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言葉だけで済むなら、僕は音楽をやっていない。

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紙のコラージュ。シンセサイザーを弾く手、服、踊る人、手書きの言葉。『言葉だけで済むなら、僕は音楽をやっていない。』

NACK notes #022|いまを読む

「話せば分かる」と言われるたび、少し引っかかる。

もちろん話すことは大事だ。僕自身、頭の中でぐちゃぐちゃになっているものを文章にすると、「ああ、今こんなことを考えていたのか」と分かる。NACK notesを書いているのも、そのためだ。

でも、言葉ですべて表現できるなら、僕は音楽をやっていないと思う。

僕が言葉の外に出る理由

音を聴いた瞬間に身体が動く。まだ意味が分からない曲なのに、涙が出る。リズムの入り方ひとつで、急に自分が大丈夫な気がする。そういう経験を、「つまり何が言いたいの?」の一言に畳みたくない。

ダンスにも、言葉では渡しきれない重心がある。踊る人の息、間、ためらい、足を出す直前の決心。教える側が「こう」と身体を動かして初めて伝わることがある。

ファッションもそうだ。僕が何を選んで着るかは、自己紹介だ。COMME des GARÇONSやISSEY MIYAKEが好きだと言葉で説明することはできる。でも、なぜ今日はこの形、この素材、この靴なのか。並べた服そのものが、僕の趣味や気分や、他人からどう見られたいかを語る。

僕はファッションで自分をブランディングしている。音楽でも、言葉にならない僕を外へ出している。だから「言葉で伝えれば済む」という結論には、どうしても頷けない。

戸塚ヨットスクールの校長に、なぜ引っかかるのか

戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長の話になると、僕の中には単純に割り切れない感情がある。厳しいことを言う人だ。人は頭で理解するだけでは変わらない、身体で経験しなければ届かないものがある、という問題の立て方に、僕は強く引っ張られる。

だからといって、僕が彼の行ったことを肯定するわけではない。スクールでは塾生の死を伴う事件が起き、校長らの有罪が確定した。その事実と、失われた人の人生を飛ばして「言葉には限界がある」という面白い思想だけを取り出すことはできない。

僕が向き合いたいのは、ここだ。言葉だけでは届かない。では、次に何をするのか。

殴ることを選んでしまえば、相手が黙ったとしても、それは納得した証拠にはならない。怖くて従っているだけかもしれない。身体を通じた経験と、身体を傷つけることは違う。ヨットに乗って海を知ることと、恐怖で人を支配することも違う。

世界保健機関は、子どもへの体罰が心身に害をもたらし、肯定的な成果は確認されないと整理している。僕は体罰を勧めない。「言葉では足りない」という問いを真剣に考えるからこそ、暴力以外の手段をもっと探したい。

「分かった」と言っても、分かっていないことがある

例えば、仕事で「分かりました」と返ってきても、完成したものが違うことがある。その人が怠けたからとは限らない。僕の頭の中にあった完成形が、言葉になっていなかったのかもしれない。

そんな時、僕は図を描ける。試作品を見せられる。一緒に手を動かせる。相手が作ったものを見て、どこで認識がずれたか聞ける。言葉を使い直すこともできる。

音楽なら、テンポを口で説明し続けるより、一度鳴らしてみた方が早い。踊りなら、鏡の前で一緒に動いた方が伝わる。ファッションなら、素材に触れ、着て、姿を見る。言葉以外の方法は、こんなにもある。

教育だって、安心できる場所をつくること、実際に試すこと、失敗しても戻れること、大人がまず自分の行動を見せることがある。これらは言語化を捨てることではない。相手に届く経路を増やすことだ。

動物は、どうやって教えるのだろう

野生の動物の親子を想像する。人間みたいに長い説明をしないなら、子どもはどうやって危険を知り、食べ方を覚え、群れの中で動くのだろう。鳴き声か、身体の動きか、近くで見て真似ることか。種によってきっと違う。僕はその仕組みを一言で語れるほど知らない。

ただ、その問いに惹かれる。学ぶことは、相手の説明を聞くことだけではない。見て、触れて、試して、失敗して、またやってみることでもある。

だからといって、自然界で起こることを、そのまま人間の教育の正しさに持ち込むこともできない。僕たちは、言葉も道具も制度も持っている。相手の身体を傷つけずに、身体で分かる経験を設計することができる。

言葉にできないものを、どう渡すか

言語化は大事だ。モヤモヤに名前をつければ、自分の現在地が少し見える。相手との誤解も減らせる。僕は書くことをやめない。

でも、言葉を万能にしない。言葉にならないものがあると認めた時、人を殴る前に、まだできることがたくさんある。音を鳴らす。身体を動かす。見せる。一緒にやる。待つ。環境を変える。もう一度、相手の話を聞く。

僕が戸塚校長の言葉に引っかかる理由は、人が変わるための身体の力を考えさせられるからだと思う。そこで僕が選びたい答えは、暴力ではなく表現だ。

言葉にならないなら、僕は音にする。服を着る。身体を動かす。そして、必要ならまた言葉に戻ってくる。


参考

戸塚校長の問題提起から僕が何を受け取ったかを記した文章です。本人の動機や個々の発言を再現するものではありません。動物については問いとして書き、特定の種の行動を事実として断定していません。

    NACK notes / PROFILE

    田村 祐大

    Designer / NACK Founder

    岡山県出身、京都在住。京都芸術大学芸術学部卒業。暗号資産・Web3領域のプロダクトデザインに約7年間携わった後、NACKを始動。

    NACK notesでは、映画、YouTube、音楽、車、日々の選択を、自分の経験とアート・デザインの視点から読み直す。専門家として結論を示すのではなく、一人の読み手として考えた過程を記録している。