちゃ熱くて、ハンダ(主にスズが素材で、ミシン糸のようにプラスチックのボビン(リール)にぐるぐると巻かれた金属を溶かす、アレです。)を使ったのは、小学校以来でした。
まさか大人になって、TouchDesignerで提灯を動かすために、もう一度はんだごてを握るとは思っていませんでした。調子に乗って、ちょっといいはんだごてを買いました。後に音楽関係で自作ケーブルを作るときに大活躍をしてくれたのはいい思い出です。
久しぶりの握ったはんだごてではんだ付けが上手だった、という話ではありません。本当に上手な人って職人なんです。
当時の僕は無駄な量のはんだで見た目も悪いし、はんだ付けしたのに、よく千切れて線が取れていました。それでも、何十回と手元を確認し、部品と線を固定し、熱を加え、接続する。失敗したらやり直す。夏前だったのか、額に汗をよくかいていた記憶が残っています。
画面上では、Undo(しかもショートカットなら一瞬)で一つ前へ戻れます。現実のフィジカルを伴う素材はそうはいかない。
切った線は戻らないし、開けた穴は消えない。木材も、基板も、モーターも、こちらの都合に合わせて自動では整ってくれません。絶対に、戻らないし、消えないし、整ってくれない。
だからこそ、面白かった。
手を動かすたび、物が少しずつ少しずつ完成へ近づいていく。 自分の理解が曖昧なところは、そのまま不具合として現れる。分かったつもりでは絶対に確実に動かない。
デジタルの世界で作っていたときには見えづらかった、自分の理解の穴が、物理世界では全部むき出しになる。
それでも、LEDが初めて意図した色に光った瞬間は本当に嬉しかった。 頭だけでなく、フィジカルで酷使していた身体が喜んでいたのだと思う、喜びの舞を踊ったことを覚えている。一人だけいる自室で、だ。
モーターが初めて命令通りに回ったときも嬉しかった。 この感覚をなんと言い表そう、ラブ・愛に近い。
画面の中に置いた数値が、ケーブルを通り、回路を通り、現実の光と回転に変わる。
知らなかったものが、自分のプログラム通り動く。自分が動かした手によって動き出す。それがとにかく、嬉しかった。
ただただ、技術が好きだったのだと思います。 自身と他者の接続を夢見て、それに手が届きそうだ!と感じたのだと思います。

初めて制作した電子回路図。線一本の間違いが、そのまま動作の不具合になります。

Kinetic Chochinの寸法図。各パーツの役割とスケールを整理しました。このあたり、しっかり建築学生っぽくて笑う。

Arduinoを使った灯体とモーターの制御。必要な技術を一つずつ調べながら、実際に動く回路へ近づけていきました。机の上は、工具で溢れていた。

ケース内部。モーター、電源、空冷ファン、巻き上げ機構などを一つの筐体へ収めています。おもちゃのお腹を開いた時の衝撃に近いが、気分は完全にブラックジャック・医者だった。

Arduino MicroとL6470、三端子レギュレータ、コンデンサ、放熱板。12Vと5Vが必要な部品を一つの電源設計へまとめました。一つだけ作って終わり、ではなく、複数個制作しています。

電子回路を収めるケースも自作しました。紙の提灯を扱うため、熱に強い桐を採用しています。色々ホームセンターにリサーチ行って、機能・価格から木材である桐に辿り着きました。あの頃は毎日ホームセンターに行っていたと思う。京都はコーナン・DCMだ。学生の頃からお世話になっていたのは、百万遍近くの川端店だが、未だに僕は「ニック」と呼んでしまう。そう、私は中年だ。
05|TouchDesignerの画面から、現実の光と運動へ
Kinetic Chochinの仕組みとしては、TouchDesignerからDMXを通じて制御信号を送り、Arduino側で受け取り、フルカラーLEDの色とステッピングモーターの動きを変えていきました。
TouchDesigner上で指令を出すための機能を作り、それを操作するためのUIを作り(全て自動制御でいいのだが、照明オペレーターのセンスが出せる余白残したい器具にしたかった)、人力の手動で操作できるにして、実際にその操作のより、LEDの光の強さや色、ON・OFFのパターンやアニメーションを決め、モーターの回転の量・早さを判断できるようにしていた。モーターの巻き取り機構を通じて、それぞれ提灯の高さが決まるのだ。
一つずつなら、単なる技術です。
LEDが点灯する。モーターが回る。DMX信号が届く。
でも、それらがつながった瞬間、技術の確認ではなく、オリジナルのプロダクト・体験になりました。
提灯が暗い空間の中で光る。色が変わる。上下に動く。複数の光が異なる高さに並ぶ。さっきまで静止していた空間に、時間とリズムが生まれる。
提灯は、照明器具のままです。でも、照明器具だけではなくなる。
見慣れたものが、見慣れない動きをする。その小さな違和感によって、人が立ち止まる。
操作しているのは数値でも、最終的に変えたかったのは数値ではありません。空間に入った人の視線や、距離感や、感情でした。
ここで僕は、今につながるUXの感覚を、頭ではなく身体で覚えたのだと思います。

TouchDesignerのUIと全体構成。LED制御4チャンネルとモーター制御4チャンネルをまとめ、DMX Out CHOPへ送っています。当時盛り上がりを見せていたモジュラーシンセのように、線と線で各モジュールが繋がっている。緑と紫をよく使う。

LED制御部分。Ramp TOPで選んだ色を数値化し、それぞれの灯体へ割り振ります。光量、照度、色、パターン。全部赤色でもいいけど、赤や青が並んで、空間を紫に染める。紫色を使わずとも、紫で染まる体験を提供できる。カラーパレット。

