NotesExperienceいまを読む

浅い人が、ちょっと苦手だ。——僕が「好き」をディグり続ける理由

DJ、デザイン、アート、歴史。好きなものを掘り続ける熱と、人に求めてしまう重さについて。

レコードを掘る手、資料、虫眼鏡をコラージュし、「浅い人が、ちょっと苦手だ。」と配したNACK notes #012のサムネイル。

1|好きになると、そこで終われない

僕は、好きになったものを放っておけない。

いい曲を聴く。かっこいいデザインを見る。気になる作品に出会う。すると、その先が知りたくなる。誰がつくったのか。何に影響されたのか。どういう時代に、何を考えて生まれたのか。

ひとつわかると、また別のわからないことが出てくる。そこを掘る。さらに掘る。気づけば、最初に見ていたものからずいぶん遠いところまで来ている。

僕はDJで、デザイナーで、アートが好きで、歴史が好きだ。やっていることは違っても、そのときの自分の動きはよく似ている。

好きだから、ディグる。

ここで僕がいうディグは、気になったものの背景やつながりを、自分の興味で掘り進めていくことだ。調べて終わりではなく、聴いたり、見たり、比べたりしながら、自分が何に惹かれたのかまで確かめたくなる。

「好きなんですね」と言われると、そうなんだけど、それだけでは少し足りない感じもする。好きだからこそ、まだ知らないところを、そのままにしておけない。

僕にとってディグることは、「好き」に時間を使うことだ。

2|一曲の向こうに、知らなかった世界がある

たとえば、一曲を入口に考えてみる。

気になったアーティストの別の曲を聴く。同じレーベルの作品を聴く。参加しているミュージシャンをたどる。影響源として挙げられた音楽に戻ってみる。そこで、最初の一曲だけでは気づかなかったつながりが見えてくる。

「この感じは、ここから来ていたのか」

その瞬間が面白い。

そして、背景を知ってから最初の曲に戻ると、同じ音が少し違って聴こえることがある。さっきまで通り過ぎていたリズムや音色が、急に気になり始める。

DJとして面白いのは、その発見を選曲に持ち込めることだと思う。調べた順番のまま曲をかける必要はない。離れていた時代やジャンルの曲を、自分が見つけた共通点でつないでみる。掘って見つけたものが、別の人の「この曲、何?」になる。

デザインやアートでも、僕は同じようなことを考える。

この形には、どんな理由があるんだろう。この表現は、何に対する応答なんだろう。歴史をたどってからもう一度見ると、きれいだと思っていたものの中に、迷いや挑戦まで見えてくるかもしれない。

それを知ったうえで、自分は何を選ぶのか。どうつくるのか。ディグったものは、少しずつ自分の判断に入ってくる。

3|浅いな、と思ってしまう自分もいる

正直に言うと、僕は「浅いな」と感じる人が、少し苦手なのかもしれない。

好きだと聞いて、うれしくなって話す。もっと奥の話ができると思う。ところが、そこで話が止まってしまうと、少し残念に感じることがある。

名前を知っているかどうか以上に、その人が何を面白がって、どこまで自分で確かめようとしたのかが気になるのだと思う。

知らないことがあっても、「それ、何?」と前のめりになる人とは、もっと話したくなる。逆に、わかったことにして話が閉じると、僕の熱も少しずつ下がってしまう。

もちろん、その場で話さなかっただけかもしれないし、僕の知らない方向をものすごく掘っているのかもしれない。一度の会話で、その人の深さが全部わかるわけではない。

それでも、僕が人に惹かれるとき、好きなものにどう向き合っているかを見ているのは確かだと思う。

何を好きか。そのために、どれだけ時間を使ってきたか。まだ何を知りたがっているか。

そこに、自分との距離や、これから一緒に面白がれるものを感じている。

4|好きだから求める。その重さもある

この話は、音楽や作品だけでは終わらない。人に対しても、僕はたぶん、同じようなところがある。

好きな人や、面白いと思った人には、もっと知りたくなる。どんな考えでその言葉を選んだのか。何に夢中になってきたのか。その人の中に、まだ自分が知らないものがある気がする。

