浅い人が、ちょっと苦手だ。——僕が「好き」をディグり続ける理由
DJ、デザイン、アート、歴史。好きなものを掘り続ける熱と、人に求めてしまう重さについて。

1|好きになると、そこで終われない
僕は、好きになったものを放っておけない。
いい曲を聴く。かっこいいデザインを見る。気になる作品に出会う。すると、その先が知りたくなる。誰がつくったのか。何に影響されたのか。どういう時代に、何を考えて生まれたのか。
ひとつわかると、また別のわからないことが出てくる。そこを掘る。さらに掘る。気づけば、最初に見ていたものからずいぶん遠いところまで来ている。
僕はDJで、デザイナーで、アートが好きで、歴史が好きだ。やっていることは違っても、そのときの自分の動きはよく似ている。
好きだから、ディグる。
ここで僕がいうディグは、気になったものの背景やつながりを、自分の興味で掘り進めていくことだ。調べて終わりではなく、聴いたり、見たり、比べたりしながら、自分が何に惹かれたのかまで確かめたくなる。
「好きなんですね」と言われると、そうなんだけど、それだけでは少し足りない感じもする。好きだからこそ、まだ知らないところを、そのままにしておけない。
僕にとってディグることは、「好き」に時間を使うことだ。
2|一曲の向こうに、知らなかった世界がある
たとえば、一曲を入口に考えてみる。
気になったアーティストの別の曲を聴く。同じレーベルの作品を聴く。参加しているミュージシャンをたどる。影響源として挙げられた音楽に戻ってみる。そこで、最初の一曲だけでは気づかなかったつながりが見えてくる。
「この感じは、ここから来ていたのか」
その瞬間が面白い。
そして、背景を知ってから最初の曲に戻ると、同じ音が少し違って聴こえることがある。さっきまで通り過ぎていたリズムや音色が、急に気になり始める。
DJとして面白いのは、その発見を選曲に持ち込めることだと思う。調べた順番のまま曲をかける必要はない。離れていた時代やジャンルの曲を、自分が見つけた共通点でつないでみる。掘って見つけたものが、別の人の「この曲、何?」になる。
デザインやアートでも、僕は同じようなことを考える。
この形には、どんな理由があるんだろう。この表現は、何に対する応答なんだろう。歴史をたどってからもう一度見ると、きれいだと思っていたものの中に、迷いや挑戦まで見えてくるかもしれない。
それを知ったうえで、自分は何を選ぶのか。どうつくるのか。ディグったものは、少しずつ自分の判断に入ってくる。
3|浅いな、と思ってしまう自分もいる
正直に言うと、僕は「浅いな」と感じる人が、少し苦手なのかもしれない。
好きだと聞いて、うれしくなって話す。もっと奥の話ができると思う。ところが、そこで話が止まってしまうと、少し残念に感じることがある。
名前を知っているかどうか以上に、その人が何を面白がって、どこまで自分で確かめようとしたのかが気になるのだと思う。
知らないことがあっても、「それ、何?」と前のめりになる人とは、もっと話したくなる。逆に、わかったことにして話が閉じると、僕の熱も少しずつ下がってしまう。
もちろん、その場で話さなかっただけかもしれないし、僕の知らない方向をものすごく掘っているのかもしれない。一度の会話で、その人の深さが全部わかるわけではない。
それでも、僕が人に惹かれるとき、好きなものにどう向き合っているかを見ているのは確かだと思う。
何を好きか。そのために、どれだけ時間を使ってきたか。まだ何を知りたがっているか。
そこに、自分との距離や、これから一緒に面白がれるものを感じている。
4|好きだから求める。その重さもある
この話は、音楽や作品だけでは終わらない。人に対しても、僕はたぶん、同じようなところがある。
好きな人や、面白いと思った人には、もっと知りたくなる。どんな考えでその言葉を選んだのか。何に夢中になってきたのか。その人の中に、まだ自分が知らないものがある気がする。
だから、求めてしまう。
もっと話したい。もっと奥まで行きたい。僕の知らないところを見せてほしい。一緒に、もう少し先まで考えてほしい。
関心の薄い相手には、そこまで期待しない。期待してしまうこと自体に、自分の「好き」が出ているのだと思う。
でも、近づいていくうちに「ああ、違ったな」と感じて、急に冷めてしまうこともある。もっと知りたかったはずなのに、知ったことで、その先へ進む気持ちがなくなってしまう。
相手からすると、結構ヘビーだと思う。こちらが勝手に期待して、勝手に残念に思っている部分もあるのだから。
僕の期待の強さが、そのまま相手の応える義務になるわけではない。この点は、自分でも持っておきたい。
それでも、「もっと知りたい」「もっと話したい」と思う相手は、僕にとって特別なのだ。好きな相手ほど求めてしまう。その熱と重さは、たぶん同じところから来ている。
5|本当に掘っている人には、ビビる
一方で、とんでもなくディグっている人に会うと、僕はビビる。
自分がそれなりに知っているつもりだった世界に、まだそんな入口があったのかと思わされる。ひとつ聞いたら、見たことのない景色がいくつも出てくる。
すごいな、と思う。同時に、自分は全然足りていないな、とも思う。
もっと上に行かないといけない。もっと聴きたいし、見たいし、知りたい。自分が立っている場所の小ささを感じる。その感覚は少し悔しいけれど、僕は嫌いではない。
誰かを浅いと思う僕も、別の誰かから見れば、まだ入口にいる。そのことを、深く掘っている人は実感させてくれる。
だから「どれだけディグったことがあるか」は、僕にとって、その人と話してみたくなる大きな理由になる。
それは、その人がどれだけ自分の興味についていったのか、ということでもある。途中でわからなくなっても、さらに探した。その時間が、話や選ぶものににじんでいる人に惹かれる。
深く掘っている人に会うと、自分の底が見える。同時に、その先を掘りたくなる。
そういう出会いがあるから、僕の「好き」は、自分ひとりの中では終わらない。
6|掘った先を、誰かの入口にしたい
だから僕は、ディグる文化っていいなと思う。
ひとつの曲や作品を入口に、つくった人や、その人がいた時代へ進んでいける。昔のものを掘っていたはずが、今の自分が何に惹かれているのかまで見えてくる。
しかも、それを誰かが面白そうに話していると、こちらも聴いてみたくなる。見てみたくなる。その人が掘ってきた長い時間の、一番手前に立たせてもらえる。
僕も、そういうことがしたい。
DJなら、選曲や曲のつなぎ方で。デザイナーなら、何を選び、どう形にするかで。NACK notesなら、自分が何に引っかかって、どこを掘って、何を面白いと思ったのかを書くことで。
全部を説明する必要はないと思う。でも、相手が次の一歩を踏み出せる何かは渡したい。「そんな見方があるなら、ちょっと気になる」と思ってもらえたら、そこからはその人のディグが始まる。
深く掘っている人に憧れるなら、僕自身も、掘った先にある面白さを人に渡せるようになりたい。
自分が掘った先を、誰かが好きになる入口にする。僕がディグの文化に返したいのは、たぶんそれだ。
好きになると、とことん掘る。掘って、掘って、ディグりまくる。
その途中で冷めることもある。自分の浅さに、ビビることもある。それでも、まだ知らないものがあると思うと、また手を伸ばしてしまう。
好きだから知りたい。知ったら、もっと好きになるかもしれない。
僕は、まだディグり足りない。
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