Animation COMPを使ったモーター制御。時間軸の上で、複数の提灯の動きを設計しました。人間の呼吸と心拍に合わせて、微分積分する。まったりムーディーに気持ちよく自然に仕上げている。高速ストロボは技術的には可能だが、あんなものは苦痛でしかないのでやらない。一晩で一度使うか使わないか、だ。それも自分で決めずに、みんなが求めたら、出してあげる。それぐらいだ。

Script CHOPでビット演算を行い、2バイトでモーターの位置を指定しています。ここはとにかく、バギーだった。1行でも間違えているとコンパイルできない。コンパイル通っても、エラーで動かない、理由が分からない。ここは先人の提供するオープンソースにものすごく助けられた。すごい、本当にすごいんだ。賛美と尊敬の拍手を送りたい、本気で。
06|UXとは、画面を使いやすくすることだけではなかった
その後、僕は長く10年ほどUI/UXやデジタルプロダクトの仕事をすることになります。
だから今では、ユーザー体験、導線設計、IA(インフォメーションアーキテクチャ・情報設計)、インタラクション、フィードバックといった言葉を普通に使います。
でも、Kinetic Chochinを作った頃は、体系的な知識としてはあったけど、 本質的な「UXとは何か」を今ほど整理して説明できていたわけではありません。
それでも、体験としては分かり始めていました。
UXは、画面をきれいにすることではない。
ボタンを押しやすくすることだけでもない。
人がある場所へ来る。提灯に気づく。いつも知っている提灯との違いを感じる。光の変化を目で追う。上下の運動によって、身体性と空間を意識する。複数の提灯の関係から、リズムを感じる。仕組みを知らなくても、何かが起きていることは身体で分かる。そして、少し驚く。
その一連が体験です。最初のファーストインプレッション、第一印象の出会いからです。
裏側には、TouchDesigner、DMX、Arduino、LED、モーター、配線、木材、電源があります。でも、体験する人は、そのすべてを理解する必要はありません。
技術を見せることが目的ではなく、技術が見えなくても成立する感覚を作る。技術の人は、技術の推したいのです。高速ストロボも、できるならやりたい。でも、奥のソファでまったりしている目撃者にとっては、苦痛であることは知っておいた方がいい、自身のエゴにより、邪魔しないで欲しいのだ。だから、できるけど、あえてやらない。選択だ。理由はコンセプトがそうだから。
一方で、裏側の技術面でどこか一つでも破綻すれば、体験全体が壊れます。
だから、技術も大事なんです。
信号が届かなければ動かない。モーターの音が大きすぎれば、空間への没入を邪魔する。動きが速すぎれば怖い。遅すぎれば変化に気づかない。筐体が雑なら、作品としての信頼感がなくなる。配線が危険なら、そもそも人のいる場所へ置けない。そして、最悪のケースを想定する。筐体の素材である木材の桐が電子回路により火事になったら?楽しいを提供するはずが、恐怖や悲しみに変わってしまう。何もしなければ何も変わらないが、何かをするってことは、その逆の可能性もある。それだけは絶対に防がなければならない。
UXとは、表面に見えるデザインだけではなく、見えない技術、物理的な安全性、時間、音、光、空間、人の予測と感情までを含めて、一つの経験として成立させることなのだと感じました。
それを僕は、会議室で学んだのではありません。
電子回路と、はんだと、木くずと、動く提灯から学びました。
今は全然違うことをやっているように見えるかもしれません。
でも、デザインでも、NACKでも、僕が考えていることはあまり変わっていません。
技術をどう見せるかではなく、人が何を感じるか。
一つの接点ではなく、接点の前後を含めてどういう記憶が残るか。
そして、複数の専門領域をどうつなげれば、まだ見たことのない体験になるか。
Kinetic Chochinは、その問いを最初に実物で考えたプロジェクトでした。 現状として、まだまだ登らなければならない階段はありますが。

完成したKinetic Chochin。TouchDesignerからDMX信号を送り、提灯の光と上下運動を制御しました。
07|「ここまでやるやつ、おる?」と思ってほしい
ここまで読むと、電子工作ができる人にとっては、「それくらい普通にやるでしょう」と思われるかもしれません。当たり前です、僕は素人です、ちょっとは毛が生えていて欲しいと思うぐらいに。
TouchDesignerを仕事にしている人から見れば、基礎的な基本的な初歩的な試みだったかもしれません。 組み込みのエンジニアから見れば、回路もコードも洗練されていなかったと思います。エンジニアリングにおけるリファクタリングという言葉はプロダクトデザイナーになって数年経ってから新規プロダクト制作中のスクラム・スプリントの中で知ったぐらいです。 大規模プロジェクトをそつなくこなせる他のプロダクトデザイナーや百戦錬磨のプロジェクトマネージャー・オーナー、数字に厳しいスポンサーから見ても、もっと安全性や量産性を詰める余地があるでしょう。 オリンピックや大手映画配信発表の記者会見などを手掛けるような空間演出の専門家なら、照明の使い方・空間の魅せ方についても別の答えを持っているでしょう。 なんなら群衆・観客、ユーザー視点からも、もっともっとブラッシュアップできるところは多くあるかもしれません。
その通りです。おっしゃる通りだと思います。
僕は、この作品によって、それぞれの領域の第一人者になったわけではありません。
でも、僕が知ってほしいのは、そこではない。
グラフィックやWebや映像をやっていた人間が、TouchDesignerに興味を持った。ワークショップへ行った。Arduinoを調べた。初めて回路図を書いた。小学校ぶりにはんだごてを握った。LEDを光らせた。モーターを動かした。木を加工した。筐体に収めた。複数の要素を接続した。そして、現実の空間で動く一つのものとして完成させた。
その横断の仕方です。
ここまでやるやつ、おる?