だから、求めてしまう。

もっと話したい。もっと奥まで行きたい。僕の知らないところを見せてほしい。一緒に、もう少し先まで考えてほしい。

関心の薄い相手には、そこまで期待しない。期待してしまうこと自体に、自分の「好き」が出ているのだと思う。

でも、近づいていくうちに「ああ、違ったな」と感じて、急に冷めてしまうこともある。もっと知りたかったはずなのに、知ったことで、その先へ進む気持ちがなくなってしまう。

相手からすると、結構ヘビーだと思う。こちらが勝手に期待して、勝手に残念に思っている部分もあるのだから。

僕の期待の強さが、そのまま相手の応える義務になるわけではない。この点は、自分でも持っておきたい。

それでも、「もっと知りたい」「もっと話したい」と思う相手は、僕にとって特別なのだ。好きな相手ほど求めてしまう。その熱と重さは、たぶん同じところから来ている。

5|本当に掘っている人には、ビビる

一方で、とんでもなくディグっている人に会うと、僕はビビる。

自分がそれなりに知っているつもりだった世界に、まだそんな入口があったのかと思わされる。ひとつ聞いたら、見たことのない景色がいくつも出てくる。

すごいな、と思う。同時に、自分は全然足りていないな、とも思う。

もっと上に行かないといけない。もっと聴きたいし、見たいし、知りたい。自分が立っている場所の小ささを感じる。その感覚は少し悔しいけれど、僕は嫌いではない。

誰かを浅いと思う僕も、別の誰かから見れば、まだ入口にいる。そのことを、深く掘っている人は実感させてくれる。

だから「どれだけディグったことがあるか」は、僕にとって、その人と話してみたくなる大きな理由になる。

それは、その人がどれだけ自分の興味についていったのか、ということでもある。途中でわからなくなっても、さらに探した。その時間が、話や選ぶものににじんでいる人に惹かれる。

深く掘っている人に会うと、自分の底が見える。同時に、その先を掘りたくなる。

そういう出会いがあるから、僕の「好き」は、自分ひとりの中では終わらない。

6|掘った先を、誰かの入口にしたい

だから僕は、ディグる文化っていいなと思う。

ひとつの曲や作品を入口に、つくった人や、その人がいた時代へ進んでいける。昔のものを掘っていたはずが、今の自分が何に惹かれているのかまで見えてくる。

しかも、それを誰かが面白そうに話していると、こちらも聴いてみたくなる。見てみたくなる。その人が掘ってきた長い時間の、一番手前に立たせてもらえる。

僕も、そういうことがしたい。

DJなら、選曲や曲のつなぎ方で。デザイナーなら、何を選び、どう形にするかで。NACK notesなら、自分が何に引っかかって、どこを掘って、何を面白いと思ったのかを書くことで。

全部を説明する必要はないと思う。でも、相手が次の一歩を踏み出せる何かは渡したい。「そんな見方があるなら、ちょっと気になる」と思ってもらえたら、そこからはその人のディグが始まる。

深く掘っている人に憧れるなら、僕自身も、掘った先にある面白さを人に渡せるようになりたい。

自分が掘った先を、誰かが好きになる入口にする。僕がディグの文化に返したいのは、たぶんそれだ。

好きになると、とことん掘る。掘って、掘って、ディグりまくる。

その途中で冷めることもある。自分の浅さに、ビビることもある。それでも、まだ知らないものがあると思うと、また手を伸ばしてしまう。

好きだから知りたい。知ったら、もっと好きになるかもしれない。

僕は、まだディグり足りない。

  • #デザイン

NACK notes / PROFILE

田村 祐大

Designer / NACK Founder

岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

NACK notesでは、映画、YouTube、音楽、車、日々の選択を、自分の経験とアート・デザインの視点から読み直す。専門家として結論を示すのではなく、一人の読み手として考えた過程を記録している。