そう思ってもらえたら、僕は少し嬉しい。いや、泣いて喜ぶかも。
もちろん、世の中にはもっとすごいものを作る人がいくらでもいます。技術的にも、芸術的にも、事業的にも、僕よりはるか先へ行っている人がいる。背中だけは見えています。
それでも、自分が分からないことに出会ったとき、「専門外だから」と引き返さず、必要なものを一つずつ拾い、最後に実物を立たせるところまでやる人は、広く周りを見渡してもそんなに多くないと思っています。
天才か?と思えるようなスーパーマンのような企画を考える人はいる。ついついコンセプトが気になって頭から離れなくなる絵を描ける人もいる。ミニマムで意図通りの綺麗なコードを書ける人も、複雑なのに単純明快な回路を作れる人も、もはや職人芸のような木工ができる人もいる。
僕の強みは、そのすべてで一番になることではありません。
一つの面白い体験を作るために、必要な領域の間を動き回り、分からないなりに学び、人に聞き、自分でも手を動かし、最後につなげることです。
しかし、当時の僕には、その強みを説明する言葉がありませんでした。
今なら、編集力とも、越境するデザインとも、体験設計とも言える。
でも当時は、ただ面白そうだったからやった。
たぶん、それでよかったのだと思います。振り返って言えることです。
そう、言えることがあることが幸せなのかもしれません。
熱中してやり遂げた経験があるということです。美大生なら卒制が大学の集大成です。
僕にとっては、20代で音楽が映像・映画、照明・レーザー・音響、ゲーム・プログラミングを通過・横断した結果の集大成だったのでしょう。
08|ものは完成した。でも、その先へ営業する勇気が少し足りなかった
Kinetic Chochinは完成しました。すごいです。偉いです。
企画だけではありません。応募書類の中のテキストでのアイデアでも、3DCG上の完成予想図でもありません。実際に光り、実際に動くフィジカルなものとして存在しました。確かに手元にあったのです。
そして、制作工程を記録し、技術記事を書き、完成映像もYouTubeに残しました。
当時の僕は、完成させるところまでちゃんとやっていた。
これは、今の自分が過去の自分に対して、きちんと言っておきたいことです。
一方で、その作品を継続的に人へ届けるところまでは進みませんでした。
プロダクトデザイナーとしては失格です。 モノを作り、ユーザーに届ける。ここまでが仕事です。
たとえば、ホテルへ持っていく。クラブへ提案する。神社や祭りの空間演出として相談する。展示会やイベントへ出す。店舗のインスタレーションとして見せる。地域の子どもたちと一緒に、提灯とデジタル技術を組み合わせるワークショップを開く。
作品の先には、いくつもの可能性がありました。
でも当時の僕には、それを知らない相手へ持っていき、「これを置きませんか」「一緒にやりませんか」と言う、ほんの少しの営業の勇気が足りなかった。
営業という言葉に、どこか苦手意識もあったのだと思います。
良いものを作れば、誰かが見つけてくれる。面白いものなら、自然に次へつながる。そんな期待も、少しはあったのかもしれません。
でも、完成したものは、自分から歩いて外へ出ていきません。
作品は、作っただけでは届かない。
誰に役立つのかを考え、その人の言葉に翻訳し、見せに行き、話し、相手の事情を聞き、置かれる場所に合わせて作り直す。その工程まで含めて初めて、作品が社会と関係を持ち始めます。
もし当時の僕に、今のような営業への理解が少しだけあったら、どうなっていただろう。
これは後悔というより、楽しい妄想です。
京都のホテルの吹き抜けで、提灯が宿泊者の動きに反応していたかもしれない。空間の付加価値。
クラブの天井で、DJの音に合わせて複数の提灯が上下していたかもしれない。これまで触れてきていない初めての体験。
神社の境内で、昔からある光と、現代の制御技術が静かに共存していたかもしれない。ビールやお菓子屋の名前と一緒に広告媒体として。いわば、広告のインフラだ。
祭りや地域イベントで、子どもたち向けのワークショップを開催して、絵の具やクレヨンで自分で描いたオリジナル提灯をプログラムによって動かしていたかもしれない。いまやプログラミング教室は子供の習い事として定番になったのに。
海外の展示で、Chochinという日本の道具が、光と運動を持つインスタレーションとして見られていたかもしれない。お茶や日本酒、竹細工などの職人技、いわゆる民藝も世界進出が進んでいる。京都にはいいものが多い、それはもうたいへんに。
そして、一つ導入されれば、現場で問題が見つかる。モーターの音、耐久性、施工、安全性、運搬、保管、制御方法。そこから改良版が生まれ、別の場所へ広がる。仲間が増え、僕一人では作れなかった規模へ進んでいたかもしれない。PDCAが始まっていた世界線がある。
そう、そんな未来も、あったのかもしれません。しれない。
けれど、そうならなかった。行動学的には、そうしないという判断を取った、と言えるでしょう。
だからといって、失敗だった、とは思いません。
ものは完成した。けれど、作品の可能性はそこで終わりではなかった。
当時の僕は、作る工程をやり切った。
営業は、その先に残っていた未完の工程でした。
09|作ることと、届けることは別の才能ではない
今は、レディクルというBtoBマッチングサービスを展開しているフロンティア株式会社に入社して、営業に対する見え方が少し変わりました。
営業は、自分を大きく見せることでも、欲しくない人に無理やり売ることでもありません。
自分が作ったものと、それを必要とするかもしれない人の間に、関係を作ることです。
デザイナーが、ユーザーの状況を考えて体験を設計する。営業が、相手の課題を聞き、価値が伝わる形に翻訳する。両方とも、自分の側だけで完結せず、相手との接点を設計する仕事です。
そう考えると、営業もまたUXの一部でした。
どれだけ良い体験を設計しても、入口がなければ人は入れない。どれだけ面白い作品でも、存在を知らなければ誰も出会えない。説明が相手の文脈と結びつかなければ、自分に関係のあるものだと理解してもらえない。買う理由を探して提示するのではなく、欲しいと思っていただけるお客様を探し出し、導入しない理由はないというところまで実際に心で感じていただく。
当時の僕は、作品の中のUXは考えていました。
光の変化。動く速度。見上げたときの印象。技術が一つの空間体験になるまで。
でも、作品と社会の間にあるUXまでは設計していなかった。
誰に、どこで、どう出会ってもらうか。どう説明し、どう導入し、どう継続するか。
そこまでがプロダクトだったのだと、今なら分かります。 作品と社会の接続ができなかった。
営業力があれば人生が完全に変わっていた、と断言はしません。営業したからといって、必ず導入されたわけでもない。売り方だけではなく、プロダクト・作品としても改善すべき点はたくさんあったでしょう。
ただ、一つだけ確かなのは、可能性を現実へ変える試行回数は増えていた、ということです。
提案して断られれば、なぜ合わないかが分かる。別の場所へ持っていけば、別の使い方が見える。相手と話せば、自分一人では思いつかなかった価値が見つかる。
営業とは、完成品を売り切る最後の作業ではなく、作品を次の形へ進めるためのリサーチでもあったのです。
Kinetic Chochinによって、僕は作ることを学びました。
その後の仕事によって、届けることを学び始めました。
今は、その二つを分けないでやりたいと思っています。 今なら絶対にやるべきだったと思います。何が何でも。
やるんだよ。任天堂の岩田さんの言葉です。
10|結局、僕はWeb3へ進んだ。僕は、そういう男だ
Kinetic Chochinを思い描いた通りに作り終えたあと、僕は最終的にWeb3の会社に入社しました。
インタラクティブな制作会社に入社するために、実績を実際に作ったにもかかわらず、です。
思い切ってテクノロジーと空間表現の仕事へ飛び込んでみることを本気で考えた。そのために提灯を作っていたのです。
当時は、東京オリンピックを控えていた時期でもありました。
こういう仕事の世界に入れたら、開会式にも、ほんの少しでも自分が関われるんじゃないか。そんな淡い期待もあったんです。もちろん、具体的な話があったわけではありません。ただ、そういう未来を想像すると、ワクワクした。
でも一方で、当時の僕には、インタラクティブな表現を仕事にする世界は、椅子取りゲームのようにも見えていました。そもそも席が少ない。その限られた席に、自分が座れるとは思えなかった。
面白いものを一つ作れたことと、その世界で仕事を得て、続けていけることは別です。入りたいという気持ちだけではなく、そこにどれだけ機会があり、自分はどこで力を出せるのか。当時なりに、そういうことも考えていました。
けれど、本当にこの仕事を選んでもいいのか、という迷いもありました。当時はギャンブルに思えていました。手元には強いカードを自分で作り出したはずなのに、本当にこのまま卓上に切ってもいいのか?という迷いです。延々、チェック(お手手トントン)です。思ったことがそのまま顔に出る不器用な顔つきで、多少のブラフも交えながら、です。
生活、収入、将来、それまでの経歴、これからのキャリア。 仕事を選ぶとき、人は純粋な興味だけで決められるわけではありません。
だから、Kinetic Chochinを実績にしてその制作会社へ入る道は選ばず、Web3の会社へ進みました。怖さはあった。でも、怖くて何も考えずに諦めた、というだけでもない。
当時の僕なりに考えた、戦略的な撤退でもあったのだと思います。
作ったプロダクトを十分に営業できなかったことと、どの分野を自分の仕事にするかを考えて進路を変えたこと。この二つは、分けて振り返りたいです。
結局、僕はWeb3へ進んだ。僕は、そういう男だ。
少し笑って書いています。差し詰め、給料に負けた。
そう茶化してしまうこともできるけれど、生活も、仕事の機会も、自分の立ち位置も考えて選んだ道でした。
そして、その選択も今の僕を作っています。
Web3の世界で、僕はUI/UXとプロダクトデザインを仕事にしました。エンジニアと一緒に、実際に使われるサービスを作った。金融や暗号資産という、間違いが人のお金に直結する領域にも関わった。事業、組織、優先順位、継続運用、改善、ユーザーへ届ける仕組みを学びました。
作品を一度完成させることと、プロダクトを継続・運用し続けることは違います。
プロダクトは、公開して終わりではありません。使われ、問題が起き、改善され、事業として続かなければならない。作り手の表現だけでなく、ユーザー、エンジニア、経営、法務、金融、社会との関係の中で成立します。
Kinetic Chochinだけを作り続けていたら、得られなかった経験がたくさんあります。
だから、Web3を選んだことを、クリエイティブから逃げたとは思っていません。
Kinetic Chochinで得た、音、光、身体、空間、物理的な技術への感覚。
Web3で得た、UI/UX、プロダクト、事業、実装、運用、社会へ届けるための感覚。
長い間、別々の経歴に見えていた二つが、今、合流し始めています。
ちなみに余談ですが、この時に弊社CMOの田中と出会うのですが、彼は当時から優秀で、Panasonicの中の人とオンライン会議で繋いでもらい、Kinetic Chochinを一緒に売り込んでくれた。そのPanasonicの中の人は、渋谷で面白いイベントがあるから参加してみるといいよとすすめてくれたが、そこでも僕は動かなかった。いや、心は動いたが、身体は動かなかった。
この時はまだ、怖かったのだ。勇気がなかった。
優秀というのは、その概念すらなく、ひたすらに挑戦している姿を指しているのだろう、と今振り返って思う。本当に、尊敬しています。
そして2026年の今、改めて考えることがあります。
今の僕なら、あの席も取りに行けるかもしれない。
もちろん、今なら絶対に座れる、と言いたいわけではありません。技術力も営業力も、まだまだこれからです。
ただ、今なら「席が少ない。だから自分には無理だ」で終わらず、どうすればそこに近づけるのか、何を作って、誰に、どう伝えればいいのかを考えられる気がします。
それは、当時の撤退が間違っていたという話ではない。別の道で仕事をして、経験を積んだ今だから、同じ場所を違う目で見られるようになった、ということです。
あの時の判断は、あの時の自分が考えて出した答え。でも、その答えで、この先の自分まで決めなくていい。
当時の自分の判断も認める。そのうえで、今の自分の挑戦も諦めない。
8年前の提灯を見返したことで、そうやって自分の背中を押せるようになってきたのだと思います。
11|当時残した記録が、知らない誰かの手を動かしていた
Kinetic Chochinを完成させたあと、僕は制作工程を技術記事として残していました。(過去形なのは、今は残していないからです。)
TouchDesignerからDMXを使い、LEDとモーターをArduinoで制御する方法。自分が分からなかったこと、調べたこと、試したことを、次に同じ場所で困る人が使えるように記録しました。
当時、この記事が将来どうなるかなんて考えていませんでした。
書いたからといって、反響があったわけでもない。記事によってKinetic Chochinが事業になったわけでもありません。
それでも、2024年に公開された別の人の技術記事で、Kinetic Chochinの記事が参考資料として挙げられていることを今更ながら知りました。
その人は、DMXで操作するプロジェクターシャッターを自作していました。そして、DMXのIN・OUT端子をどうつなぐのかという細かな部分で、僕の記事が助けになったと書いてくれていました。
嬉しかった。心の底から。
僕にとっては、2018年に作り、書き、その後は過去になっていたものです。
でも、誰かにとっては違った。
検索して、困って、たどり着き、回路や接続を確かめ、自分の制作を一歩進めるための情報になっていた。
僕が知らない場所で、僕が会ったことのない人の手を動かしていた。
Kinetic Chochinそのものが、ホテルやクラブに導入されることはありませんでした。けれど、制作の中で得た知識は、記事という形で外へ出て、別の人が別のものを作るための一部になった。
これは、とても大切なことだと思います。
作ったものが、そのまま売れることだけが「届く」ではない。
制作工程を記録する。失敗や発見を言葉にする。誰かが再利用できる形で残す。その記録が時間を越えて見つかり、別の制作へつながる。
それもまた、文化や技術が循環する一つの形です。
Kinetic Chochinの光は、展示空間の中だけで終わっていなかった。
小さな技術記事として残り、6年後、別の人のプロジェクターシャッターを動かす回路の近くで、もう一度点灯していた。
少し格好をつけて言えば、そういうことなのだと思います。
そして正直に言えば、「昔の俺、ちゃんと人の役に立ってるやん」と思いました。
それが、かなり嬉しかった。
だから、この記事は、残さなくなった記事を掘り返して、2026年の今になって残そうと思って書いています。当時の記事よりお文字量と情報量が多いのはそのせいです。ごめんなさい。
12|当時の僕は、僕でもなかったし、僕でもあった
2018年の僕には、今のような説明はできませんでした。
自分は何者なのか。何を専門にして、どこへ進むのか。はっきりしていなかった。
TouchDesignerを使う人なのか。映像を作る人なのか。空間をデザインする人なのか。電子工作をする人なのか。WebやUIを作る人なのか。音楽を作る人なのか。
どれも自分であり、どれか一つだけでは自分ではなかった。
当時の僕は、僕でもなかったし、僕でもあった。
肩書は定まっていなかった。でも、性質はすでに定まっていました。
- 未知の技術が好きだった
- 興味を持ったら、自分でも触ってみたかった
- 面白い人たちと、ワイワイ作るのが好きだった
- 音、光、映像、身体、空間をつなげたかった
- 頭の中に浮かんだものを、現実に存在させたかった
- アイデアだけではなく、完成するところまでやりたかった
今の僕も、同じです。
扱う技術は変わりました。TouchDesignerとArduinoだけではなく、3Dスキャン、Web、AI、ゲーム、映像、音楽を扱うようになった。作ろうとしているものの規模も、関係する人も変わりました。
でも、抽象度を上げると、やっていることは驚くほど変わっていません。
既にあるものを別の角度から見る。異なる技術や文化をつなぐ。画面の中で終わらせず、人が触れる体験にする。そして、まだ誰も見たことのないものを、現実に出す。
Kinetic Chochinは、偶然作った変わった提灯ではありませんでした。
自分が何者になるか分からなかった時期に、自分が何をすると夢中になる人間なのかを、物として示していた。
身体が勝手に動いていたのです。何かしらの遺伝子や細胞が刺激されたのでしょう。実は身体は羽のように軽いのです。そして、どこまでもフーッと吹いて飛び続けられるのだと信じています。
13|Kinetic Chochinから現在への接続
現在、僕は個人事業の屋号「WaV」で、NACKを作っています。
WaVは、Wow and Valueの頭文字から付けた名前です。
「あ〜、なるほどね」で終わるようではダメなんです。「ワオ! 生きててよかった!」と思ってもらえるような、価値あるものづくり。それをミッションに、デザインとテクノロジーを駆使しています。
自分だけでなく、そこにいる人も一緒に楽しい。その驚きと喜びを分かち合えるものを作りたい。NACKも、その実践の一つです。
NACKは、AI時代に後世へ残すべきアートやカルチャーをデジタル化し、現実の空間とオンラインの体験を通じて、それらに触れる接点を作るためのプロジェクトです。
NACK SPACEでは、飲食店や宿泊施設など、人が実際に過ごす場所にアートと文化を届けようとしています。
Y4TRでは、NACK SPACEオンライン版として、ゲーム、音楽、映像、歴史、人生の記憶を一つの世界へつなごうとしています。
Journal、Times、Notesでは、作品や文化の背景、社会との関係、制作する中で生まれた問いを記録しています。
一見すると、2018年の動く提灯と、今のNACKやY4TRは、まったく違うものに見えるかもしれません。
でも、僕の中では完全につながっています。
提灯という、昔から人の生活や祭りや店の風景にあったものを、TouchDesignerと電子制御によって別の体験へ変える。
アートや文化をデジタル化し、現実の空間で新しい出会い方を作る。
歴史、音楽、ゲームをAIによって再解釈し、オンライン世界の中で体験できるものにする。
共通しているのは、デジタル化すること自体が目的ではない、ということです。
最後は、人に戻したい。一人ではなく、皆んなで。そう、AI時代だからこそです。
光を見る。音を聴く。空間に入る。操作する。驚く。考える。誰かと話す。自分の記憶と結びつける。皆んなの思い出になる。
技術によって、文化を身体から遠ざけるのではなく、もう一度、身体で触れられるものにする。
Kinetic Chochinでやりたかったことも、根は同じでした。
見るだけのものを、身体で感じる体験へ変える。
あの頃は、それを一つの作品として作りました。
今は、作品、空間、メディア、ゲーム、事業を横断する仕組みとして作ろうとしています。
そして今度は、作るだけで終わりたくありません。
誰に届けるのかを考える。必要な人へ提案する。仲間を増やす。使ってもらう。現場で改善する。事業として続ける。そして、その過程をまた記録する。
2018年に残っていた「営業」という次の工程を、今のNACKでは最初から制作の中に入れたい。
この考えに至ったのは、紛れもなく、レディクルという本気の営業会社に身を置いているからだと思います。
14|自分が面白いと思ったことを、他人にも分かる形にする
この記事の中心に置きたいのは、TouchDesignerでも、Arduinoでも、提灯でもありません。
興味を持って、なんでもやること。そして、自分が面白いと思った理由を、他人にも分かる形にすることです。
作った本人には、面白さが分かっています。なぜその組み合わせなのか、どこで驚いたのか、どれだけ試したのかも知っている。
でも、初めて見る人には、その前提がありません。
「デザイナーなのに、なんで電子回路までやってるの?」
今なら、その違和感自体が入口だったのだと分かります。
グラフィックやWeb、映像をやっていた人間が、TouchDesignerに興味を持ち、Arduinoを調べ、電子回路を書き、LEDを光らせ、モーターを動かし、木を切り、最後は現実の空間で提灯を動かした。
僕にとっては、自分の過去なので当たり前になっていました。でも、並べ直してみると、そこに僕という人間の見方や動き方がかなり出ています。
だから、記録する意味がある。
作品だけを残すのではなく、なぜそこへ行ったのか、何を面白いと思ったのか、どこで困り、どう越えたのかまで残す。
そうすれば、8年後の自分にも、初めて知る誰かにも、その人がどういう人間だったのかが少し伝わる。
僕は今、そのこと自体も、ものづくりの一部だと思っています。
もちろん、何でも一人でできるという意味ではありません。専門家への敬意がいらないという意味でもない。
むしろ、実際に触ってみたからこそ、それぞれの専門がどれだけ深いかが分かりました。
回路を一つ作れば、電子設計の深さが分かる。モーターを一つ動かせば、機構設計、安全性、耐久性の難しさが分かる。木を一つ切れば、素材を正確に加工する技術の重さが分かる。空間へ一つ置けば、作品単体ではなく、建築や照明や人の動線との関係が必要だと分かる。
少し触っただけで専門家になった気になるのではなく、触ることで、自分に何が分からないかを知る。
そして、本当に大きなものを作るときには、詳しい人と一緒に作る。
興味を持つことは、専門性を軽視することではありません。専門性と出会うための入口です。
僕はたぶん、一つの技術だけを深く掘る職人ではない。
面白いと思ったものへ近づき、必要な技術を学び、人と人、技術と技術、文化とビジネスの間をつなぎ、一つの体験として編集する人間です。
Kinetic Chochinでは、TouchDesignerとArduinoと提灯の間をつなぎました。
Web3では、ユーザーと複雑な金融技術の間をつなぎました。
NACKでは、アーティスト、作品、空間、鑑賞者、所有者の間をつなごうとしています。
Y4TRでは、時代、場所、音楽、ゲーム、AI、人間の記憶をつなごうとしています。
対象は変わっても、やっていることは同じです。
知らない世界を恐れず、まず入る。
手を動かす。
分からなければ調べる。
必要なら人に聞く。
領域を越える。
そして、頭の中の話で終わらせず、触れられる形まで持っていく。
ここまでやるやつ、おる?
そう言えるくらい、やり切る。
それは、2018年から今まで、僕の核になっています。
2018年、デザイン経営もですね。
15|売らなかった。いや、売れなかった
ここまで振り返って、一つだけ、当時の自分に対して改めて言い直したいことがあります。
僕はKinetic Chochinを「売らなかった」のではありません。
売れなかった。
もっと正確に言えば、売るところまで行く勇気がなかった。
作ることには、かなりの熱量を注げました。TouchDesignerを触り、Arduinoを調べ、初めて電子回路図を書き、小学校ぶりにはんだごてを握り、LEDを光らせ、モーターを動かし、木を加工し、一つのプロダクトとして完成させた。
そこまではやった。
でも、その次をやらなかった。
「これ、面白くないですか?」
そう言って誰かのところへ持っていくこと。ホテルや店舗、イベントの現場へ提案すること。展示してくれる場所を探すこと。一緒に商品化してくれる人を探すこと。
作ったものを、自分の手から社会へ渡していく勇気が、当時の僕には足りませんでした。
ものづくりでは、できないことを全部調べていた
最近、昔使っていたHDDを整理していたら、当時書いていたブログを見つけました。
電子回路、Arduino、TouchDesigner、DMX、モーター制御。制作しながら、かなり細かく工程を記録していました。
今見ると、ライブラリも情報も古くなっている部分があります。
でも読み返してみると、なぜあれだけ記録していたのか、少し分かった気がしました。
僕自身、制作するときに、先に同じようなことへ挑戦した人たちが残してくれた情報に何度も助けられていたからです。
分からないことを検索する。誰かの記事にたどり着く。回路図を見る。コードを見る。失敗例を見る。それを頼りに、また自分の手を動かす。
そのありがたさを知っていたから、自分も後から来る誰かの役に立ちたかったのだと思います。
実際、何年も経ってから、自分の記事が別の人の制作の参考になっていたことを知りました。
自分では、公開した後のことをほとんど知らなかった。それでも、どこかで誰かの役に立っていた。
それは素直に嬉しいです。
ただ、2026年の今なら、もう一つ明確に言えます。
もっとやれたはず。
分からなかったなら、分かる方法を探せばよかった。営業のやり方を知らなかったなら、知っている人に聞けばよかった。自分で営業するのが怖かったなら、一緒に売ってくれる人を探せばよかった。
どうやって届ければいいか分からなかったなら、届け方そのものをデザインすればよかった。
電子回路が分からなければ調べた。Arduinoが分からなければ触った。モーターが動かなければ原因を探した。
だったら営業だって、同じだったはずです。
営業は、押しつけることではなかった
営業という行為に、どこか押しつけがましいイメージを持っていたのかもしれません。
自分が作ったものを「いいでしょう」と言って回ることに、少し抵抗があった。奥ゆかしくいたかったのかもしれない。
でも今は、少し違う考え方をしています。
誰でもなく、そのものを作った自分にこそ、一番の熱量がある。
なぜ作ったのか。何が面白いのか。どこに置いたら面白いのか。誰に使ってほしいのか。
それを一番話せるのは、作った本人です。
だったら、もう少し自分を信じてあげてもよかった。
ただし、自分が面白いと思っているからといって、相手も必ず欲しいわけではありません。
当時の僕は、そこを少し混同していたところもあったと思います。
いいものを作れば、自然と誰かが見つけてくれる。面白ければ、いつか評価される。そんな期待もあった。
でも、プロダクトとして世の中に出すなら、誰がそれを求めているのか。どんな場所なら必要とされるのか。どう見せれば欲しいと思ってもらえるのか。そこまで考える必要がある。
そして場合によっては、まだ需要がないところに、自分たちでムードを作っていくことも必要だったのだと思います。
「トレンドを作る」というと少し大げさだけれど、
「あれ、こういうもの、今いいかもしれない」
と人に思ってもらえる空気を作る。
それも、ものづくりの一部だったのだと思います。
16|結局、DMXもArduinoも仕事では使っていない
そして、2026年の今から振り返って、もう一つ面白いことがあります。
あれだけ必死になって覚えた技術を、僕は今の仕事でほとんど使っていません。
DMXも使っていない。TouchDesignerも使っていない。Arduinoも使っていない。LEDの回路も組んでいない。ステッピングモーターも回していない。
じゃあ、あの時間は無駄だったのか。
まったく逆でした。
むしろ、今の仕事にかなり役立っています。
残ったのは、個別の技術ではありませんでした。
プロトタイプを作る、という経験そのものです。
Kinetic Chochinで作ったプロトタイプは、画面の中では終わりませんでした。
LEDが本当に光る。モーターが本当に回る。提灯が本当に上下する。配線が邪魔になる。モーターの音が思ったより大きい。筐体に入らない。動かしてみたら速すぎる。実際の空間に置くと、想像していた見え方と違う。そして、人がその前に立つ。
ここまでやって初めて分かることが、たくさんありました。
頭の中で考えていたものと、現実に存在するものは違う。図面と実物も違う。画面の中と空間の中も違う。
作ってみないと分からない。
当たり前のことですが、僕はそれを文字ではなく、身体で覚えました。
UXについても同じです。
人がどう見るのか、どう近づくのか、どのくらいの速さなら心地いいのか、音がうるさくないか、光は強すぎないか。Kinetic Chochinから得たものを「UXを学んだ」という一言だけで片づけると、少し足りない。
もっと根本にあったのは、考えたものを一度、現実へ出してみること。そして、現実から返ってきた答えを見て、また考えること。
でした。
これは、今でも僕の仕事のかなり根っこにあります。
僕は今、DMXの専門家ではありません。Arduinoの専門家でも、TouchDesignerの専門家でも、電子回路やモーター制御の専門家でもありません。
それでいいと思っています。
Kinetic Chochinを作ったことで得た一番大きなものは、「DMXができます」「Arduinoができます」というスキル欄の一行ではなかった。
知らないことでも、必要なら調べればいい。分からなければ、詳しい人に聞けばいい。頭の中だけで考えず、一度作ってみればいい。作ったら、人に触れてもらえばいい。違ったら、また直せばいい。
その感覚を、フィジカルなものづくりを通して経験できたことでした。
Webでも、プロダクトでも、映像でも、音楽でも、ゲームでも、AIでも、最初から全部を知っていることなんてない。
まず作る。動かす。見る。人に見せる。違和感を見つける。直す。また出す。
技術は変わりました。使う道具も変わりました。2018年に覚えたライブラリは古くなりました。当時使っていた技術の多くを、今の僕は仕事では使っていません。
でも、作り方は残りました。
これが、Kinetic Chochinを作って一番良かったことなのかもしれません。
そして今なら、その先も分かります。
作る。試す。直す。
そして、届ける。
当時の僕には、最後の一つが足りませんでした。
だから2026年の僕は、そこまでやってみようと思っています。
昔のHDDから見つけた、少し古い技術ブログ。今では使っていない技術ばかりです。
でも、その中には、今の僕の仕事のやり方が全部入っていました。
だから、改めて公開します。
最新技術を教えるためではありません。
技術は古くなっても、経験は古くならない。
そして、作ったものを世の中へ出すことも、プロトタイプの続きなのだと思います。
人に見せて初めて、自分の頭の外から答えが返ってくる。
だったらこの記事も、8年越しのプロトタイプの続きです。
少し古い技術記事ではありますが、当時本気で作ったものを、このタイミングでもう一度世の中に出してみます。
僕が何を面白いと思い、どういうふうにものを作る人間なのか。
少なくとも、自己紹介にはなると思うので。
今度は、ちゃんと届けるところまでやってみます。
Kinetic Chochin 完成映像
関連リンク
17|余談:8年前の自分が、2026年の自分の背中を押した
ここまで書いて、2026年の今だから気づけたことがあります。
当時の僕には、自分が面白いと思ったものを、他人にも分かる形で伝える視点がまだ足りませんでした。作ることには夢中になれた。でも、そのプロダクトを少し離れたところから見て、誰にとって何が面白いのかを整理すること。実際に触れる人がどこで驚き、どこで困るのかを細かく見ること。そして、この先どんな場所や人と結びつけば価値が生まれるのかを考えること。そこまでを一つの制作として扱えていなかった。
未熟だったと思います。
でも、8年経った今だから、それに気づけました。
過去を振り返ることは、昔の自分を採点することではありません。今の自分が持っていなかった証拠を、昔の自分の中から見つけ直すことでもある。
電子回路の知識なんてほとんどなかったのに、回路図を書いた。ArduinoもDMXもステッピングモーターも、必要だから調べた。木を切り、配線を収め、本当に動くところまで持っていった。
それを2026年の僕が見て、少し驚きました。
僕、これだけのことをやれる人間だったんだ。
もちろん、技術力はまだまだです。営業力だって、これからもっと身につけたい。できないことも、知らないこともたくさんあります。
でも、「まだ足りない」と「できない」は違う。
8年前の自分は、知らないものだらけの状態から、実物を一つ作り切っていました。その事実は、今の僕にとってかなり大きい。
今まで僕は、自分の背中を誰かに押してもらおうとしていたところがあったのかもしれません。評価されること。求められること。誰かに「それ、面白い」と言ってもらうこと。
もちろん、それは今でも嬉しい。
でも、昔の自分が残したものを見返して、初めて思いました。
自分の背中くらい、自分で押してもいい。
根拠のない自信ではありません。
8年前の自分が、実際に手を動かして残した証拠があるからです。
そして、今ならもう一つ分かります。
一つのものを見るとき、自分の熱量だけで近づきすぎない。少し離れて、全体の意味を見る。実際に触れる人の細かな反応を見る。そして、そのものがこれからどこへ向かえるのかを考える。
その往復があって初めて、自分の「面白い」を、誰かの「面白い」へ渡せるのだと思います。
営業力が足りないなら、学ぶ。伝わらないなら、伝え方を考える。求められていないなら、誰にどんな形なら必要とされるのかを考える。自分一人で無理なら、詳しい人と組む。
昔の自分は未熟でした。
でも、未熟なまま、これだけやっていた。
だったら今の自分は、もう少しやれるはずです。
次に迷ったときには、8年前の自分が作ったこの提灯を思い出せばいい。
過去を掘り起こすことは、懐かしむためだけではない。自分が何を見て、何を面白いと思い、どこまで手を動かせる人間だったのかを、今の自分に返してくれることがあります。
Kinetic Chochinは、8年前の作品です。
でも2026年の僕にとっては、今の自分を前へ進ませるプロトタイプにもなりました。
自分が、自分の背中を押せるようになるために。
今度は、届けるところまでやる。
- #デザイン
